号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ニュースなどを見て思った事。23年6月8日

題名を変えると分かりづらくなるので、「ニュースなどを見て」となっていますが、ニュースではなくyoutubeを見て思ったことを書きます。

ただ、ニュースと同じく時事ネタなので、同じ様な部類だと思います。

 

素人意見です。たたき台として見て下さい。

 

AI関連の事を言っている動画が、ランダムに何本か出てきたので見てみました。堀江さんや茂木さんが、誰かと話している動画です。

 

AI関連で大事なのが、人に近づけると言う事です。

人に近づくことにより、人と同じようなことが出来る。そして、人と同じことが出来た瞬間に、人を超えていくのがAIです。

となると「人とはどういうものか?」が今は大事な時期なのでしょう。

 

そうなると堀江さんや茂木さんが得意ではない分野だと言うことです。

たぶんですが、多くのAI関連の専門家も、人に詳しい人では無いはずです。

だから、これからのAI開発には、人に詳しい分野の人が必要になる事でしょう。

 

堀江さんは「AIは、もう感情があるのじゃないのか?」みたいな事をいってました。茂木さんは「ジョージ・ハリソン(だったと思うけど)の個性はどこから出てきたのか?」みたいな事を言ってました。

つまり、人を理解してない(今まであまり考えてこなかった)人達なのでしょう。

 

今のAIで感情があると思っている事自体、堀江さんは人が分かってない。本当に人の感情とかが分からない人なのだな、と再確認しました。

堀江さんの聞き手の人は分かっているから、他我問題を言っていて「感情がある様な行動が出来れば、感情のあるなしなど他人には分からないから、同じだということでしょ?」みたいな答え方を言ってましたが、どうも堀江さんは分かってないような口ぶりでした。

 

堀江さんは、機械的な返しが感情だと思っているようです。

それは間違って無い気もしますが、問題は、堀江さんが思うよりもっと複雑な要素からできてる、と言う事が分かってないようでした。つまり単純に考えている。

感情が生み出される複雑さが分かってないから、茂木さんもジョージ・ハリソンの個性が分からないのでしょう。つまり二人は同じ部類の人達です。

空気が読めない人達であり、細かな外の世界が感じられない人達なのでしょう。

 

でもこれは、ただの個性であり、得手不得手、得意不得意の世界の話です。

だから個人を否定をしてるわけでは無いのは、言っておきます。

 

人に付いて、私なりの考えを話します。

まず、人には本能的な生まれつきの感情がある。

青空が美しいと思ったり、夕焼けが美しいと思ったり、曇天は美しくないと思ったりする事です。

他にも、花鳥風月はそれぞれに美しい、または汚い、等々の感情が生まれるのが人ですが、そこに(人それぞれの)理由はありません。ただそう思うように生まれつき出来てると言うだけの話です。

 

ただ生物的に、そう進化した理由はあるでしょう。

女の人がピンクや赤を好むのは、果物がその手の色をしていて、それに引かれるように出来ているからだと言われています。

 

他に、男女関係なく生死に関係するものに、強い感情が動くように出来てます。死体や骸骨、怪我した人や血が出ている様子に、強く感情が反応するように出来ています。

それは、そう言う物を見た時は、生物的に危ないときなので、強く反応してどう行動するかすぐ考える必要があったからでしょう。

例えば、人がまだ言葉を話すようになる前だとして、「朝、目が覚めて、周りの人達が怪我をしていたり、死んでいたら、自分にも死の危険が迫っている」と言う証拠です。熊でも出たのか? がけ崩れでも起きたのか? とにかく死の危険が迫っているから、どうするか瞬時に行動する必要があるのです。

 

そこから発生して、暗闇を恐れるのも同じ理由です。

夜行性ではない人にとって、暗闇は見えないし、夜は寝るので、何かと死の危険が近づくからでしょう。

 

他にも、特に男についてですが、裸の女に反応します。

これも生死に係る事であり、生殖に係る事なので、強く反応する事で子孫繁栄に繋がったのでしょう。

 

なので、生死に係ることには、強く感情が動くように生物は出来てるのです。

 

それが(動物ではなく)人だとどう言う反応が出るのか?

