号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

細部に宿る。

何かをおろそかにする人は、それの大事さが分かっていない。

人は大事だと思って無いものを理解しようとはしない。

理解しようと思って無いものを描く事など出来ない。

 

アニメ「喰霊-零-」感想です。ネタバレです。

 

このアニメは第一話から怪しかったですね。そしてそれがやはり当たる訳です。

一話から人の死が、いい加減ですね。

それなのにキャッチコピーが「愛するものを、愛を信じて殺せるか」だそうです。

それが他人であっても死ぬのがいい加減なので、愛するものを殺す葛藤が伝わってこない物語です。

作り手が死の大事さを分かってないのは伝わるものですね。だからか、何も感情に訴えてこない物語なのでしょう。

これは私の意見ですが、たぶん多くの人もそう感じていると思います。大事だと思ってない事は誤魔化しても、それらしく演出しても伝わるものです。

逆に人の死について重く考えていれば、どうしてもそれがにじみ出てくるものだと思いませんか? 沢山死ぬ物語でも、それがどうしようもなくても、キャラの行動や言葉ににじみ出てくるものです。作り手の感情が物語にはにじみ出てくるものです。

この話が死の重さを描きたい物語でなければこれでもいい。北斗の拳ならこれでも良いと思います。でも愛するものを殺す物語なのでダメなのでしょう。

 

それとは別に、こういう話でありがちなのは物理法則がいい加減です。

高い所から飛び降りたり、高く飛べたり早く動けたり、銃で撃ってもビクともしない怪物を刀で真っ二つでしたね。

これは「退魔士だから」と言う事かもしれないけど、どうも「主役級のキャラなのでこんな事も出来るのだ」と言ってるように見え、世界が嘘っぽく見えます。

物理法則は現実と同じ所から始め、そこから物語に合わせデフォルメしていくべきだと思っています。

現実から離れて行くほど葛藤が少なくなるからです。ドラゴンボールは途中から空を飛べるようになりましたが、空が飛べない葛藤は描けなくなりましたね。しかも死んだ人がよみがえるので、死も描けなくなりました。

だからデフォルメは注意が必要です。始めから現実から遠くしてはならない。

日本のアニメは味もみないでコショウを入れるラーメンのような物です。始めから味が分かってるからコショウを入れてもいいのだ、と言うのかもしれないけど、始めて見たラーメンなら濃い味だったらどうするのでしょう? まずは味を見て、薄ければコショウを入れればいい。アニメもパート2でもなければ始めて作るものなのだから、始めからデフォルメありきなのは間違ってると思いますけどね、

 

でもこういう絵を撮りたいのは分かる。学生服で刀を振り、超人的な動きを見せる。それだけで絵になりますからね。

なら制約を付けるべきでは無いでしょうか? 例えば夜しかこの力は出せないとか。

そうすれば人としての物語も描け、超人的な絵も撮れる。しかもそこに葛藤が生まれる。朝は力がないと言う人の弱さも描ける。それに「一時間後には夜だ、夜になれば力を発揮できるのに」と言う物語も作れるし、逆に「もうすぐ夜が明ける、その前にけりを付けないと」と言う話も作れる。

つまり強い力を描きたいのなら、弱点を付けるべきだと言う事です。

 

力のある悪役のちびっ子もそうです。物語が途中で終わるので本当はどうかは分かりませんが、どうも絶対的に強いとしか見えない。あれなら何でもできるだろ、としか思えない。だから本当は「主役より少し強くさせる」方が正解なのでしょう。もしくは弱点を付ける。敵が強すぎてもやる気をなくすし、しらけますからね。「バキ」や「修羅の門」にベジータが出て来るようなものです。

 

物語としたら、ひねっていて何かやろうとしている作りです。

それは好感が持てますが、細かな所が大雑把な気がします。

神は細部に宿るですね。

細かな所が雑だと世界観があやふやになり、あやふやな物語には乗れないですね。

大体の物語は、大きな流れが気に食わないのに、この物語は細かな所が気に入らない作りでした。

大きな所も、細かな所も、どっちも手が抜けないのだから、難しいものですね。