本 『ホモデウス』 気になった所の続きを書きます。
第二部 が「ホモサピエンスが世界に意味を与える」です。
「意味を与える」とは元々意味なんか無かったと言う事です。
「虚構は物語であるので、虚構の価値観そのものが目的なってはならない」とあります。虚構と言う言い方が面白いですね。宗教以外のイデオロギーもあわせて言っているのでこの言い方なのでしょう。
内容は、宗教は社会が上手く回るために作られた物語である。その物語が大事になり社会が上手く回らなくなったのなら本末転倒である。と言う事だと思います。
そう言う事は間々あるので気を付けるべきですね。
メスの動物がオスを選ぶとき(又はその逆の時も)何かの基準で選びます。たぶん体が程よく大きくがっちりしていてバランスが良い等の、この遺伝子を得られれば自分の子供が生き残る可能性が高いものを選んでいた筈です(意識はしてないでしょうけど)。
しかしクジャクの羽の様に、ただメスにアピールするだけのものを発達した動物が多いですね。元来は体が大きいとか元気だ等の事を羽が示していたのでしょうけど、いつの間にか普段の生き物としての生存に関係のないのに、ただ羽が大きいのがもてる、に変わっていったのでしょう。元気さ丈夫さを求める為に羽を見ていたのに、いつの間にか羽そのものが目的になっていたのですね。
そして「意味」の話です。その中の、人にとっての「意味」の話になります。「何々の」意味と言わなければこの事と思ってください(一般の使い方もそうだと思います)。
私は前に「意味」は「生きる為に必要な情報」だと言いました。これは生物にとって元々はそうだったのでしょう。しかし生きる為に幸福と言う感情が出来た。生き残る為の必要な事で感じられるのが幸福です。求めればより生きる残る可能性が増える事が幸福になったのです。「意味」は初めは「生きる為に必要な情報」でしたが、いつの間にか「幸福の為に必要な情報」に変わってましたね。
なので「幸福の為に(誰も助けたりもせず)死んでいく」事も可能になってきました。何も得れない危ない冒険や死ぬかもしれない決闘などです。しかしこれは本末転倒です。元の意味からずれてきましたね。なので今でも時と場合により「意味」は「生きる為に必要な情報」である、と言うとらえ方も必要です。
でも「生きる」では無く「幸福」が絶対条件になった事が動物や人の得た性質で、良くも悪くも「人らしさ」なんてこんな所からきています。
第二部の題名が「ホモサピエンスが世界に意味を与える」です。人にとって生きる為に必要な情報が無かったものに、情報を与え人にとっての価値を与える、と言う事でしょう。
そして皆が一回は考える「生きる意味」です。元々生物にとっては生きる意味はありませんでした。良し悪しでも意味もなく目指すものが生きる事でした。生きる事を目指すようにたまたまなった物が、今も生き続けているだけです。しかし後から得た感情「幸福」(快適でもいいです)がいつの間にか目標に変わってきました。そしてその為に「幸福」を得る為に生きていこう、と言う事が可能になりました。生きている事に意味を得たのです(それが幻でも)。そして他の動物はしない事、種の大きく違うものを助ける(「犬」「猫」「イルカ」等の事です)、もしくは歴史ある建物、絵画、物語、景色、等も価値あるものとして大事にしようとしました。つまり他の動物には意味の無い事に、人は意味を得たのです。人が世界に与えた意味は、自分にとっての意味であります。それは自分で世界の色々な物に自分にとっての価値を与え、そして自分にとっての意味を増やし、それを守る等の生きる意味も増やしてきたのです。
人は自分の為に、世界に意味を与え続けてきたのです。
話が前後しますが126ページの話です。
「人間がブタを搾取したり殺したりするのがどうした論理にかなうのか?」とあります。
人にとっては人が全てです。普通人には人の価値でしか物は見れないし、それでいい(例外に動物目線で見れたりもするのが、人らしさでもありますが)。ライオンがシマウマを気にして食べないことが無いのと同じです。なので食べても搾取してもいいですが、これからは食べなくても生きていけるようになるのでしょう(まだ時間がかかるでしょうけど)。それならそうするべきですね。面白い事に人は共感力が強い。なので虐げられたブタも可哀そうに思える。ならしないで済めばやらない方がいい。ブタの為ではなく、人の為にブタを助けるのですよ。