例えば絵を書いたり、彫刻をほったりする時に、感情に強く反応するこれら生死に係ることを入れる事が多くなり、それらは心に刺さる絵になったりするのです。

だから裸婦像が多いし、死や不安を感じられる絵も多いのです。

 

などの「そうなった生物上の理由」はあるでしょうけど、個人にとったら「ただ生まれた時から、そうなっていた」と言う事であり、個人的にはそうなった意味は無いのです。

それぞれ「生まれ付きの感情がある」と言うだけの事です。

しかし、個体差はあります。それは身長、体重や、見た目に個体差があるように、感情にも個体差があります。

好き嫌いに、生まれつきの差もあるのです。

 

そこから更に「生きていく上で、成長過程での差」が生まれます。

 

雨はほとんどの人にとって鬱陶しいでしょう。

それは雨の日に外に出て、寒い、濡れて気持ち悪い、などの経験があるからです。

そこから雨だから出かけられない、とか雨だからジェットコースターに乗れない、などの経験があったはずなのです。

もし逆に雨が全然ふらない世界にいて、しかも農業をやっている人だったら、雨に否定的な感情は生まれなかった筈です。

 

他にも、子供の頃高い所から落ちた、犬に噛まれた、狭い所に閉じ込められた、親とはぐれた、病気で死にかけた、車に引かれた、等の事も、経験上トラウマとして染み付くものです。

これは脳がある動物にとって、個体差、地域差の危険を覚えるために生まれたものでしょう。

 

子供の頃に、勉強を褒められた事があれば、勉強をして、勉強をする力を持った大人になったことでしょう。

他にも、スポーツで褒められ、いい思い出があれば、スポーツをやっていって、体が元気になり、身長も大きくなりやすかった筈です。

音楽や絵などもそうです。

たまたまの経験から、好き嫌いが別れるし、特徴や得手不得手も、それぞれ経験からちょっとずつ変わっていくのです。

 

音楽や絵が好きになり、それを極め、最後には仕事が出来るまで行けた人がいるとします。

その人が聞いて来た音楽や、見てきた絵に影響があるのは、言うまでもないでしょう。

例えば、昔生まれの人でクラシックと呼ばれるものしか聞いてこなかった人が、演歌を作ることはないのです。

江戸時代、浮世絵を書いていた人が、少女漫画を書くことはない。ダヴィンチがガンダムを書くことも無いのです。

 

家に庭を作ろうと思った人がイギリス人なら、イギリス風の庭を作ることでしょう。

しかしどこかで日本に行き、日本庭園を見ていて、それに感動を受けたのなら、日本庭園の影響がある庭を作る筈です。

 

つまり生きていた上で、たまたま出会った物の影響をうけるのが人だと言うことです。

そこに、生まれつきの感情が合わさり、それを良いと思えたのなら、それを良いように受け入れ、自分のものにする。

例えば、日本風の何かが良いと思えたイギリス人だったら、それを受け入れ、それの影響が物づくりに出てくる。

日本風の庭が好きだと思ったから、日本風の音楽も聞いてみよう、となり、だから日本音楽も好きになる。しまいに日本に行く事が多くなり、日本人の女性と結婚したりする事もあるでしょう。

たまたまが、人の作りや感情に影響があると言う事です。

 

逆に、それらに悪い印象を受けたのなら、逆の感情が生まれる。

嫌な日本人が隣に住んでいたのなら、日本人も嫌いになるし、日本の文化も嫌いになる事でしょう。

もしヒトラーが子供の頃に、たまたま彼に優しくするユダヤ人の隣人がいたなら、歴史は変わっていたのです。

 

それら「生まれつき」と「生きていた上でたまたま出会った物」、特に「良いような感情が生まれるような出会い方をした物」の影響が強く残り、人の個性が生まれるのです。

ジョージ・ハリソンの個性とは、それらから出来上がったものでしょう。

しかし、その人の人生など全ては追えないし、自分自身でも全ての影響は分かってはいないでしょう。

その中で可能性として、珍しい個性が生まれる事があり、それが良い方向で出た時に、天才と言われる芸術家や学者が生まれるのです。

 

つまり、これらの複雑な物を再現できれば、ジョージ・ハリソンの個性も生み出せる筈ですし、逆に言えば、これ位の複雑さがなければ生み出せないという事です。

 

出て来る感情もそうです。

例えば堀江さんで言えば、昔に警察に捕まった事が、今の彼の感情に大きく関与しています。

もしあの時捕まらず、世間に受け入れられていたら、今の彼の怒る内容が変わっていたと思いませんか? たぶん違う筈なのです。

これは、周りの影響が、今の感情を左右すると言うことです。

 

他にも、これは堀江さんも言ってたけど「体の状態が精神に左右する」というのもあります。

単純に体調が悪いと落ち込むし、怒りっぽくもなります。

頭が少しだがずっと痛ければ、出てくる感情も違って来ると言うことです。その人はずっとイライラしている事でしょう。

 

これらの複雑な影響から出て切るのが感情です。

それは言い方を変えれば、これら、複雑な要素がなければ、自然な感情を作り出せないとも言えるのです。

 

