号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

3、人の物語を救おう、と言う話

書籍「SAVE THE CAT の法則」 ブレイク・シュナイダー著
の感想の三回目です。

 

198ページ、この映画のどこがまずいのか?

重要なのは正直に評価して、問題個所を全部直そうと本気で考えているか? だそうです。

どうしても自分にあまくなるのと、自分の作ったのを否定したくない為に、問題個所を見落としがちだと思います。だから誰かに見せた方が良いですね。しかも関係ない人にね。

この本では物語を作るにあたり、おちいりやすい間違いが何種類か書いてありました。

 

200ページ、主導権を握るのは主人公だ。

主人公の行動力不足が良くあるのだそうです。

ストーリーに流されてしまい、たいした理由もなく出てきたり、動機や目的があいまいな時は主体性が足りない時だそうです。

確かに良く考えたら何でここにいるのか? 何でそんな事するのか? と思う時がありますね。でもそうしないと話が進まないから、とあきらめて見てましたね。でもそれだと物語に力がなくなってしまうのでしょう。

主人公は目的や望みがはっきりしていて、自分で考え苦労を乗り越え、情熱を持ち主体的に行動するのだ、そうです。

さらに、主人公は質問はしないのだ、そうです。主人公は答えを分かっていて、他の人が主人公を頼りにするのだ、ともあります。アメリカンですね。極端だと思います。

何度も言ってますが例外はあります。しかしそう思ったとしても考えてみる価値はあると思います。主人公は悩むものですが、最後は悩みも解決して自分で行動を起こすものですね。最後まであやふやだと確かに気持ち悪い話になりますしね。

これは魅力的な主人公にすべきと言う事です。大体は魅力的な主人公に最後にはなるので、こうするべきかもしれませんね。

 

203ページ、セリフでプロットを語ってないか?

登場人物の説明や状況や背景をセリフで言ってしまう事です。言葉で言わず絵で客に分かる様に見せろ、と言う事です。

これは有名な話ですね。漫画家の山田さんもネットで良く言ってます。

しかし私はこの本でこれが一番分からない所です。なぜダメなのだろうか? しかし有名な話なので、ダメだと思う人が多いのでしょうね。逆に私みたく気にしない人は少数だからダメなのでしょう。

ちなみに、漫画だと分かります。漫画でセリフが多いと読むのが面倒くさいのと、セリフでページが埋まってくるので嫌になります。

それに言外に伝えようとしても上手くないといけませんね。壁一面に元野球選手だったと言う証拠として、トロフィーとか盾とか写真とかあれば誰にでも分かる。しかしちょこっとあり「ほらあっただろ?」と言われても分かりませんね。

だからか私にしたら、言外に言っていようが、言葉で言っていようが同じだと思うのだけどね。言外にしつこく伝えてても五月蠅い気もするし、逆に視聴者が気が付かない位なら言った方が早い気もしますけどね。

もちろん極端なのは私にもわかります。「渡る世間は鬼ばかり」を少し見た事がありますが、ラジオドラマか? と言うほど何でも話してました(ただ一話まるまる全てを見た事が無いので、たまたまだったのかもしれませんが、たぶんそうでしょ?)。あれはどうかな? と私でも思ったのですが、逆にあのドラマは人気がありましたね。やはり絶対ではないのでしょう。例外があるのは確かだと言う事です。

この本は一般的な事を言っている、多数派を言っているので間違いではないのでしょうから、これも一度考慮してみるべきなのでしょうね。

 

205ページ、悪い奴はひたすら悪く

悪い奴が悪いほど主役が引き立つ。まあそうですね。

それに悪役の方が主役より始めは少し優っている状態の方が盛り上がる、とあります。

これは悪役だけではなく、困難も大きければ大きいほど、それを乗り越えた時は感動するものですね。

これで大事なのは「もっと」と言う所ですね。何か物語が弱いと思ったら「もっと」を試してみるべき、と言う事だと思います。

ちなみに「もっと悪く」と言う所が面白いですね。「もっとすごい奴」になると魅力も増してきます。そしていつしか悪役の方が魅力的になったりしがちですよね。主役を引き立たせたいのなら「もっと悪く」です。

