もはやピンドラ考察から離れていきそうな話題ですが、色々考えさせられたので書いていこうかと思います。
ニコニコチャンネルの中に、山田玲司のヤングサンデーと言うチャンネルがあります。
漫画家の山田玲司さんが様々な問題をきりまくる! のだそうです。
有料ですが、三分の一くらい無料で見れます。
それの無料部分がYouTubeで流れていたのを、たまたま見付けたのがピンドラを知ったきっかけです。
ここに奥野晴信さんていう方が出てまして、この人がピンドラを否定的だったので、その言っていた内容に反論しようと思います。
例として、そもそも彼のしていた事は
皆が味噌ラーメン屋さんに集まって
「たまには味噌ラーメンもいいよね」
「俺は味噌ラーメンの方が好きだけどね」
と話してる時に
「いや、豚骨ラーメンの方が旨いよ。豚骨ラーメンの方が皆大好きだよ。だから豚骨ラーメン屋さんの方が儲かるし、ここも豚骨ラーメン屋にした方がいいよ。とんこつー
と・ん・こ・つ~!」
と、味噌ラーマン屋の中心で豚骨を叫んでいるのだから、まあ鬱陶しさが半端ないわけです。
そもそも彼は自分の中でもごっちゃになっていて、良く理解してない様に見えます。
彼が問題にしているのは 量の問題 です。それを質の問題だと思っているのがそもそも間違いです。
彼に限らず世の中の多くの人(もしかしたらほとんどの人)は、世の中の問題が質の問題だと勘違いしています。
世の中の多くの問題(たぶん9割以上)は 量の問題 です。この事はとても大事です。そしてこれを言っている人を聞いた事がありませんので、疑ってもらって結構です。
味噌ラーメンか、豚骨ラーメンかは質の問題です。彼が本当に気にしている事は量の問題なので、質の問題として言っている事自体が間違いなのですが、質の問題だとしても間違いだと言う事を、まずは示したいと思います。
確かに豚骨ラーメンの方が多くの人にうけるでしょう。客も入るでしょう。儲かるでしょう。
しかしそれは少数を切り捨てる事です。
ヘビメタとかクラシック音楽はいらないと言っているようなものです。
コンビニに行ったら一種類のビールしか売っていない。うす塩味のポテチしか売っていない。おでん買おうとしたら大根しか浮いていないようなものです。
なので間違いです。それでも公平を期する為に、状況にもよる事を言っときます。
小さな島で一軒だけのラーメン屋なら「ここ豚骨ラーメン屋にしませんか?」と言いたくなるのも分かります。しかし今回は小さな島の事ではなく、無数にあるラーメン屋(無数にあるアニメ)の一つの話なので間違いです。
そして「少数を切り捨てない様にしたい」と言っても限度もあります。「ドリアン入り豆乳ラーメン屋が好きな人がいるから」と言っても、確かにそれは必要かな? と言いたくもなります。
これらは、どの位の少数を切り捨てるのか? が問題になり、それこそ量の問題です。量なのではっきりした一つの答えは出ません。だから難しいのです。
ただ商売としたら「赤字にならない所が分岐点」等のとらえ方は出来るでしょうけど、それでも沢山の人が係わっているのだからギリギリでは無く「少しでも多くの利益が出るようにすべき」と考える事も出来、そうなるとやはり線引きは難しくなります。
ではピンドラは世間からどう思われるのか? ですが、たぶん「味噌ラーメン屋」位の支持は得られると思います。なので間違いとは言えないのです。つまり多くの人が、その存在意義を認めるだろうと言う事です。
奥野さんもサッカーでレアルとバルセロナの二チームだけでずっと試合していればいいとは思わないだろうから、彼の言いたい事は質ではなく、量の問題だと分かるんじゃないでしょうか。つまり「少数であっても最高の物だけがあれば良い」とは思って無いと言う事です。そもそも彼も最後の方は「もうちょっと、もうちょっと」と言っていたので、量の問題だと気付き始めていたのです。
質ではなく量の問題だと言う事になると、何ラーメンかの問題では無く、塩加減の問題と言う事になります。
例えばパラメーターで表したとして、一番左がほぼ味の無いスープ(お湯)だとして、一番右は水に溶ける限界まで塩等をとかしたスープだとします。それで一番左から右までの間に段階なく全てのスープの塩加減(正確には塩以外の物も含めた味の濃さ)を表してるパラメーターになるのです。
彼は、それのどこが正解かと言う話をしているのだが、もちろんそんな物はありません。
彼は何処かに正解があると思っていて言っている。自分の正解が世の中の正解だと思っている。世の中は白黒付くものだと思っているのです。
しかし世の中で真っ黒、真っ白の物などほぼないのです。ほとんどがその間のグレーの何処かなのです。しかも人それぞれで違う物です。
そればかりか、世の中の多くの物はこの無段階のパラメーターがいくつかあるものの集合です。つまり白と黒の一個のパラメーターではない。
