号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

三百六十五歩のマーチ

うーーーん。

人と言うのは、そんなに変わりはしないのか?

 

アニメ「水星の魔女」12話、感想です。

 

大河内さんの病気が始まりました。

つまり、結局、南極、人と言うのは、簡単には変われない生き物だと言う事です。南極のペンギンからは、逃れられないと言う事です。

そっち方面だと、超えてはいない。富野さんも、昔の大河内さんもです。

残念でもあるし、やっぱりか、と言う事でもあります。

 

うーん。そっちだと、想定の範囲内なんだよね。

富野さんの呪いからも、過去の大河内さん自身からの呪いからも、解かれてはいない。

だから富野さんにも褒められないだろうし、イクニさんにもだし、庵野さんにも褒められはしない。

だから、残念です。

 

しかし、普通ではあるが、ガンダムファミリーとしたら、まあ、普通に良く出来ていると言う事になるのかな?

 

後半に戦争か、暗い話に、持っていくのは決まりみたいですね。

ピンドラも後半種が変わったので、まあそうでしょうって事です。

 

物語上の理由で、スレッタが最後笑っていたのは、分かりません。

ちゃんと理由を付けてくれるのでしょうか?

じゃあないと誰も納得しないでしょう。

 

暗喩で言ったら、まあ、そうなるでしょう。

庵野さんも「皆殺しの富野」に触発されたからなのか? 旧エヴァの映画版で皆殺しをして行きましたね。私はあれでさめましたけどね。

そして今回の水星の魔女のスレッタも、皆をさめさしているのだから、狙った通りではあるのです。

しかし、物語上と言うよりは、このアニメにさめた人がいるだろうから、そこが問題ですね。

だからスレッタの行動に意味が無いのなら、誰も納得がいかない(ハイになったり、恐怖心が無くなる何かが、ガンダムにはあったとかね)。

 

やってる事や、やりたい事も分からなくも無いのだけど、あの雑さと言うか、気の使わなさに、サイコパス感が、にじみ出ているんだよね。

もし、最後の同じシーンを描くにしても、富野さんでもイクニさんでも庵野さんでも(今は特に)ああは描かない。

あれは「刺激的だから、皆が興味をいだくでしょ?」っていう描き方です。

あそこで気を使わない所に、限界がにじみ出ている気がするのです。

同じように、限界がにじみ出てる気がしたのが、旧エヴァの映画版です。

でもあの頃の庵野さんは、まだ30代でしょ?

なのに、今現在に、水星の魔女のあれをやるかなあ?

描き方なら、大河内さんと言うより監督の方に、問題があるのかもしれないけど。

確か、監督の方はまだ若いので、それなら分からなくもない。

 

三百六十五歩のマーチですかね。

三歩進んで二歩下がる。

物語も、一足飛びで進化するなんて、ないのですね。

 

でもまだ「皆殺しの富野」の呪いを、見なければならないのですかね?

「皆殺しの富野を、俯瞰でとらえる」のかと思ったら、ドップリ自分自身すら呪いにかかってるじゃないですか?

なんか、疲れたなあ。

すごろくをしてて「ふり出しにもどる」に止まったような、気持ちです。

 

 

ああ、そうそう、ソフィーがスレッタをお姉ちゃんと呼びましたね。

なので、前田さん確定でしょう。

 

 

23年1月10日 追加

 

落ち着いてきて、頭の中でまとまってきたので、少し足します。

文句多めです。

 

スレッタが最後笑ってたのは「理由を付けてほしい」と思っていました。

それは理由がないと成立しないからです。

あのプロスぺラが人を撃ち、あれでスレッタが怯えるのなら、例え洗脳されていても、最後のあのシーンでは繋がりません。唐突過ぎるのです。

なら、スレッタが怯えるシーンがいらないか、おかしくなっていくのを入れて置くべきです。

例えば、スレッタがガンダムに乗ってから、妙にぼそぼそ正当化する独り言を始める、とかです。

そして段々独り言が多くなり「あれ、こいつやばいかもな?」と客が思ったあかつきに、最後のシーンにすれば繋がります。

たしか「やめなさーい」とか言うセリフで人をつぶしたと思いますが、あれもいらない。

あれは「あ!」とだけ言って、思わず、つぶしてしまっただけでいいでしょう。あれはやり過ぎです。

それで最後笑っていれば、繋がるのです。

 