シャアはアムロより目立ってしまいましたね。あれはアムロが主役の物語なら失敗だと言う事です。もしくはアムロが主役の物語では無かったと言う所です。

 

207ページ、回転、回転、回転

物語は前進するだけではなく、加速して、回転して、いろんな面を見せながら複雑さを増していくべき、だそうです。

段々敵も味方も世界もどういうものかが分かってくるべきで、主人公の欠点や不安も段々明らかにしながら、敵の邪悪な動機や最終兵器を出してく、のだそうです。

そして、物語は緊張感を強め加速していき最後爆発するべきだ、そうです。

人は始めは興味を示す事であっても、その刺激が続くと何の興味もなくなっていくものです。なれると共に、飽きてくるのですね。

だから新たな情報を増やすべきなのでしょう。そしてそのスピードも慣れてくるから、もっと早くさせて刺激を増やせと言う事なのでしょう。

もちろんこれは長さが2時間くらいの映画だから出来る話ですね。もっと長い話でどんどん加速させていくと、途中でマックススピードに達してしまいます。だから物語は最後を示し、そこでマックススピードになる様に調整するべきですね。それと同時にこれは面白い物語の長さは限界があると言う事です。

ゲームの中の特にRPGがこの理論にあてはまりますね。レベルが低いうちは出来る事が少なく、しまいに出来る事も敵も行ける町も多くなる。それが限界まで来ると飽きてくるのです。そこからはどんなに頑張っても大して面白くなくなり、新たなゲームを始めた方が面白かったりします。

限界がある。でもその限界に向けて、増やし加速させていけと言う事です。

これは飽きさせない技ですね。もう一度言いますが、今の時代客を飽きさせたら、もうそこには誰もいないのです。

 

209ページ、カラフルな感情のジェットコースター

どんな種類の物語も肝心なのは、客のあらゆる感情に訴えかけるべきだ、とあります。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、興奮したり、ゾッとしたり、後悔、不安、欲求不満などを感じ、最後に息をのむような勝利を味あわせろ、とあります。

コメディでも良く出来てる物語は終始笑わせるのではなく、不安、憧れ、欲望等、他の事も入れてくるものだそうです。

これもそうですね。人は飽きやすいので、同じ感情だと麻痺してきて面白くないのです。

それに不安等があった方が、その後の喜びなども大きく感じますよね。

これを聞いて分かったのが、私は昔からテレビの漫才番組があまり好きではなかった。見てると面白いのだが、立て続けに漫才とかコントをされると飽きて来るし、疲れてきます。これは同じ感情は飽きると共に、疲れてくるのだと分かりました。だからテレビなどではバラエティ番組の合間に、数分の漫才やコントを差し込む方が正解だと思うのですが、どうでしょうか?

 

211ページ、「やあ元気?」「うん、元気だよ」

重要度ゼロの言葉が並んでいたら失敗だそうです。その通りですね。

肝心なのは、並んでいたら、の所です。少しはあってもいいでしょう。

それに単調でも意味があるのなら別ですね。言葉をかけずらい事があった時(誰か亡くなったとか)何か話そうとして「やあ元気?」しか言えず、相手も「うん、元気だよ」位しか返せない、そんなシーンなら単調なセリフも生きてきますね。

つまり単調なのがいけないのではなく、重要度ゼロなのがいけないのでしょう。

それと言葉を話す時、そこにはその人の性格、過去、心の本音、人生観を表すチャンスだと思うべき、とも書いてあります。無駄にするなと言うのでしょう。

無駄は飽きられると言う事です。意味が無いのは飽きられて見てくれなくなると言う事です。

それに加え、どのキャラも同じしゃべり方になりがちで、しかも脚本家のしゃべり方になりがちだ、そうです。そうだと思います。

しゃべり方もそうですが、どのキャラクターも性格や価値観が、脚本家そのものになりがちですよね? これはこれで皆同じ価値観になるので、やってる事が分かりやすくなる等のいい面もあるのですが、限度があります。敵も味方も、男も女も、大人も子供も同じ価値観だとつまらないですし、嘘っぽさがましますね。だから気を付けるべきです。

