号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

逃げも隠れもしなかった男の物語(連載途中)

映画「アステロイド・シティ」考察、二回目です。

 

その前に、近況を少し、

このブログ、最近更新してませんでしたが、止めたわけでも、死んだわけでもありません。

単純に書く事が無いからです。

無限に書く事などは無く、どうしても同じような事になるから書かずにいました。

今後はもっと間が空くかもしれませんが、たぶん死んではいない事でしょう(一年空いたら死んだと思って下さい。変な意味ではなく、人間どこかで死ぬのですから)。

 

なので私にしたら珍しく、前に見たのを見てみました。

今現在アマゾンプライムで出てたアステロイドシティです。

みたら面白いじゃないですか!

それに、前は分からなかった所をじっくり考えたら、なんとなく分かってきました。

分かってきたら、なお更良く出来た作品だった気がして来たので、今回足そうと思った次第です。

 

 

まず、大体は前回の考察であっています。なので、まだの方はみて下さい。

 

 

この話は、表にカラーの話があり、そこが物語内で役者が演じている話になっています。

その裏に演じている役者の世界が白黒であります。

更にその裏に、それを(再現で)撮っているテレビ番組があると言う構造でしたね。

これが上手いね。

 

まずゼレンスキーは演説がとても上手いので「裏に作家がいるな」と言われてました。

その事も含め、「表の裏に作家がいる」と言うのを表していた映画でした。

この裏の作家を表したのが、劇中の劇作家にあたるシューベルト・グリーンです。

 

それとは別に物語内には作家のコンラッド・アープもいたが、彼の方は、たぶん、ゼレンスキーを大統領におしたオリガルヒ、イーホル・コロモイスキーの事かな?

アメリカはコロモイスキーを入国禁止にしたそうなので、映画内では(暗喩として)死んだ事にしたのだと思います。

彼は映画内で主人公とキスをしてたが、これは現実で「仲が良かった」事を表しただけの暗喩でしょう。

 

これを大外でテレビで撮っていると言う映画でしたが、これらの「ウクライナ戦争関連の事全てを、テレビで見ているのが私たち」の事を表していたのでしょう。

 

シューベルト・グリーンに話を戻します。

彼は現実に裏にいる人の暗喩か? もしくはゼレンスキーの裏にいて助けている人達全ての暗喩か? は分からないが、どっちかでしょう。

少なくとも、ロシアと戦っているウクライナ人だと言う事です。

「彼に嫁がいたが逃げられた」と言う話でした。この奥さんが中国の事でしょう。

元々ウクライナは中国と仲が良かったのだが、ロシアが戦争を始め、ロシア側に付いたのでウクライナとは疎遠になっています。この事でしょう。

 

シューベルト・グリーンが、スカーレット・ヨハンソン演じる、電車で帰る女優に手紙を送った人です。

手紙の内容で、明らかにシューベルトは怒っています。だからスカーレット・ヨハンソンはフランスですね。

戦争の初めころは、フランスはロシア寄りのコメントばかりだったので、ウクライナは怒ってました。この事です。

映画内では「それでも帰って来てくれ」と言っていて、暗喩が分からないと変なシーンですよね?

戦争になり、ウクライナはフランスも必要だったので「帰って来て助けてくれ」と言っている事を表していたのです。

 

シューベルト・グリーンって名だからか? 緑の宇宙船を作ったのがこの人、と言うシーンがありました。なぜ宇宙船が緑なのか?

