号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

押井守の映画50年50本 その2

押井守の映画50年50本」の感想、続きです。

 

102ページ 職業映画と言うジャンル

「戦争の犬たち」と言う映画を、傭兵と言う職業を表す映画と言っています。

他にも職業を伝える映画と言うジャンルがあると言います。押井さんは「カタログモデル」の映画があった事を言っていました。

考えてみれば学生以外は皆働いています。そして自分がやった事のある職業などたかが知れている。だとすれば、職業と言う皆が知らない世界が広がっているのだと思います。

医者物、弁護士物、警官物、軍隊物、銀行家物。職業と言うとどうしても身近過ぎてつまらなく感じてしまいますが、実は可能性が広がっているのだと気が付きました。

 

106ページ 主観的な時間の流れ

あしたのジョー2」では主観的な時間の流れがあると言います。押井さんは、上空に映るヘリのローターがゆっくり回るシーンで、これは主人公の時間なのだと気が付いたそうです。

これは何かと言うと、人も一瞬ゆっくりに感じる時がありますね。どこからか落ちる時とか、何かが倒れる時、何かにぶつかる時、そう言う危険な時によくあります。これは本当に頭が急回転して長く感じてるのだと思います。

そしてそういう大事な物は記憶に残りやすい。だからはっきりきっちり飛ばさないで記憶に残る。それがゆっくり動いてる様に記憶に残るのでしょう。

その他にも日常にも長く感じる時と、短く感じる時間は良くありますね。まだ「10分しかたってないのかよ!」と言う時と「もう一時間もたったのか?」と言う時は良くあるものですよね。

つまり人にはその人個人の時間の流れがあると言う事です。それをそのまま映像化する。人の心に残る時間と同じ時間の流れを映像で見せるので、人にはそれらしく見えるのです。

これはキャラの感覚を表す事に成功してるので、上手く使えば面白いですね。

 

逆に最近見た映画「1917」では客観的に時間が流れます(完璧ではなく、なるべくですが)。これはこれで主観的な時間の流れの映画を見慣れてきた人達には、逆にリアルに見えるのです。ただこれは全編通して一つのリアルさを追求するというイレギュラーですね。だから主観的な時間の方が、一般的な映画に使えると思います。

 

押井さんは宮崎駿さんの作品の時間は、ずっと同じ時間だと言っています。つまり主観的な時間が流れない。確かにそうですね。でもこれはこれで見やすいですね。つまりどっちでも上手くやれば良いと言う事です。

私には、同じ時間の流れで表すのに、感動できる物語を作る宮崎駿さんの方が、やってる事は難しいと思います。ただこの人はたぶん狙ってるわけでは無いのでしょうけど。

とにかく、良い悪い、簡単か難しいか、と両方あるので(しかも時と場合で違う)、よく考えてその場でいい方を使用するのがいいでしょう。

 

ちなみに、主観的な時間があると言う事は、他にも主観的な何かも使えると言う事ですね。大きさとか色とか広さ等です。

どこまで狙ってるか分かりませんけど、北斗の拳で妙にキャラがでかく出て来る時がありますよね? 後のシーンになると小さくなってたりします。あれも主観的な大きさなのかもしれませんね(強大な力のキャラに見えると実際にも大きく見えるという事)。

のび太君の部屋とか広い時があります。多数の人がいる時に大きくなります。これは主観的ではなく、シーンの利便性として大きくなってるだけでしょうけど、こう言う風に主観的に大きさを変える事も出来ますね。

「おおかみ子供の雨と雪」の母親と小さな子二人になった時に住んでいる畳の部屋、とても広いですよね。あれは狙ったのか? たまたまなのか? とずっと思っています。子供の頃には、部屋と言うのは大きいのです。あの子供二人の主観的な部屋の広さを表しているのなら良く出来ていると思ってますが、どうでしょうね?

他に、作品では見当たらないですけど、色も使えそうですね。わざと彩度を落としてみたりね。それでキャラの感情を表すのも面白そうですね。

ゲーム「ストリートファイター」の4か5でザンギエフと言うキャラが出ます。プロレスラーです。それがこぶしを握り両手を伸ばしてコマの様にぐるぐる回る技があります。この時手が大きくなってるようです。3Dで描かれてるので、普通にやればこぶしの大きさはそのままになるのですが、わざとそこだけ大きくしてるようです。これもその方がそれらしく見えるからですね。

最近は遠近感を強くした絵を書く漫画家さんや絵描きさんがいますね。これも大枠で言えば同じ事でしょう。実際に見える姿を変える事により、人に何かしらの他の情報を含ませてるのでしょう。近く見えたり大きく見えたりする事により、キャラ自体の印象を近く大きく見せたいのでしょう。もしくは動きを大きく見せたいのですね。

等の主観的に訴える、と言いうのは考えれば色々面白そうですね。

 

