号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

9 ミステリー

昔、エヴァンゲリオンを見た時に思ったのは、やっぱりミステリーって面白いなあ、と言う事です。

あれの面白さは色々あったのだろうけど、私はミステリー要素が面白さを牽引してたと思ってました。

ただエヴァ江戸川乱歩でしたけどね(江戸川乱歩はまだ途中で謝っただけましですが)。

エヴァも乱歩もオチが無かった訳ですが、ピンドラはちゃんとしたミステリーでした。

 

ピンドラを見て最初にミステリーを感じたのが表札でした。

初めの頃何度も出てきますよね。三人の子供の名が書かれていて、その隣に隠された名前があるやつです。

もう、隠された文字ですよ。隠された文字なんてミステリーの王道じゃないですか。隠された文字、消された文字、にじんだ文字、ピントの合わない写真、後ろ向きの写真、切られた写真。つまり肝心な所が見えない物、これらが出てくるのは王道過ぎますよね。

そしてこの隠された場所に答えが書いてある、と言うのは一番古いミステリーですね。もう少し新しくなると、消された所に何かありそうで本当は他の所に答えが書いてある、と言うやつです。

ピンドラも隠された所には親の名が書いてあるのみです。問題は他の場所ですね。つまり消され方です。雑に消してあります。これは急に消さなければならなくなった、と言う意味です。それに「このやろう」と言う消した人の気持ちが入ってます。しかし消しきってはいない。もう亡くなったのなら完全に消して新しい表札にしてます。そして「このやろう」と言う思いで消したのに、もしかしたらまた戻ってきて、名前の上から張ったテープをはがして昔の様に暮らせないだろうか、と言う子供心も含まれているのです。

そして子供がその様な感情になる何かを親が起こした。と言う意味ですね。

しっかりミステリーしてますよね。

 

ただ普通のミステリーとの違いは、ピンドラは次元の違うトリックをしてくるところです。
例えば、この手のアニメにはなぜかマスコット的な不思議な生き物がいるので、ペンギンが家に来ても普通に思えてしまう。なのでペンギンの正体をあまり真剣に探らない。しかもペンギンが人の生まれ変わりなんて、この世界の作りから(どういうルールが成り立つ世界なのか?)考えないと出てこない答えになっている。
生存戦略」と言う言葉も次元の違うトリックで、物語の中を探しても見つからない。なぜなら物語の外にあるからです。
そして普通のミステリーは謎がメインであり最後には答えが出るが、ピンドラはメインではない。つまり答えが出ないまま終わるし、答えが分からなくてもなんとなく見れる物語として成立している。
物を隠すのに一番大事なのは、そこに何も隠されてはいないと思わせる事です。何か隠されていると思うから探すのであり、見付けるのです
答えが見付からなくても見れるピンドラは、だからこそ探しにくい。見れたのだから大した謎も無いだろうと真剣に探さないのです(流石に何も隠されてはいないとまではなっていない。それではやりすぎになるからだろう)。
あとは答えがはっきりしない、と言うのも面白い。はっきりしないので、一番可能性の高い答えを探すのみです。なので尚更見付けるのが難しい。
一番可能性が高いものを探す時も、多数の意味を持つものが多くあるので(メタファー、運命の至る場所などの言葉、人のセリフ)これもまた難しくしている。
子供ブロイラー等の象徴的な描き方をしている物、プリンセスオブクリステルが出てくる時のこの世界独自の現実、そして一般人が見てる現実さえも人が記号だったりと、もう境界線が分からない、意味が分からない。
と、考えれば考えるほど確かに訳が分からないわけだが、これが意味が分かるとちゃんと破綻しないでまとまっているのだから、まあすごいね。

 

では、ミステリーの面白さとは? と言うと色々あるのでしょうが、一つはミスディレクションです。

間違った方向に導き、惑わせることです。

昔々流行った十回クイズがそうですね。

A君 「みりんと十回言って」

B君 「みりん、みりん、みりん、…………みりん」

A君 「鼻の長い動物は?」

B君 「きりん」

A君 「ブー、答えは象でした」

の奴です。

ピンドラも間違った方向に導くように色々してましたね。

 

