Youtubeで中川翔子さんがなんでアスカはシンジと一緒にならないのか? と言うような事を言ってました。まあ、これが普通の意見です。
ただよく考えると、アスカがシンジとくっ付かないのも、相手がケンケンなのも合ってましたね。
この辺の所は、消去法でなんとなく作られてるかと思ってましたが、良く考え練られて出来てました。
映画「シン・エヴァンゲリオン」のアスカ周り考察です。ネタバレです。
あまりに良く出来ているので「実は恋愛事情をよく理解しているのかな?」と勘違いしてしまいそうでした。
でもそうでも無いと思ったのがアスカがシンジに「私も昔は好きだったと思う」と言う所です。これは男の妄想です。逃げて行く女が、実は自分にまだ未練があると思いたいと言う妄想です。残念ですね。
でも他はとても良く出来てたので、書こうと思いました。
ちなみに、じゃあお前は恋愛事情をよく理解してるのか? と言われたら、どうでしょうか? ただ結局はこれも人の心です。人の心がある程度理解出来れば、この程度は理解出来るのです。
まず、アスカとシンジだと相性が悪い事から書きます。
二人は似た者同士で、双子の兄弟のようです。だから仲良くはなれるが、同じ所でぶつかってしまい、付き合っても上手くはいかないでしょう。
でも「ケンカするほど仲がいい」等と言います。トウジと委員長はどうなんだ? となります。
一つ目は、問題はケンカする事より、それが大きな心の負担になるのか? と言う所です。アスカはシンジにぶつかります。心のままにぶつかります。この行動が、言いたい事を言った解放ではなく、負担になって行く描き方でしたね。それを言われたシンジも心の負担が増えて行くようでした。だからダメなのです。
二つ目は、自分の心を制御できる人か? そして問題を誰かの助けなしに上手く終わらせられる上手い人か? と言う所です。
アスカもシンジも暴走タイプです。戦闘になると、自分や周りが危ないと分かっていても止めれないタイプの人です。
そして不器用です。シンジは分かりやすく不器用だし、周りを考えてない人です。勝手に落ち込み、勝手に暴走する。アスカの方も人付き合いは上手くないし、生き方も上手くないのです。
どっちも親の問題でトラウマを抱えていて、どっちも親に認めてもらいたい。誰かに認めてもらいたい。だからこそ暴走する。そして結局の所、誰かに頭をなでてもらいたいのです。
これらを見ると、アスカとシンジは双子の様に似ている事が分かります。なぜか? それは庵野さんが作った二人の子供だからです。それと同時に庵野さんの二人の分身、コピーなのです。だから似てきます。
頭をなでてもらいたい人同士で、認めてもらいたい同士です。だからどっちも相手が気に入らない事でしょう。
でも愛があればなんとかなる? と思う方は中二ですね。
好きになるタイプと、上手く一緒に生きて行けるタイプは違うのです。
好きなタイプと上手く行くタイプが近い人は、結婚して上手く行くタイプです。
この逆は、誰と付き合っても上手く行かない人ですね。
始めは好きでも、一緒にいて相手の事がいつも気に入らないと、しまいに嫌いになって行くものです。だから一緒に上手く生きて行けないタイプだとダメなのです。
有名人で分かりやすいのが、明石家さんまさんんと大竹しのぶさんがいましたね。どっちも悪い人では無いだろうけど、どっちも一国一城の主であり主役なので、上手くいかないのです。城の主も、主役も一人で十分なのです。
この二人は離婚後も普通に会いますね。嫌いでは無いのです。でも一緒には住めない間柄です。住めばいがみ合い嫌いになって行くからです。
この二人に合うのは、サポートタイプです。脇役に徹する事が出来る人ですね。
ではアスカとシンジは? この二人も暴走タイプなので、どっちも脇役に徹することなど出来ない人達です。だからサポートタイプでないと手に負えませんね。
サポートタイプであり、頭をなでてくれるタイプであり、認めてくれる人が、この二人には必要です。
そしてどっちも我を忘れ暴走するので、その流れを一度は受け止め、それから受け流すようなタイプだと理想です。
そこでマリとケンケンです。
Qの始めではアスカが主攻撃であり、マリはサポートでしたね。
シンの方でもマリは始めからサポート役です。あのシーンはあくまで真ん中で何かやってる船員達が主です。マリはそれを防衛してるだけでしたね。
例えばあのシーンで、敵が動きを止めて見てるだけになったらマリはどう対応するのか? たぶんちょっと離れて見てるだけでしょう。サポートに徹せられる筈です。
ちなみに、それがアスカなら? たぶん「どうせ後で壊すのだから、今のうちに壊しても同じでしょ」とか言って攻撃する筈です。
そしてシンジなら? 「こいつらが全て居なくなればー!」とか言って暴走するのがシンジ君の役目ですね。
もっとちなみに、28歳のケンケンがエヴァに乗れてそこにいたら? もちろん敵が来ないのなら戦闘はしないですね。