たぶんですが、ウクライナの旗の色の、青と黄色を混ぜると緑です。

だから緑の地、すなわちウクライナにやって来たプーチン(か配下)と言うシーンなのでしょう。

ちなみに宇宙人は黒っぽかったです。緑にロシアの赤と青を足せば黒です(実際は白もあるので灰色になるが、旗と同じ割合で混ぜたら黒っぽい灰色でしょう)。

 

主人公、オーギーの義理の父親がトム・ハンクスだったが、彼の登場シーンは電話シーンで、電話と手袋が白でした。ベラルーシ白ロシアの事だからでしょう。

トム・ハンクスの服の色は、ウクライナの旗を裏返した色です。「反ウクライナ」と言う事でしょう。

 

演技学校の様なシーンで「未来に輝く原石の卵、の様な役者がいる」と言うセリフがあったが、それを表してたのが「車を直そうとしたメカニック」「中国人みたいな人」「学校の先生」「カウボーイのようなモンタナ」そして「スカーレットヨハンソン」と「主人公」でしたね。

主人公はウクライナだとして、他の人がEUかNATOの主要国家の事でしょう。

スカーレットヨハンソンがフランス、とはもう言いました。

学校の先生がイタリアかな? 元々都市国家が集まったような国でしたから、小さな子供を統率する先生で表したのかと思うのです。

中国人はドイツか? ポーランドと一緒に中国と仲がいい国ですからね。

後の二人が分からないが、イギリスはいるだろうし、しかしモンタナの方ではなさそうなので、メカニックがイギリスか?

残りのモンタナがカウボーイみたいなので、アメリカか? とも思うが、アメリカだとちょっと弱いかな? だとしたらスペインかな?

モンタナがスペインだとしたら、やはりアメリカがいないのだが、アメリカはそのままアメリカ大統領と言う事で出ていて(絵では出て来ないが)、彼はここ、ウクライナから遠く離れた所にいる事も表していると思うのです(この映画が作られた2022年から23年頃のアメリカの事だからです)。

 

前に言った様に、天才の子供五人がウクライナの隣国の事です(父のベラルーシと宇宙人のロシアは抜かしてです)。

主人公の実の子が同じ元ソ連なのでモルドバ

それとくっつく女がルーマニア

さっき言った様に中国と仲が良かったポーランドが中国人ぽい子。

チャレンジばかりの子がハンガリーか?

残りの子がスロバキアかな?

 

その親も五人いるが、なぜ親なのかは分からない。ただ関係が深い国なのは確かでしょう。

ポーランドの親がドイツ。

ルーマニアの親がフランスなのだが、実際の国の細かな関係性は、私にはもう分からない。

スロバキアチェコで、ハンガリーオーストリアなのかな?

面白いのは、ちゃんとチェコオーストリアを表す親は、さっき言ったEUかNATOの主要国家を表す、俳優の卵からは外れていると言う事です。当たり前ですけど、ちゃんとやってるね。

 

始め、車を直す時「一度目は簡単に直ったが、二度目は酷かった」と言う様な事を言ってたのは、第一次大戦と第二次大戦の事かな? 二次大戦時はウクライナはドイツとの激戦区だろうから。

今回の三回目がウクライナ戦争の事で、「見た事も無い奇妙な壊れ方」で奇妙さを表していたのでしょう。

 

さて、大事なのは「なぜ主人公オーギーはカメラマンだったのか?」と言う事です。

結論から言うと、最後の「亡くなった母役の女優との会話の為」でしょう。

 

まずぞの前に、ネットで面白い事に気が付いた人がいたので、その事を書いておきます。

オーギーが妻役と会った時に話した会話で、吹き替え版だとオーギーは「ああ、女優を演じた妻」と言います。

元の英語でもそうです。でもおかしいでしょ? 「妻を演じた女優」じゃ無いのか?

でもこれが面白い。妻がソ連の暗喩だとしたら、妻=ソ連なのです。

つまり女優を演じたソ連と言う事で、映画内で女優役を演じているソ連の事になり、これで暗喩上ではあっているのです。だから間違いではなく、ヒントなのかな?(誰も分からないだろうけど)

 

そしてその前の、オーギーが手を焼いたりする演出が分からないと言って、演出家に会いに行くシーンの会話です。

 

でも更にその前に、まず手をコンロで手を焼くシーン、コンロの伝熱線の形がZが連なったような形でしたね。

ロシアがZのマークを付けてウクライナに攻め込んできたので、その事です。

それでウクライナの片側を痛めつけられた事を表してました。

 

そしてオーギーとシューベルト・グリーンの会話です。

細かな事は映画を見て下さい。オーギーがゼレンスキーだと思って聞いてみると、話が通りますよね?