9話で陽毬をかばったお母さんの病室でのセリフ。普通に聞くと良いセリフに聞こえます。

「けがしてないのね? ああ良かった。もし陽毬が顔にけがでもしてたらお母さん、一生自分が許せない所だった」と言ってます(ここも「自分が」なのか「自分を」なのか 「自分は」なのか何度聞いても聞き取れないが、実は「自分は」と言ってるならすごいね)。

このセリフ一見普通です。

途中で「お母さん」と入れる事によって更に自然に聞こえる。良く出来てる。

しかし「一生自分が許せない所だった」とは普通言わない。母が身をていして娘を助けたシーンの後でのこの会話の流れでは絶対に言わせない。イクニさんはここにこのセリフは置かない。

リアルな話ならこの位のセリフはよくあるし、もっとおかしな言い方をする時も普通にある。なので皆この位気にならないでしょう。

この母のキャラ設定が「自分の正解みたいな事をいつも考えている」と言うのがふりであればそれもありえる。

しかし自分でこの設定のコメントを考えてみてください。「陽毬が顔にけがでもしてたら一生後悔するところだった」とかにならないだろうか? 「自分が許せない」を入れる文章を考える人がいるだろうか? 冗長なんだよね。自然じゃない。わざとらしい。これでは献身的な母が身を挺して子供を助けたセリフだとしたらお粗末すぎる。「自分が」を入れると献身性がぶれるからです。

私にはこれは「自分が」を入れる為に作った文章に見える。「自分が許せない」とは助けたのは陽毬の為ではないと言う意味です。

 

このシーンの前、陽毬は「お母さんの嘘つき」と言います。

これも不自然です(ここまで来ると、私の被害妄想に聞こえてきてる人もいるでしょうが聞いてください)。

この瞬間だけ陽毬の口から下をうつす絵です。「言ってはいけない事を言った」等の演出でやります。しかしそれほど言ってはいけない事ではない。陽毬のセリフが「私が本当の子でないから」とかだったら分かる。しかしこの言葉でこのつながりでこの強調はおかしい。私には「お母さんは嘘つきだ」と言う事を示すヒントにしか見えない。

 

21話の最後、父の葬儀(冠葉の父だと思われている人です。父もそうだし祖父もそうだが、誰のとは絶対に言わない。文字でも言葉でも。つまり「マリオの」で間違っていないと言う事)。

ここでも剣山は死んだ男を「友だった」と言うが冠葉が子供だったとは言わない。冠葉に「家族だ」と言うが「これからは代わりにうちの子供に」なんて事は言わない。逆にすぐに晶馬と「本当の兄弟になれる」と強調する。まるで冠葉に「父を亡くしたのだから代わりに父になる」ではなく「兄弟を亡くしたのだからこれからは晶馬が代わりに兄弟になる」と言いたいかのように。

 

これらは微妙です。つまり私の言っている事が納得できない人もいるでしょう。

つまりミステリーとしてちゃんとした答えは書いてない。

これも推理物の物語じゃないのだから成り立つものである。

だから後は可能性を探るのみ。演出や作者の思惑さえも鑑み可能性を探る。私にはこのやり方のミステリーが面白くてしょうがない。

私はイクニさんは考え細かく練ってセリフを出していると感じました。

だからこそ母があそこで「一生自分が許せない所だった」と言う言葉は言わないと思うのです。

イクニさんはこの無駄なセリフをこの大事なシーンでは入れない。入れるからには意味がある、わざとだ、と思うのです(もっと言えばこれが献身的なシーンなら全ていらない)。

はっきりした答えはない。しかし物語なのでそれで構わない。物語とはどうとらえようが構わない物なのです。

ピンドラは、答えのあるただの推理ゲームではなく、はっきりした答えのない推理に意味を持たせているのがまた面白い。多くのものは見方によって変わる。世の中にははっきりした正解がない事が多い。と言いたいのでしょう。

 

しかしこの強いミステリー要素。確かに面白いのですがどうもしっくりこない。

この物語のテーマ 輪るピングドラムからの生存戦略 と結びつきが薄い気がする。

分かりにくい、解きにくい、難しいミステリーを置く事との結びつきです。

ここまでピンドラを見てきた感じだと、イクニさんはたとえ面白くても結びつきが少ない事にこんなに力を入れるのだろうか? と思ってしまいました。

しかし「いや、もしかしたら?」と思える事が出てきたので書こうと思います。

 