108ページ 誰のシーンか見極める。

これも見落としてしまいそうですね。主役がいるとどうしても主役に沿った時間やカットにしてしまいそうですね。

しかしここでは主役ジョーに「行かないで」と言う女の人のシーンの事を言っています。確かにそういうシーンは概ね女の人の為のシーンですね。だから間違えて主役ジョーのシーンにしないで、女の人がメインで作らないといけないと言う事です。

つまりこのシーンのメインは主役なのか? 脇役なのか? はたまた皆なのか? いや街や世界なのか? ロボットなのか? 誰のシーンかを間違っていけないという事だと思います。

 

109ぺーじ 監督も役者も成熟する必要がある。

押井さんはポーランドで「主役は40歳過ぎていて当たり前だ」と言われたそうです。

押井さんは、役者だけではなく監督も成熟する必要があるし、10年やそこらでは大した事は出来ないと言っています。たまに勘違いしていて才能で何とかなると思っている人がいますけど、なんともならないですよ。人には限界があるのです。

仮に20歳から仕事を本格的に始めたら20歳で仕事歴0年です。30歳で仕事歴10年、40歳で仕事歴20年です。

だとすれば30歳と40歳で仕事歴が二倍違う訳です。とすればどんな仕事でも40歳位で形になっていくのは、なんとなく理解できると思います。

役者は子役がいますが、子役が大人と同じ時間、同じ力を込めては働かないでしょう。だから子役の10年と、大人になった時の10年は違いますね。だからやはり役者も40歳位で主役級になるのでしょう。

だからか役者は皆若作りしますね。アメリカ等ではまともな女優を使おうとしたら、20台の役でも30過ぎを持ってきますものね。しょうがない事ですね。

ちなみに40歳くらいで成熟してきたと言われる仕事でなければ、浅い内容の仕事だと言う事になりますので、それでいいのです。

 

111ページ 限られた予算の中で、どこに力を入れ、どこを妥協するか? その妥協の中でテーマとエンターテインメントのバランスを見出していく。

この事が大事だと言っているのでしょう。

なぜならその後に「好きなだけお金を使うと映画が破綻して商業性が落ちる」と言っているからです。

押井さんは売れない実写映画も作っているからか、お金の問題も大事だと気にしているようですね。当たり前な事ですが、言わない監督も多いですから、押井さんは強く思っているのでしょう。

石油王の息子でもないのなら、お金の問題と商業性は大事ですね。商業性を無視したら作らせてもらえないからです。

お金の事はつまらない話ですが、無視しては生きていけないし、映画など作れないのです。現実から目をそらしても何も出来ないのです。

 

119ページ129ページ 独自の映画だけに流れる時間がある、と言います。

「アクションなんかいらない、淡々と飯を食ってたりね」とも言います。

雰囲気と言うか、世界に浸れる、と言う事でしょう。

例えば旅行に行きます。目的地に付いた時より、下手すると移動時間の方が長い時もありますね。そしてその後何を覚えているのか? です。

意外と道中の事だったりしませんかね? 駅で電車を待ってる時、バスを待ってる時。電車の中でトランプした事、窓から海が見えた時、富士山が見えた瞬間。

他にも、付いた旅館やホテルの中とかの事。意外と旅館の畳でごろごろしている何気ない時間が心地よく、覚えていたりしませんか?

刺激的な物を覚えてるのは当たり前ですが、実は人にはこの何気ない淡々とした心地よい時間と言うのがあるのです。

他にも、心地いいとはまた違う印象的な何気ない時間もあります。ちょっとした不安や恐怖もしたがう時間です。

軍艦島とか廃墟をまわったりする人いますよね。あとは電車の廃線とか使って無い道路とか。写真でだけど、今は使ってない山にあるアスファルトの道路があり、うっすらコケが生えてきているというのを見た事があります。ここなんか意味もなく歩いてみたいなと思いました。

もっと直接的に夜の病院とか、暗い森とか。これらは怖すぎるとまた別の意味になりますが、少しの怖さなら雰囲気を楽しんでいるという事になります。

特別な所ではなくとも、東京の路地裏でもなぜか魅力的な一瞬があります。映画「BU・SU」で日差しが横から指す普通の街並みが印象的でした。原さんの「あじさいのうた」が流れると、なんて事の無い街並みも魅力的に見えた記憶があります。

こんな何気ない魅力を感じている時にアクションが始まると、押井さんが言うように、確かに雰囲気がぶち壊しになりますね。

この世界観や状態や情感を再現して、もたらしてくれるものは、確かに映画以外見ないですね。あとはリアル路線でオープンワールドのゲームですね。今の所ゲームは狙ってそうなってる訳ではなさそうですけどね。

私はこれは人好きずきだと思います。長くて退屈に思える人もいるでしょう。それは旅行の移動中と同じです。その時の感じが心地よい人と退屈な人がいるのです。

ただ、考えてみるとまるっきりこの「世界に浸れる」感じのシーンを出さない映画の方が多い気がします。さっき言った「ダレ場」等で少し位は入れると、どんな映画でも効果がありそうですね。