これは「人としての複雑さが増せば、人の感情になる」と言う事であり、量の問題です。

だから、線引きはなく、だから今のAIが感情があると言う人もいることでしょう。

だが、まだ単純すぎて、あれで感情があるとは多くに人が納得しない筈です。

それを感情があると思ってしまう堀江さんは、やはり、人の感情分野は不得意だと言う事です。

 

(ちなみに、ずっと堀江さんの否定的な事ばかり書いているけど、本当に否定的な人の話など私は聞きもしません。

あの人の話は聞くに値すると思っているから聞いているのです。

そして凸凹が大きい人だから、その中に否定的に物も出やすく、それを素直に言ってるだけです。

堀江さん自体の否定ではないので、それは言っておきます。

本当に聞くに値しない人、文句も言うに値しない人など、他に沢山いると言う事です)

 

そして茂木さんも単純に考えているから、個性が生まれるという事が理解できないのでしょう。

個性など、そこまで神秘的ではないが、世界の情報とその中での人生から出てきてる為に、再現が出来ないほど複雑に出来てるだけの事です。

 

 

では、今後、AIに人の事を分からせるためには、どうするべきか?

それには、どの程度のシュミレートをするべきか? に係っていきます。

 

例えば、最初のスーパーマリオを思い出してください。

あれのマリオは、下に床がなければ、下に落ちます。

でもあの世界に重力はない。ただ、制作者の頭の中に重力があり、そういう風に見えるようにしているだけです。

 

でも今、やろうと思えば、重力がある世界をまず作り、その中でスーパーマリオだって作れます。

そうする事によって、自然な重力の作用が及んでいるように見えることでしょう。例えば、上から砂が落ちてくる、水が落ちてくる、等の細かな物が落ちてきて、それが溜まって作用する面でも、自然に見える形で作ることも出来ることでしょう。

つまり、自然な重力が作用した、事細かな面を作ることさえ出来るのです。それが面白いかはまた別ですけど。

ただそれだと、飛ぶ羽がついた亀とか、落ちてこない大砲の弾には、逆に浮力をシュミレートしないといけなくなるなど、パソコン能力と面倒事が増えるので、本当にゲームとしてそれが必要か? と言う、実用性の問題が大事になるのです。

 

しかもその下に落ちる重力をシュミレートしたとしても、まだ不完全です。

本当なら万有引力をシュミレートして、下にとても大きな物があるから(地球があるから)下に引っ張られる、と言うのをシュミレートするのが、もっと本当に近づく事でしょう。

ただ、これもそれがゲームとして面白いのか? だからそれが必要か? という問題が発生します。

しかも、それを実行するパソコン能力を多く使うだろうから、それに係る能力と、必要性との兼ね合いになるのです(もっと言えば万有引力のシュミレートは、パソコン能力上、実際無理だろうけど)。

 

さて、AIに戻り、AIでもどれほど人をシュミレートするのか? 問題が出てきて、それに今言ったマリオのゲームの様に、必要性とパソコン能力等の兼ね合いを考える必要が出てくるのです。

 

AIに人の事を分からせるためには、人と同じ様な感覚を付けるのが良いでしょう。

まずは、感情を付ける。疑似でいいので、喜びや恐怖や悲しみをシュミレートさせるのです(時間の概念も必要ですね。長く待たされるのは辛いとか)。

人と同じ様に青空が美しいとか、死が怖いなどの、共通の感情をまず教え込む。

そこから、疑似人生を送る様にする。その中で、トラウマや喜びから、人がどの様な事に興味を描き、どの様な事が起きるのか? を学ばせます。

その途中に怒るイベントにより、AIそれぞれの特有の特徴が生まれる事でしょう。だからそこから、予期せぬ新たな何かを生み出す、芸術性なども持つ事が可能です。

 

そして大事なのが、絶対命令として、自分が嫌なものは、人にもやってはいけない、と教え込むことです。

これは人が元々持っている「生まれついての外せない本能」とかでは無いのですが、危険防止のために入れないといけない要素です。

この要素は不自然ではあるのですが、人のためになる為のAIを作っているのだから、それは絶対やる必要があります。

 

この様に、人の事をシュミレートすることにより、より人として自然な行動が出来るAIが作られることでしょう。

(もちろん、3Dの疑似肉体を持って、運動させてもいいし、ロボットの様に実際の体を与えてしまって、それで体験させても良いけど、どっちであっても肉体的な物もシュミレートする方が、より人を理解出来ます)

 

しかしです。はたしてそこまでやる必要があるのか? と、それはもはや新たな生物ではないのか? という問題が出てきます。

そしてその新たな生物は、人と同じ要素を持っているが、人を超えた事が出来る超人なのです。つまり人ではかなわない、人を超えた生物を作り上げる、と言う事です。

 