 

213ページ、一歩戻って

どうやっても単調なつまらない話になってると感じたら、一歩戻ってその前から作り直す勇気が必要だ、と言う事です。

この本の例では、少年が旅をする物語で、途中色々な人と出会い成長する筈なのに、どうもつまらない。実はもう始めから成長するような人物では無く、人として完成されていたそうです。だから前に戻り少年に何か人としての欠陥でも付けたのでしょう。問題があるからこそ物語中で成長するのですね。

少し話がずれますが、物語で成長するには人として問題が無いといけない。しかし主役以外でたまに完璧なキャラを作りますね。その方が良いのか? それとも成長するために問題を残すのか? は一度考えてみる価値はあると思いました。

それに完璧なキャラでも、昔は問題があったという昔話でもあった方がキャラに深みが出ます。これも入れる必要が無いのか? 入れた方が良いのか? は考えてもいいかと思います。やれる事は本当にもう全て考慮しましたか? と言う事です。

話しは戻り

もう出来上がっている所が壊れるので、戻り直すのはためらうものです。しかし戻らないと直せない物はあきらめて一歩戻り、直し、またその後の事も始めから作り直さないといけない、と言う事ですね。急がば回れですね。

 

215ページ、松葉杖と眼帯

見た目で区別が付くように、キャラに特徴が付くように、松葉杖か眼帯でも付けろ、と言う事です。

キャラが多いと特に、何かしらパッと見で分かる物を付けとくべきですね。

たまに似たようなキャラがいて「これはどっちだ? 誰だ?」となる映画があります。あれを見るたびに、何とかしろよと言いたくなりますよね?

私はキャラが分からなさそうな時以外でも、何かしらワンポイント付けとくと面白いと思っています。ペンダントや指輪を付けている、腕に布を巻いている、穴の開いた帽子をかぶっている等です。もちろん五月蠅くならない程度にです。ペンダントに写真が入っているだけで、物語になるじゃないですか。だから不自然じゃない程度に何か付けとくのは、広がりを持たせると思っています。

 

217ページ、原始人でもわかるか?

これは大事だと何度も著者は言っています。キャラは原始的な動機で動いているのか? です。

これは主人公だけではなく他のキャラも、原始的な動機で動いているべきだ、と言っています。

その方が分かりやすく誰にでも共感できますからね。大人でも子供でも、男でも女でも、外国人でもね。

死にたくない、家族を守りたい、好きな人に好かれたい、復讐したい等です。

これはそうだと思います。逆に原始的な行動以外で動いている人は、共感されないと言う事です。そのキャラは共感されないけど、それでいいのか? と考えてみるべきですね。

原始的な事以外は皆が持ってるわけでは無い。だから同じ感覚や同じ立場の人には共感されるけど、それ以外はされない。会社員キャラが出世したいと思うのは、会社員以外の客からは共感されないかもしれないと言う事です。会社員キャラが自分の会社に盗みに入るとして、それが出世の為か、家族が人質にされてるのかで、共感の度合いは変わると言う事です。人質にされてる方が見たくなるでしょ?