 

120ページ ヘリは映画に適している。

垂直機動が出来、静止も出来る。椅子が横に並んでいるので操縦中にドラマも出来る。とあります。映画として、シーンとして得意なものがある。

私が思うに、だから潜水艦は面白くなりがちなのでしょう。密室でしかも皆が話し合える場所です。狭いから話し合うしかないのです。ちなみに宇宙戦艦ヤマトも宇宙なので潜水艦みたいなものですね。

ロボットもの等は一人乗りですね。複座でしかも横並びの椅子のあるロボットでも面白いのかもしれませんね。ああ、だからパシフィックリムは二人乗りだったのでしょうかね?

 

134ページ 映画は芸術作品である前に商品

これは前にも言っていたけど、ここではもっと強く言っています。「商品としての価値を優先させて、その上で何を作っていくか」と言っています。その通りだと思います。

その後にこうも言っています「個人の表現である前に社会行為であるべき」「もっと具体的に言うと時代性が必要」「時代にマッチしたものがヒットする」。

押井さんのこの辺の言葉には、いくつかの意味がミックスされてるのかな? と思います。だから分かりずらい。

一つは前に言った様に商業的にある程度売れないと続かない、と言うのあるのでしょう。作らせてもらえないと言う事です。

他には時代性にあったと言う事は、皆のその時の興味に引っかかった、と言う事です。だからヒットもする。では逆は? 皆の興味のない作品を作ったという事です。だからヒットしない。

誰も興味がない。誰も面白がらない。だけど芸術性がある。それになんの意味があるのか? と言う事では無いでしょうか? それは自己満足でしかない。

だから「時代性が関係ない作品も少数ある」とも言います。つまり「時代性に関係ないが、皆にとっても意味がある優れた作品もある」と言いたいのだと思います。

でもそこまで普遍性が無い普通の作品において、ほとんどの監督は自分の作品を認めてもらいたいのだろうから、だとしたら時代性を意識し、商品価値も意識する事が大事なのだと思います。

加えて押井さんは「映画は絵画のように死んだ後世に評価される事なんてないし、そうあってはならない」とも言います。

昔と違い、今は世界中で目の肥えた人達が見てるのだから、後世にならないと評価されないなんて事は無いでしょう。今ある程度も評価されないなら、ずっとされない筈です。

この事も「天使のたまご」と言う作品を作った押井さんが、これを「作った後に違うと気が付いた」と言う事に意味がありますね。芸術家気取りの独りよがりな人にはなってはダメだと言う事です。

 

139ページ 「デビィッドリンチのツインピークスの時は何処かでつじつまが合うだろうとまだ思ってたが、けっきょく合わせる気なんてなかった」と言っています。

ツインピークスは見て無いので分かりませんけど、たぶんそうなのでしょう。だれもあれに答えがあると言わないですからね。

このような答えがけっきょくない映画も全否定はしません。ただ何かあるぞと騒いでいておいて何も無いのは詐欺ですけどね。エヴァンゲリオンですね。

全否定はしませんけど、答えはあった方がいいですね。ただ難しいのでやる人、やれる人なんかいるのかな? とは思っていました。

しつこいけど、だからこその「ピンドラ」ですよ。あれも何もなく雰囲気で出来てる様にしか見えないのに、全てに意味があり答えがあります。犬カレーさんがはまり、マギレコにがっつりイクニ要素を入れてくる気持ちは理解出来ます。分かってる人には衝撃的ですからね。

他にやれる人がいるのでしょうかね? いたらうれしいので今後あらわれる事を期待します。

 

150ページ 逆襲のシャア

この映画を見て「富野さんが本音を言った。富野さんは人類に絶望してたんだ」と押井さんは言います。

この辺のとらえ方と言い、私には漫画家の山田玲司さんに似てるな、と思いました。

山田さんは前にネットの動画で「押井さんは遠いい」と言ってました。自分とは違う感じの人だと思ってたようです。しかし実はある程度似てますね。

私は今回この本を見て押井さんと言う方の見方が変わりました。私にももっと遠いい人かと思っていたからです。分からない物ですね。

年もあるのでしょうけど、地に足が付いた人ですね。だからこそ多数の皆に話が通じる事を言う人でしょう。それは皆がためになる事を言える人だと言う事です。

ちなみに、ここで押井さんは「宮さん(宮崎駿さん)は富野さんに電話しておしゃべりしてた」と言っています。へーですよね? その電話してるのを見ていた押井守。異次元なシーンですね。

 

また長くなったので、ここいらでいったん切ります。

今回のページ数で150なのであと半分くらいです。

しかし後は段々細かな事が増えて来るので、あまり私が言う事は無いです。だから次で終わる筈です。

その私が言わない細かな事を知りたかったら本を読んでください。