映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」感想です。
やはり「自分の事を書け」が、物語制作の基本になるのでしょう。
自分の事が、一番良く知っていて、一番気になっていて、一番深く追求できるのだから、まずは自分の事から始めてみる事が、物語制作を始める手助けになる事でしょう。
第一印象は「まるで子供の作り話だな」と言う事です。
そしてたぶん間違ってはいない。
子供は、気になる事や印象的な事、刺激的な事に対し、素直です。
大人になるに従い、段々常識が邪魔をしていきます。
ただ、普通はそれで正解です。
面白い妄想にふけってないで、目の前の税金支払いに集中しないと生きて行けないのが、大人なのですから。
しかし、たまにその感覚をもったまま大人になる人がいます。
その能力を、いい方向に発揮する仕事に付けた少数の人々(芸術関連か、小説家などでしょうけど)は、それを武器として使える時があります。
つまらない大人の常識に縛られない、刺激的な要素をそのまま出せるからです。
それで出来ているのがこの映画です。
監督が二人いて、一人が、注意欠陥・多動性障害(ADHD)なのだそうです。
だからこの映画の主人公である母も(役として)ADHDなのだそうです。
それがこの映画に影響を及ぼしているのは間違いがない。
しかしもう一人監督がいるのが良いのか? もしくは自分で調整したのか? は分かりませんが、この映画の優れている所は「子供の刺激的な要素」だけに収まらず、ちゃんと「大人の調整」を加えて、バランスを取ろうとしている所です。
そのバランスが取れていたからこそ、受けたのでしょう。
映画の中では「色々な世界が本当にある」と言う事だったけど、暗喩的には「色々な妄想が時や場所を考えず、次々浮かんでしまう」とも取れます。
つまり元はそこから来てるのでしょう。ADHDであり、夢想家、妄想家である監督らの中で起きている事の暗喩です。
だから「全ての物、全ての場所が、一度に訪れる」と言う題名なのですね。
最後の税金支払いのシーンで表していたのが「人生は色々あるし、他の世界が頭に浮かぶけど、目の前のやるべき事に集中して、しかも周りの人達とも助け合い、人生を乗り越えていく」と言う話でした。
だから監督の自分自身の事だったのでしょう。
色々な要素を足しているが、基本は監督の自分の周りの問題です。
しかも映画内での問題も、SF的な物にしてるけど、ただの個人レベルの問題です。
それをSF的にする事により、暗喩で出来ているかのような物語になるので、何か深い物語に見えるのでしょう。
それに、皆の身近な問題なので、乗れるのです。
だからアカデミー作品賞なのでしょう。
しかしこれが「アカデミー賞?」と個人的には思いました。
そもそもアカデミー賞など、概ねこの程度だとも言えます。
個人的には映画「スーパー!」と同じような「知る人ぞ知る。良く見たら良く出来ているかも?」と言う映画だった気がするのです。
荒も多く、作りも流れも良くは無いでしょ?
でも否定的ではないです。
しかし肯定的でもない。
言うほど、珍しい作品では無いです。想定の範囲内です。
これが素晴らしく見えるアメリカ人は、みな大人なのでしょうね。
子供の感覚が残っていると「まあ、あるよね?」と言う話だったと思うのです。
他の場所、他の世界、他の人生は、良く見えるものです。
隣の芝ほど青く見える物なのです。