前にも言ったけど、人は緊張すると笑う時がある。

お葬式の時などです。

他にも東日本大震災のレポーターが現地で笑っているシーンが映り、問題になったのを覚えてますか? あれもそうで、人は緊張すると笑ってバランスを取ろうとする時あるのです。

他にも、怖そうな人に何か言う時は、ヘラヘラ笑いながら話したりしませんか? あれもそうで、笑って誤魔化しているのですが、それは相手だけではなく、自分自身も誤魔化しているのです。怖くない事だよ、と誤魔化してバランスを取ろうとしてるのです。

なので、最後スレッタがおどけたのも、笑ったのも、誤魔化そうとしたのなら、筋が通るのです。

 

しかし問題は、スレッタが自分を誤魔化そうとしているのが、見てる人に伝わらないからです。

これは単純に、演出が下手なのでしょう。

 

人は、あんなに簡単に変わりはしない。

スレッタが怯えていた時から、平気で血まみれでいられるくらいに、急には変わらないのです。

だから、ずっと自分に言い訳をぼそぼそ言って、段々おかしくなり、自分を正当化するのに精いっぱいだった、とするべきでした。

なのにそれが足りない。

それは制作人が、現実を知らないのでしょう。

もしくは、普通の人が、あの演出で納得しない事を知らないのです。

どっちにしても、下手なのでしょう。

 

もちろん、おかしくなる理由が無いとしたらの話です。

だから「何か理由がほしい」と言ってるのです。

 

理由が無いとしたら、あの演出は何か?

やはり「驚かす」だけの為の演出です。

その為に現実の物理法則を捻じ曲げているので「ご都合主義」と言われる事をしてるのです。

 

理由も、物理法則も、皆の常識も無視した「驚かすだけの流れ」は、前にもやってますね。

前科がある。

それはコードギアスユーフェミアが人々を殺して回る、あのシーンです。

なので、進歩が無いのです。

 

しかし私は「やりたい事は分かる」と言いました。

ええ、分かります。そもそもの考えは、そんなにずれてはいない。

子供の様に、純粋で素直でまじめに良かれと思った行動が、あのスレッタの行動です。

良かれと思っているから、残酷な事でも自然に出来てしまうのが、子供です。

庵野さんもそうでしょう。

純粋で真っ直ぐで死に物狂いで良かれと思って作ったのが、エヴァでした。

だから庵野さんの暗喩だとしたら、見事にスレッタの行動であってるのです。

 

しかし、それをやる為に、物語上では物理法則を無視したので「ご都合主義」になっています。

そうならない為に、事細かな設定と気づかいが必要だったのです。

だから演出が下手だった、と言っているのです。

 

ふりだしに戻ったのです。

水星の魔女のプロローグの、私の感想が「演出が下手」でした。

そして「またこれか」と言うのが感想でした。

「結局、その感想が正解だったのか」と言う事です。

だから、まあ、疲れる訳ですよ。

 

しかし、終わった事はしょうがない。

笑った理由が、もし、ないのなら付けてほしいです。

それで、かろうじて、次につながる事でしょう。

 

23年1月12日 ちょっと言い忘れ。

 

感情的になって言い忘れてた事を、少し書きます。

 

ここを読んでいる人だったら分るだろうけど、グエルがどこまでもスレッタと絡まないですよね?

スレッタとは違う所で物語をやり、まるで裏の主人公のようです。

普通の物語なら、おかしいでしょ? こんな描き方は普通しない。

しかし、そこは誰も言わないですね。

なぜ言わないのか? もちろん、意味が分からないからです。なぜこんな描き方をするのかがです。

 

これこそが、暗喩を元にする事の、センスオブワンダーですね。

暗喩を元にした事により生み出された、面白さです。

しかし、その為に不自然な物語になる事も事実です。

この不自然さを言わないのは、理解して無いからです。

 

別に、ただ見ている人にとったら、理解しなくてもいいのですけど、水星の魔女は考察動画が多いですからね。

理解してないと、考察など出来ないのです。

未だに、水星の魔女と、ピンドラの関係性を言う人があらわれない。

水星の魔女は、結構注目されてるのにもかかわらず、あらわれない。

ピンドラだって2022年に映画化されたから、ちょっとは注目されただろうに。

うーん、根が深い問題かもしれません。

やはり何事も、少しづつしか進歩はしないのですね。