マリもケンケンもどっちもサポートに徹する事が出来る人なのです。
しかもどっちもひょうひょうとしていましたね。マリは何考えてるか分からない行動、言動で、シンジ君をいらだたせないし挑発もしません。
ケンケンとアスカの会話もまるで長年連れ添った夫婦みたいでしたね。アスカに対し攻撃するでも無視するでもなく、上手く受け流せるのがケンケンでした。
そしてマリとケンケン、どっちも頭を撫でてやれるタイプでしたね。
だからこの二人は、シンジとアスカに相性ぴったりの様に出来ていたのです。
(21年4月18日追加、考えたらケンケンは何でも屋と言う仕事でした。何でだろうとは思ってましたが、相手に合わせてサポートが出来る奴だと言う事ですね。だからケンケンはアスカを支える為に存在し、アスカと合うように考え練られたキャラだった、という事になります。アスカ愛が感じられる設定だったのですね)
ちなみに、ケンケンとアスカは付き合ってるのか? たぶん違うと思います。
でも今後は付き合うだろうと言うのが、物語の最後の語られてた事です。
アスカの人形の中身がケンケンだった事。シンジもアスカにケンケンによろしくと言った事から、物語上ではアスカのお相手はケンケンだと言う事です。
最後、アスカは体も28歳になっているのだから、その後は普通にケンケンと付き合えばいいと思います。
(ちょっと余談ですが、ケンケンと14歳の体で水しか飲めないアスカが付き合ってる裏設定があったら、気持ち悪いですね。違うにしても、一緒に暮らしているケンケンはずっと独身であり、半裸のアスカと暮らしている事になります。それであの対応が出来るのなら、ケンケンはゲイですね。そうじゃ無いのなら、もう一声、裏設定が必要だったと思っています。数年前に亡くなった奥さんか彼女の位牌でもあれば完璧だったと思います)
でもシンジとは合わないとしても、なぜケンケンなのか?
一つはさっき言った様に相性がいいからです。
そしてもう一つ。昔のケンケンはアスカとは付き合えない様なキャラでした。アスカを支える事など出来ない存在です。まあ14歳だからそうでしょう。
しかし28歳なら? 大人になったケンケンならアスカの支えになれる。だからアスカとつり合いがとれる。そんな大人になりたくは無いのか? なら大人になれ、と言う物語です。気持ちが14歳のままの大人に対してもです。
だからと言って、立派な28歳になれても、アスカみたいな人とはそうそう付き合えないでしょうけど、大人にならない人は可能性も無いと言う事です。
そして大事なのは、ケンケンはほぼモブよりなキャラでした。つまり同窓会で「いたっけ?」と言われる存在です。
見てる人の多くは「いたっけ?」と言われる学校生活だったのでは無いのか? そんな14歳だったとしても、それから28歳までに誰かを支えられる大人になれたなら、もしかしたらアスカみたいな彼女が出来るかもよ? と言う夢を残している。実は夢満載なラストだったのです。
これが面白いのは、逆に女の人に対しても通じる内容だと言う事です。
つまり、王子様はいないよ。しかし14歳の学校にいたモブの様な男も、もしかしたら君と相性がいい男になっているかもしれないだろ? と言う事になるのです。
アスカだって結局元モブと結婚する事でしょう。だから君もその可能性を試してみたら? もしかしたら名前も覚えてないあいつ、いい男になってるかもよ? と言う事になるのです。この辺のメッセージはしょこたんにも伝わる事を祈っています。
なので、アスカにはケンケンしかないのです。シンジよりよっぽど相性がいいし、メッセージとしてもこっちの方が良いでしょ?
そしてこれはシンジにも通じる事です。
中川翔子さんはマリは年上でシンジ君とは合わない、と言ってました。
確かに14歳のシンジではダメです。しかし28歳なら? いや、28歳にマリとつり合いがとれる男になる様に頑張れ、と言うメッセージでしょう。
そしてこれも、大人にならなければマリとも付き合えないと言う事です。胸のデカい彼女が欲しければ大人になれと言う事です。これは下世話な事でも下品な事でもなく、オスとしての本能として普通の事だと言う話です。
ちなみに、この映画は男に媚びを売っている絵が多かったですね。これはそんなのに惹かれるのも動物としてのオスとして普通だと言う事ですが、それだけではありません。
こんな事で好きなオスに興味を引こうと女もまた、普通の行為だと言う事です。べつに映画の中では男の気を引こうとする女はいませんでしたが、メタ的なメッセージとして「こんなのに惹かれるのが男だ。好きな男をゲットする為だったら、それをいかせ、女よ」というメッセージです。もちろん、もろ刃の刃なので、ご利用は計画的にですが。
(どうでも良い事ですが、顔の良し悪しは生まれつきであり、アスカにはなれない。しかしこのアニメの様に、ケツアングルは誰でも見せれるのです。この変にヒントが隠されてると思うので、女の人は参考に……あ、どうでも良い事ですね?)