 

最後の方「人生の意味とか」とオーギーは言いますが、ここの意味は「この演劇は、人生の意味を説いてる演出じゃ無いのか?」と聞いているシーンです。

これに対しシューベルトが、日本語字幕だと「たぶんね」と言います(吹き替え版では「そうかもしれない」)。

それに対しオーギーは「それが謎だ」と言います(吹き替え版では「それが僕の質問だ」)。

 

ここで「人生の意味」と訳してる元は「meaning of life」だそうです。

つまり「(Life)の意味」と言っているのであり、暗喩では「(命)の意味」の事を言ってるのです。

それをゼレンスキーは「それ(命の意味)が問題(謎)だ」と言っているシーンです。

その後の会話で、オーギーが「(play)が分からない」と言うシーンを「(演技)が分からない」と訳していますが、暗喩的にはplayは「対処の仕方」か「策略」の方の意味でしょう。

つまり暗喩的に言い換えると「ゼレンスキーは、命の意味(価値など)が問題であり、それを踏まえ、どう対処するべきか悩んでいる」と言うシーンです。もちろん人が死んでいく戦争の対処の事です。

戦争初期、「戦い通せ」とか「降伏しろ」とか、好き勝手色々言われてましたからね。

分かれば、結構、名シーンじゃないですか?

 

そして最後の妻役とのシーンです。

前にも言った様に、妻はソ連の暗喩です(妻の水着の寝そべった写真は、ソ連の地図を真似ているのでしょう)。

妻が戻らないのは、ソ連はもう戻らないと言う事です。

 

最後の方で妻は、字幕では「(写真を)現像できるかしら?」(吹き替えでは「撮れてると良いけど」)と言います。

それに対しオーギーは「僕の写真だからね」(吹き替えでは「腕は確かだ」)と言います。

 

なんとなく分かると思いますが、日本語字幕の方が原文に近い文です。

それに対し、吹き替え版では、口語で自然になる様に変えてあります(もちろん、意味は通る様にですが)。

これは暗喩などの裏の意味が無ければ良いのですが、それがあると吹き替え版では意味が通らなくなります。

この映画のさっきの「命の意味」のシーンや、この写真の現像の事を言うシーンの、謎の盛り上げる演出と、会話の内容が合ってないと普通思うでしょう。

これは、暗喩の方に演出を合わせているからですが、まあ分からない方が自然ですけどね。

 

さて、妻の「現像できるかしら」の元は「I hope it comes out」なのだそうです。

「come out」で「現像する」と言う意味もあるようですが、よくある意味は「出て来る」と言う様な意味ですね。

つまり「出て来ればいいけど」と妻が言っているシーンです。誰が? もちろんプーチンがです。

 

それに対するオーギーの言葉が「All my pictures come out」で「私の撮った写真」 と言う意味に聞こえます。

これを写真家のオーギーが言うからには「写真家のボクの写真だから撮れてるに違いない」と言う意味だと思うのが普通です。

しかし暗喩的には「私の映像、もしくは状況、状態、は全て出している」と言う意味であり、「私(ゼレンスキー)の方は(プーチンと違い)逃げも隠れもしてない」と言う意味なのでしょう。

(pictureの意味が写真だけではなく、絵とか映像とか状況、状態と言う意味もあるので)

ここも名シーンじゃないですか?

 

この暗喩でかけた言葉を言う為に、主人公オーギーをカメラマンにしたのでしょう。

まあ、良く出来てましたね。

 

 

全体として、ポップで見やすく、面白く、そして短い物語で、暗喩が分かるととても良く出来た映画でした。

たぶん、後世になれば、ずっと評価が上がる映画だと思います。