そこにはカラフルな色があるのです。赤青黄色、いろんな色が無段階に混ざっている。
例えば秋葉原の写真を撮ります。ニューヨークでもいいですよ。撮る場所によってはカラフルな写真が撮れるでしょう。それを見てこれは黒だ。いや白だ。と言っている人が、なんとまあ多い事。カラフルなものはカラフルなのです。
それでも法律などで白黒つけなければならない事もあります。あれはカラフルなものにしかたなく便宜上付けているので、国や時代によって白黒が変わるものなのです。
そして、そうはいっても明らかに黒い写真も撮れます。夜にフラッシュもたかず撮ればほぼ黒のカラー写真も撮れます。白飛びした写真も撮れます。それらはほぼ全ての人が白黒を決める時に割れない写真です。「イラっときたのでナイフで刺しました」はほぼ全ての時代全ての国で有罪なのです。
ラーメンの塩加減もそうで、一番右の海水を飲んでるような味、もしくは一番左のお湯は、ほぼ全ての人が文句を言う味なのです。そんなほぼはっきりした物も、あるにはある。
ではピンドラはどうか? これもこの味付けが好きな人、もしくはこの位なら文句のない人が多いと思います。なので間違いではないのです。
私もピンドラが一番多くの人に好かれる味付けだとは思っていません。ただそれをすると全てのラーメンが同じ味付けになるので面白くない。なのでピンドラの味はこれで、やはり間違いではない。
間違いでは無い事が大事です。一番売れる物ではないが、あっていい物、あった方が良い物の中に入る事が大事です。おでんで言えば「がんもどき」とか「もち巾着」等です。
とにかく、一番売れる味付けなら良いって物じゃない。もっと言えばその売れる味付けの店も多くなればつぶし合い、少し種の違う店の方が利益が出たりする事もある。でもだからと言って売れないにも限度がある。等の、はっきりした正解はないのです。その中でも、許される塩加減の範囲は結構あると思います。ピンドラはその中には入っていると思います。
ピンドラのメインターゲットは十代半ばから二十代半ばの少女(二十代半ばはもう少女じゃないですが)でしょうか。
そうなると彼が物語の最初の方は無駄だと思っていたのも違います。
それは山田さんも言ってましたが、最初の方も少女は見れる内容になってますよね。おじさんには無理なだけです。
ただ私も少女じゃないので、結局は本当に少女が見れるものになってるかは分かりません。
でも幾原さんはそんな少女ものをずっと作ってきた人なのでしょう? ならそれに反論できるのは幾原さん位少女ものをずっと作ってきた人か、少女のみなのです。おっさんがいちゃもん付けるな。
そして、何か起きるまでが長いと言いますが、最後に跳ねる物語は最初の助走が必要です。
急に跳ねると置いてけぼりをくらいます。助走を取って、見てる人が十分に乗ってから跳ねるから付いて行けるのだし、大きく飛べるのですよ。
(ひまりが一話で死にますが、あれに感動する人はいないですよね? しかし最終話の方の海でのひまりのエピソードでは泣けて来るのです。これは皆が乗れるまでには助走が必要だと言う事です)
これも難しいのは、後で跳ぶときに大きく跳ばないと「なんでこんなに走らせた? マラソンか」と不満が出ます。しかしピンドラは後半大きく跳ねたと思います。
あと助走している時に飽きられる心配もありますが、それはさっき言ったように少女にはちゃんと見れるものになっていた筈です。
ただフォローはしときます。私はネタバレで見ました。おっさんなのでそうじゃなければ挫折してたかもしれません。おっさんはネタバレで見ましょう。その方が面白く見れます。もしくはまだ何も考えないで見れば、ボケーっと見れたかもしれません。しかし奥野さんは山田さんの話を聞きながら見てしまった。山田さんが、深い意味がある、何かが起こる、と早々に見付けてしまうものだから、それを聞きながら見てる人は気合を入れて観る。しかし何も起きない。いや次の回こそは、と思い見るが起きない。いやいや今回こそは、で、起きない。と9話まで見れば、奥野さんみなくああなりますかね? ちょっと気持ちは分かりますが、そんな見方する人は地球上にほぼいないと言う事を分かってください。
フォローしても反論はまだ続けます。それとこれは別です。
眞悧が「僕は呪いのメタファーだ」と言うのがおかしいと言ってました。
忍者が「俺は一陣の風だ」と言っても「風ちゃうやん。人やん」と突っ込まない様に、別にあれであってます。
しかし彼が本当に言いたい事は、たぶんラスボスが「俺がラスボスだ」と言うな、と言う事だと思います。
しかしそれこそダサイズムじゃないですか。ダサくなければダメだと自分で言ってたじゃないですか。ダサイズムのメタファーのおっくんがそこひっかかりますか?