さてここまでが物語の表の話です。
表の話でもアスカとシンジとくっ付かず、ケンケンとマリなのが納得できる作りです。
ただしです。アスカとケンケンは物語上でも臭わすので、そうなっても分かります。
しかしシンジとマリは急すぎます。この二人の相性が良いと言っても、それが付き合う事は物語上のどこにも無い。だから不自然ですね。
だからこれは暗喩の理解が必要です。
つまりシンジ君は概ね庵野監督自身だろう、等の事です。
これは普通は良くないです。暗喩と監督の事が分からないと、物語が分からないのは禁じ手でしょう。しかしこの禁じ手すらエヴァ的に見えるので、エヴァならありなのです。どこまでも不思議な世界を25年かけて構築した賜物ですね。
ここからは面倒くさい話になります。
シンジ君は大体は庵野監督でしょう。
そしてマリとは、大体は奥さんの安野モヨコさんの事でしょう。
ではアスカは?
東浩紀さんと言う方の本を、誰かがYoutubeで説明してました。だから、また聞きも甚だしいので、疑って聞いて下さい。
東さんがアスカを「外からの使者」だと言ってたようです。物語上でも外からやって来るし、性格も他と比べ異質だからだそうです。
と、言っておいて、本の最後にアスカの口調を真似て「あんたバカ?」とひっくり返すそうです。
外からの者と言った所で、物語の中にある時点でもう外では無いと言うのです。この中の物を外からの使者だと思ったら、それは外の否定になると言うのです。
これが面白いのは、東さんはここでエヴァの物語上で庵野さんがやった、もしくは気が付いた事を模倣してる事です。上手いですね。
では庵野さんは何に気が付いたのか? もしくは気が付いていたのか?
アスカは聖子ちゃんだったのです。松田聖子です。
聖子ちゃんは私は嫌いでした。その後分かったのが、素の松田聖子は嫌いじゃないだろうと言う事です。
聖子ちゃんは作られた存在で、それこそアイドルだったのです。偽物です。しかもどこかのおじさんが作った偽物です。だから気持ちが悪い。
ファンは実際の聖子ちゃんのファンだと思っていました。実物の人がいるし、声も聴ける。だから実物の人間を好きな気持ちでいたのでしょうけど、実は好きだったのは脳内聖子ちゃんです。
作られた者で、それを自分の脳内で更に作り上げ、それに恋をしてたのがファンのほとんどです。
これとは別に「オタ芸」がありましたね。昔これを見た子が言った言葉が印象的でした。「見てないじゃん」と言う事です。オタ芸をする時は、アイドルだろうが何だろうが見て無かったですね。つまりもはや実物すら見て無いで、脳内アイドルを応援していて、更に応援している事の自己満足です。
ではアスカは?
たぶん庵野さんが外から取り入れた部品で作ったアイドルだったのでしょう。
レイ等とは違い、外からの情報で人間らしく作ったのがアスカです。
これが外からの使者で、シンジ事自分と釣り合う相手になる予定だったのでは無いでしょうか?