「AIの方が優れたとしても人を搾取してはいけないのか?」とあります。
これも同じです。優れていようが何だろうが、人には人にとってどうなのかが全てです。人にとってはAIは人を搾取すべきでは無い。ただAIや宇宙人はそう思わないかもしれませんけどね。
「AIが人を超えた時、人間の命に特別な価値を持たせ続ける理由があるのか?」と言うような事も書いてあります。
これもそうで人にとっては人に価値があるのです。人以外には人はあまり価値はないのです。
ハラリさんは誰目線で言っているのでしょうね? 絶対的な神目線で物をとらえようとしている気がします。絶対的な神はいない。なので自分たちが神になろうとしていると言う。しかし神になれば神目線になるが、それはまた人目線と何も変わりません。絶対的な価値観など無いのです。
「共同主観的」と言う言い方が出てきます。面白いですね。これは気にしてなかった事なので、なるほど、と思いました。
そしてそれを「虚構」と言いますね。これは宗教とイデオロギー両方をさしているようです。ただこの二つはやはり違うものだと思います。これはハラリさんは分かっていて、それでも似ている所があると一緒にしているだけかもしれませんけど、読んでいる人が一緒だと勘違いしそうです。
イデオロギーは反証性があり再現性もあると思います。なら科学的な物では無いでしょうか?
ただ確かに再現性も難しく、それに皆が良く分かっていない時に盲目的に信じていたものなので、実際には虚構であったと言われても、そうだとも言えそうです。
それに宗教の神の存在は反証もできないものですが(科学ではない)、しかしその中にあるルールが人の生活の役に立っているかは反証性もあるもので、今の宗教色が薄れた生活のルールとたいして変わらないものですね。
ただ宗教のルールは人にとって良くなくても従うものなので、それでは困りますが、その辺を柔軟にしてくれればただの今の憲法みたいなものです。
なので宗教とイデオロギーは違うものだが、思ったより実際は似た所があったのだと気付かされました。面白いですね。
「人間至上主義」と言う言葉が出てきます。
どうも全ての物に神が宿る国、日本においては今一ピンとこない話ですね。
「自由主義」「共産主義」「ナチズム」があり、「自由主義」が残った、とあります。
「共産主義」では無いですが世界で唯一成功した「社会主義」国、日本、と揶揄されてた国からすると、「自由主義」もピンとこない話ですね。
良い事だとは思えませんが、日本は「自由主義」では無いのですね。「人間至上主義」ですらない。自分で死を選ぶ人が多い国ですね。大丈夫でしょうかね?
人間の脳なんて大して差が無いのに、一部の脳しか使わない社会主義国が長い目で見ると潰れるのはなんとなくわかります(短期では成功するでしょうけど)。
しかし企業はどうでしょうね? 社会主義会社じゃないでしょうか? もしくは会社帝国ですかね? なんて不効率なんだろうといつも思いますけど、誰も言わないですね。なんで国と会社のイデオロギーが違うのでしょうかね? これも短期なら成功するでしょうけど、長期では普通腐敗してきますけどね。大丈夫でしょうかね?
そして無駄に長いと思わせる第二部も終わります。わざと長くしてませんか? と勘ぐってしまいそうです。
「自由主義」が古くなり、ポスト「人間至上主義」が出てくるだろう。と言うような所で終わります。
絶対的変わらないものだと思っていた事が、変わってくるのです。
これは宗教が多くの人からなくなった時とは違います。宗教の時は新たな絶対だと思えるものが出来ただけです。科学とか人間至上主義とかですね。
しかし今回は絶対がなくなり新たな絶対は出てきません。
実は絶対的な何かなんて無かったのだと思い知らされます。
そして何も無い所から何かを自分で決める時がやってくるのです。
絶対的な正解は無い、指針も無い所から各々がかってに決めます。
つまり予測は不可能、いや無意味です。
怖いのでしょう。だから虚構にすがろうとする。神にすがろうとする。ホモデウスにすがろうとしてるのです。