 

さてこの辺で終わりです。

後は脚本家になるための方法とか実体験とか書いてあります。これは脚本家になりたい人が読んでみる事なので割愛します。ただ内容はアメリカンですけどね。

まとめると、この本は物語を面白くするノウハウが書かれているので、作る人はせめて一度は見てほしいですね。

物語を作る人は、やれる事をやれるだけしましたか? と言う話です。

 

おまけとして

最後らへんに書いてある事として面白いと思ったのは「なるようにしかならない」と言っている所です。

つまり「運」があるのでやれる事をやったとして、しかもそれがある程度の完成度があったとしても、なんともならない時、運が無い時があると言っています。脚本なら売れ無い時です。

「なるようにしかならない」と言う限界の中で生きていくすべを見付ける事が大事になってくる、それは頑固さだ、とも言っています。これは翻訳上もあるのでしょうけど勘違いされやすい書き方です。ここで言う頑固さとは、それでもあきらめず続けていくと言う頑固さです。運の問題があろうが何度も続けていって、実力があればいつかは成功するだろうからあきらめるな、と言う事だと思います。

 

この人は正直ですし、正しく世の中を見ようとしてますね。それが脚本を書く事を正しく導いていく手助けになっているのでしょうね。

この人は成功者らしいですが、成功者で勘違いしてない数少ない一人ですね。

 

成功者は勘違いしやすいです。運ではなく実力だと思いたいものです。人生が一度しかないので、それで成功した者は100パーセント成功したと言う事であり、だから自分は100パーセント成功する者なのだ、と思いがちです。何度も人生を経験できればそんな事が無いと分かるでしょうけど、何度もないので分からないのです。

起業して成功した人がいて、その人が成功する方法を知っていた、なんて事はまずない。方法を知っていたのなら新たな分野に進出でも大成功、海外進出でも大成功。そして子供か孫がいる筈です。子や孫には誰にも教えないノウハウを教えるでしょ? そして子も孫も起業して大成功。ここまでやってのけた人なら、成功の方法を知っていた人なのでしょうけど、誰ですか?

 

どんな事でも「運」と「実力」の掛け算です。起業でも、スポーツでも、いい配偶者を見つけるにもです。

その中で、実力と言うものはある範囲内で落ち着きますし、運も範囲が大体決まっています。無限ではない。だからとても大きな運のみで成功もあり得ない。でも運はゼロはありますけどね。一分後には死ぬ人です。

分野ごとに範囲も決まってるので、野球をやった事が無い人が運のみで野球選手になる事もありません。運も実力も人が得れるマックス位あって始めて野球選手です。運のある人の中で実力がある人が、成功者です。

運の割合が大きいのもあります。宝くじですね。

それに良い旦那や奥さんに会えるかです。日本中に自分にぴったりの相手が何人いると思いますか? 一人ですか? 百人ですか? それを自分が良いと思う範囲内の年の人口から割合で計算して何分の一になりますか? それで年間何人と新たに知り合いになるのでしょう。それで何年たてばその運命の百人と会えると思いますか?

例えば、異性の新成人が約60万人。自分と10歳差まで良いとして10年分の年の人が600万人。新たな知り合いが一年で10人だとして、運命の一人に出会える確率は一年で60万分の1です。10年かければ6万分の1です。運命の百人に会える確率なら10年かけて600分の1です。

では年間新たに100人と出会えれば10年で60分の1です。年間新たに100人と出会える、そんな人いますか?

じゃあ日本にいる運命の一万人にしときますか。なら年間10人と知り合ったとして10年かけて、6分の1です。これが何を示すのか?

これもそうですが「数打ちゃ当たる」です。当たらなかったのなら運がなかったと思い、めげずに続けましょうと言う事です。それしかない。

もちろん「運」と「実力」の掛け算ですから、実力がなくても成功はしませんけどね。

 

ちょっと前に漫画家の山田さんがネットで「他力本願」と言う言葉は、自然災害とかどうする事も出来ない事があるので、人はやれる事をして、その向こうは他力に(自然とか神とかに)任せるしかない、と言う意味だと言ってました。どうする事も出来ない事があると分かっていれば、そこまで悩まないだろうと言う事だと思います。全てを自分のせいだとは思わなくても良いと言う事です。

ただ肝心なのは「やれる事をして」からの神頼みだと思います。

この本の著者もそう言っています。やれるだけの事をしても成功も失敗もある。

人生そんなもんだと思って、また前を見て頑張れば良いんだ、と言っていると思います。それしか出来ないし、その向こうだけに成功はあるのですから。