しかし気が付いた。これもただ外からの情報を元に脳内で作り上げた偽物だと言う事にです。
アスカもまた、自分が作り上げた理想のアニメキャラでしかないと気が付いた。
脳内キャラと一緒に脳内世界にいるのは良くないと思った。だから外から自分を救う使者を作った。
しかしそれも脳内キャラでしかないと気が付いた。だからそれに絶望して、旧映画版で首を絞めて殺そうとしたのです。しかし殺せなかった。好きだからです。そして自分自身だからです。
アスカ以外の他の者は単純な性格のものが多い。だからどこかのアニメキャラや実在の人から取ってきたもので性格が作れる。
ただ複雑になると難しくなる。他人の全てを知ってはいないのだから、どうしても分からない所が出て来る。そこを何で埋めるのか? もちろん自分です。それしか知らないからです。
アスカは悩み怒り恥ずかしがります。複雑な性格がある。だから自分の理想であり他の場所から見付けて来た要素で作り上げたのに、結果庵野さんで足りない所をつないで出来たのがアスカです。
シンジはほぼ自分でいいので簡単です。もちろん他の人やキャラの要素も含まれますが。
結果、庵野さんの二人の双子の子供になったのが、アスカとシンジなのです。見方を変えれば、庵野さんの二人のコピーの出来上がりだったのです。
だからこの二人は似てるのです。
シンエヴァでアスカは怒ります。結局どうするか決めなかかった事に対してです。
これは前回Qの事もあるでしょうけど、旧映画の事でもあります。旧映画で殺せず、しかしシンジと付き合って大団円にも出来ず、ただ何も決めれず終わった事に対しての反省です。これをアスカが言ってシンジが答えるのは、この二人が庵野さんの脳内の分身だからです。
(話はずれますが「Q」とは何か? ウルトラQか? 寺山修司のテレビ番組か? 急か? と思っていたら旧エヴァの旧も入ってるなと思えてきました。 ああそうそう、ちなみに答えは全てでしょう)
そして新映画版ではこれらに決着を付けに来た。
しかし前言った様に、大枠は変えない人ですね。やり方を変える。よくやるね。
だから今度こそは間違わない様に、本当の「外からの使者」を呼んだのです。
マリです。この人がこの庵野さんの脳内世界から外へ連れ出せる存在です。外からの繋がりをもたらす事が出来る存在なのです。
名が「真希波・マリ・イラストリアス」です。
真希波の名は、日本海軍の駆逐艦ではなく、自衛隊のあやまみ型護衛艦から来てる筈です。
そしてイラストリアスはイギリスの空母だと思います。
あやまみ型で合わせる為、日本の船の名になる訳です。そこに他国の船の名をかぶせる事により、マリは外からの者が混じっていると言う事です。
そして「イスカリオテのマリア」ともじって言われてました。
イスカリオテはユダの名です。裏切り者の名で、ネルフの裏切り者の事ですね。
そしてイスカリオテはそもそも出身地を表しています。他のキリストの弟子とは違う出身者とこれで分かるのです。つまりマリだけが違う所から来たものだと言う事です。
そしてマリと言うキャラだけは庵野さんが作ったのでは無いそうです。他のスタッフが作ったキャラがマリです。つまりマリは本当に庵野さんの精神世界内で、庵野さんが作ってない者だったのです。
そしてマリには奥さんモヨコさん要素を付けましたね。これはスタッフが付けたのか庵野さんが付けたのか分かりませんが、モヨコさんだから庵野さんと対等な存在にもなるのです。
だから大人庵野さんの分身、ゲンドウの事をゲンドウ君と呼ぶのがマリです。対等なのです。
それと同時にエヴァの中で子供庵野さん、シンジ君を見付けるのがマリなのです。
マリはモヨコさんでもあるが、他のスタッフが作った異質な物の象徴でもあります。
アスカで失敗して絶望した後の、本当の異質な者、外からの者、それがマリだったのです。
そして今度こそ、このエヴァの世界の外からの者と、手をつなぐ時が来たのです。
手をつなぎ、今度こそ本当にこの世界から出て行く為には、マリがどうしても必要だったのです。
マリアの名は「マグダラのマリア」からでしょう。この人はキリストの妻じゃ無いのか? と言われている人です。
つまり神キリストの存在を、人にしてしまうのがマリアを妻にする事なのです。
神話になれと言われ、神になろうとした中二の象徴シンジが、人として生きて行くことを選んだ事を表すのが、マリと手を取り外の世界に行く事だったのです。
と言う訳で、アスカだとダメなのです。
アスカは自分自身なので、それと手をつないでも何にもならない。
そしてアスカは作られた存在、つまり理想のアニメキャラでもあります。それと手をつないでも外には出れない。
物語上でも、暗喩でも、どっちであってもアスカだとシンジを救う事は出来ないのです。
それはシンジだとアスカが救えない事の裏返しでもあります。
アスカとシンジは裏と表なのです。最後は見えなくなるが、背中で温かみが感じられる存在です。ちょっとポカポカする存在です。
だからシンエヴァの作りで合っています。
とても良く出来てましたね。
最後のホームの向こうに見えてたのは、子供の彼らです。
永遠の子供のアニメの彼らもどこかにいてもいいだろう、と言う肯定の終わり方だったのです。
だからそれとは別に大人のアスカもどこかの世界にいる事でしょう。
アスカとは明日香か? 飛鳥か?
一人飛んで行く鳥を見ても悲しむ事は無いのです。
その鳥は、仲間の元へ、そして生きて行く明日へ戻って行くだけなのですから。