それとあれはヒントですね。「僕は呪いのメタファー」は文章で書くと「眞悧は呪いのメタファー」であり「マリは呪いのメタファー」と読め、ひまり、マリオの呪いの名前につながるヒントです。なのでわざとなのです。
「最初の方が面白くないと後半まで続けて見てくれない」と言う様な事も言ってましたが、時代が違います。
深夜番組なのです。今は深夜しかアニメは流してもらえない。
深夜にアニメを見る人などいないのです。
いや、それでもよく見ると数人はいるようです。
夕飯時に開いてる店は「あ、こんな店あるんだ。入ってみるか」と言う事もありますが、深夜しか空いてない店に来る客はよっぽどではないですか?
つまりよっぽど見ようと気合を入れてみる人しか見ない。そう言う人は途中で見なくなっても、たとえ初めから見なくてもネットで情報をひろい、「全部見たら面白い」と言われたものは後からでも見てくれるのです。
ガンダムの時代は見逃すともう見れない、なので映画化した。映画化される位じゃないと埋もれたのですね。
しかし今は借りたい時に借りて見れます。最後まで見ないと面白く無い作品でも(最後まで見ると面白いぞと言う情報を得て)見てくれます。
追加で言うと2011年でもそうでしたが、今は(2019年)もっとそうです。ネットで見るようになりました。もっと見やすくなりました。今後はこの方向がさらに強くなっていく事でしょう。
今の時代にアニメを見る人は、最後まで見なければ面白さが分からなくても、見てくれるのです。
難しすぎて分からない事について。
私はゲーム「シュタインズゲート」をやった時感じたのが、トゥルーエンドに行くのが難しい、と言う事でした。ネットで答えでも探さないと、ども位の人がトゥルーエンドに行けるのだろうか? と思ってました。
アドベンチャーゲーム製作者で集まった雑談がネットで書いてあって、ある人が「あれでいい。簡単だとすぐ答えがネットで出てしまう。今はネットで皆で探る時代なのだからあれ位で正解」と言ってまして、なるほどと思いました。
今はネット社会なので、難しすぎる位でも丁度いいのかもしれません。
それに私が前に言ったように、イクニさんはこれもわざとかも知れませんしね。皆で助け合って答えを探し出す事を、させたかったのかもしれません。
なので私はピンドラの塩加減はどれも正解だと思います。正確にはおかしいレベルではない、と言う事です。最低でも味噌ラーメン屋位の支持はある、と言う事です。
このアニメは考えれば考えるほど、どれもこれも間違ってないのです。いちいちどれも間違ってない。よくもまあ、これほどの事をして破綻しないなあ、と驚かされます。よっぽど考えて練って作ったのでしょう。時間もかかっただろうし、気合も入っているし、思いも入っている。イクニさんはこれを作り上げた時、何かをやり遂げたと思ったのではないでしょうか? 私はやり遂げたと思います。分かる人はそう思ってくれると信じています。
これを奴は否定しました。
なので来世はペンギンでしょう。
メガネをかけていて、後ろでいっつも豚骨ラーメンを食っているペンギンです。
「なんであのペンギンいっつも豚骨ラーマン食ってんだろ?」と皆を悩ませ続ける事でしょう。