 『犬神家の一族』が出てきます。これもミステリーですね。

マリオがスケキヨをやっています(池で逆さになって足のみ出すやつです)。あれで犬神家と分かるわけですが、それで夏芽家の祖父、左兵衛は犬神家の佐兵衛からとったのだと分かる。

犬神家では、佐兵衛の孫のスケキヨと子供の静馬が入れ替わるお話です。佐兵衛の孫だと思ってたら子供だった、と言う所に冠葉をひっかけているのかと思います。

しかし一番大事だと思われるのは『犬神家の一族』は「佐兵衛の遺言が元で殺人が起こされる」と言う所です。しかも佐兵衛はわざとこの遺言を残し、憎き子供達が殺し合うだろうと狙ってやったのではないか、と金田一が言うのです。金田一が言うのだからそうなのです。

ピンドラがこれを入れた理由として「元のその物の意味ではなく、そこから起こされる行動が大事で狙いである」と言う事が読み取れます。

 

ピンドラではプリンセスオブクリスタルが「ピングドラムを手に入れるのだ」と言います。そして荻野目 苹果が持っているから探せと言う。

ピングドラムが造語なのが面白い訳です。つまり何を指しててもいいのです。しかも多数の意味があってもいい。だから、まあ間違ってはいない、となる。苹果が持っていてもいいし晶馬ももっていてもいい物になる。

しかしこれは嘘です。言葉では間違ってなくても、その言葉から連想される事からは間違っている。詐欺師の言葉ですね。

ピングドラムを探せ苹果が持っている」と言えば苹果が持っている物を持って来いと言っていて、そうすれば陽毬は助かる、と思うのが普通です。

でも違う。大事なのは苹果と絆を持つ事 です。その為に探させているに過ぎないのです。

ピングドラム」が「相互愛」でも「助け合い」でも「あの日記」でも「未来への鍵」でもいいのですが、それを苹果が持っていたとしても何もならない。それを見付けたとしても何にもならない。

苹果と絆を持つ事で未来に行ける。と桃果は分かっているので冠葉、晶馬にそう仕向ける為に探させるのです。

そしてイクニさんの方は見ている人に、物語にのめり込んでいく様に仕向ける為に一緒に探させるのです。

ちなみに冠葉、晶馬に直接「苹果と絆を持つ事で未来に行ける」と言ったらどうなるか? わざとらしく仲良くなろうとするでしょう。冠葉は口説いたりするでしょう。それでは本当の絆は生まれない。なのでピングドラムと言うありもしない造語を作り探させる。見付からない物を探させるのです。桃果もイクニさんもです。

そしてこれが「元のその物の意味ではなく、そこから起こされる行動が大事で狙いである」につながるわけです。

 

ではミステリーです。ピンドラにあるこの強いミステリー要素とは?

私はYouTubeでたまたま見た山田玲司さんの考察を見てこれを書いてます。そこでバトンを受けた。私だけではなく沢山の人が受けたんじゃないでしょうか? 私はその他にも考察サイトを見たりして、その人達からもバトンを受けている訳です。そして山田玲司さんもあの動画で、何の考察をしてほしいか一般の方にアンケートを取り、ピングドラム考察をしてほしいとなったので見たようです。そこでも沢山の人のバトンを山田玲司さんが受け取っていたわけです。

なぜか?

それはこのアニメが分かりづらいからです。

ミステリーが深く理解しにくいからこそ出てきたものです。

一人ではどうもならない程の難しさがあるが故に、皆で助け合って解決しなければならなかったのです。

そう。イクニさんはもしかしたら「助け合い」の要素をアニメの中では飽き足らず、外の世界にも持ってこようとしたのではないか?

それこそが「輪るピングドラム」ですよとリアル世界にも示した。いやリアルな世界にこそ示したかったのではないのか? 現実の世界で考え、実感する事が大事だと言いたかったのではないのか? と思うのです。

 

が、ですが、えー本当ですか? そこまでしますか? そんな事まで出来ますか? と自分で否定してしまう程の事ですよね?

ここまで狙ってたのなら、やはり歴史に名を起こしたと言ってもいいのではないでしょうか?

どうなんでしょうね? ミステリーですね。ミステリーって面白いですね。