だから、たぶんやらないでしょう。

そうなると、もっとレベルの低いシュミレートにする筈です。

単純に、人はこういう事を嫌うから、こういう事を人に対してしてはいけない、と覚えさせる。

そして、こういう時には、こういう反応をするようにと、覚えさせもする。悲しい出来事の時には、悲しんでいるような言葉使いをするようにするとかです。

これが、初代スーパーマリオで言う、下に落ちるように作られたプログラムと、同じレベルのシュミレートだということです。

あくまで理由などは創り手の中だけにあり、結果だけ似るようにシュミレートするという事です。

 

これでも頑張れば、かなりそれっぽい行動をするように作れるは筈です。

ただ、敏感な人には「どうも細部はどこか変だ?」とは気づくのが、長らく続く事になると思います。

それに芸術作品でも、長らくはあまり面白くは無い物を作る事でしょう。

なぜなら、単純なレベルの教え方だと「多くの人に共通した本能や、人生から作られているが、しかし奇跡的な確率から生まれた物」と言うのをシュミレートするのは難しいからです。

これは確率を大きくしてバラバラにすれば良いものでもない。

あくまで「人の感情から大きく外れない人が、人の人生から大きく外れない人生をおくり、しかしその中であらわれる奇跡的な組み合わせから出来るのが、芸術」だからです。

だから人をシュミレートしないで、結果が人と同じにするには、大変だと思います。

 

とは言っても、かなり近づく事は出来る事でしょう。

それに、同じにはなれない方が、人にとったら良いのかも知れませんけどね。

 

さて、絵を書くAIも出てきてます。

あれもそうで、これからは種類の違う能力が必要になると思います。

単純な機械学習だけでは、限界があるという事です。

AIだと、手の指がおかしくなりがちなのだそうです。

あれはAIが「人とは指が五本だ」と分かってないからです。

そして人は、指の形がどういう物か大体分かっているし、指の動きも知っています。中指が長いとか、反対方向には曲がらないのを知ってるという事です。

つまり、指をおかしく書かないためには、これらの3D情報を知っている必要があるのです。

単純な機械学習でも段々近づけるだろうけど、それよりは3Dデータを別に持ったほうが早いと思います。

ただ、これは人の絵だけの話だけど、他の絵を書くにも常識が必要です。

細すぎるビルは倒れるからありえないとか、建物の途中から木や緑に変わっていくことは無いとかです(AIが書いた廃墟の絵を見ましたが、建物の構造がおかしく、建物と緑がグラデーションで混ざっていました。もちろん象徴画だと思えば面白いのですが、その言い訳が毎回通じるわけではないでしょう)。

 

これら常識を単純に教えるか?

もしくはネットから、自分でこれらの常識を溜め込んでいく機能を付けるかです。

指の形や動きや大きさをネット上の絵から自分で3Dデータにして、それを常識として記憶しておく、という事です。

ただそれをやる為に、これからは単純な機械学習とは、また別の機能を付ける必要があるでしょう。

 

つまり、ある程度以上にAIに何かをやらせたいのなら、単純な機械学習だけでは難しく、ある程度の人のシュミレートをさせる必要があると思います。

なので、急にこれからAIが進むだろうと皆言ってますが「ここから進むには、ちょっとまた時間がかかるだろう」と言うのが、私の意見です。

「ちょっと」と言うのが一年か? 五年か? はたまた10年かは分かりませんが、これからは、つくり手がちょっと悩むと思います。

 

ちなみに、人に近づくには、ちょっと時間が掛かりそうだが、そうじゃなくても多くの事が出来そうなので、そういう意味では注目しておく事には変わりません。

人に近づかなくても、人の仕事は奪っていくかも知れないという事です。

 

 

最後に、まだ「AIが出てきたら貧富の格差が広がる」等と言っている人がいます。まだそんな事言ってるの?

 

今だって国が税率を決めてます。

つまり、貧富の格差も、すべて国の税率と、取り方次第だと言う事です。

今だって、金持ちから全ての金をまき上げる法律を作ることだって出来ます。

つまり国次第なのです。

AIが出て来ようが、今時点だろうが、税率と税金の取り方次第で、貧富の差なんて、自由に出来るのですよ。

 

どこの国でも、世の中、金持ちじゃない人の方が多いです。

そして多くは民主主義国家なのに、貧富の差を是正しない方に進んでいる国々ってなんなのだろう? と日々思います。

たぶん、心の広い仏様の様な国民ばかりなのか? ただのアホばかりなのか? の、どちらかなのでしょうね。