号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

犬王 + α

アニメ映画「犬王」感想です。

後半、妄想付きです。

 

ミュージカルアニメだそうですね。

作りは、たぶん、映像や音は上手いですね。

見てられる内容でした。

 

たぶん、と言うのは、映像演出や音響演出などは、私には良く分からないからです。

これはプロに聞きたいですが、あまり言う人はいないようです(知らないだけかもしれないけど)。

 

頭に浮かんだのは、アニメ「かぐや姫の物語」と「平家物語」ですね。

映画なので、平家物語より更に凝っていたと思います。音も映像もです。

かぐや姫の物語と比べるとどうか? と言うと、犬王の方が効率が良いだろうと思いました。

かぐや姫の物語は、映像が手書き風にするなど凝っていたけど、それが費用対効果で言うとどうだったのか? たぶんあまりよろしくは無い。

かぐや姫は、止め絵でみると良いのだけど、動かすと良さが埋もれてしまい、あまり効果が発揮できている様には見えませんでした。

犬王を見ると、かぐや姫ほど金をかけなくても、考えた演出でよく見えるのだから、犬王の方が映像作りとしては、正解だと思いました。

まあ、誰も出来ないし、やらせてもらえない「かぐや姫の物語」は、高畑さん自体がロックだったとは思いますけどね。

 

で、私が気になるのは、物語の内容の事です。

これはどうだったのだろうか? 少し薄かったかな?

映画の長さの関係もあるのだろうけど、犬王と友魚(友一、友有と変わるので、今後は友有と書きます)の友情が描き切れてないですね。長さ上。しょうがないのかな?

 

最後もなんか取ってつけたような終わり方ですし、現代の絵が妙に寂しいで、何か寂しく終わります。ここも今一です。

 

 

さて、個人的にどうすれば良かったのか? を今回も書きます。

実際は原作もあるし、変えるのは無理だろうとは思います。

それに、毎回言うけど、出来た物に文句を言うのは簡単なのは、分かっていて言います。

あくまで個人の妄想ですが、皆が、それぞれ、色々考える事が、物語制作の未来に繋がる気がするのです。

なので、ここでは、私のを載せときます。

 

成仏できず現代まで彷徨っている幽霊が、友有ですね。

そこで頭に浮かんだのが、漫画やアニメになった「ヒカルの碁」です。なので、これをパクります。

 

 

まず中学生の少年が、家から飛び出す。親から逃げ出したのです。

少年は、小さい頃から親に言われピアノを習ってました。結構上手かったようです。

しかし中学生になり、バンドをやりたくなったのです。ギターをやりたくなった。

そして隠れて練習をしようとしたら、母にバレて怒られたので、逃げ出したのです。

 

学校に校舎に行って、そこで一人練習をする。部活かな?

そこで友有の幽霊に出会うのです。

琵琶を弾く幽霊に「下手だな」と言われる。

驚くが少年は「お前に言われたくない。お前みたく古臭い音楽は嫌いなんだ」と言う。

友有は「ああ、こう言う曲が良いのか?」みたいな事を言い、琵琶で現代の音楽を引く。

少年は「上手いな。そんな楽器でも、引けるじゃないか」と言う。

友有「ああ、最近聞こえてきてた音楽だから、覚えてしまったよ」と言う。

 

話しているうちに、親にやりたい音楽を禁止された事を言う。

友有は「親に禁止何て、友達を思いだしたよ」と言い出す。

友有は「お前は俺見えるのだから、何かの縁だ。教えてやろうか?」と言って、教えてもらう事になる(本当は、ここのあたりは、友有が谷一にあい、弟子になる理由とかぶせた方がいいだろう)。

 

場面が代わり、時が少し過ぎて、教えてもらっている時、少年は「前言ってた友達って、どんな人?」などと、なんとなく聞いてみる。

そこで友有が昔話をし始める。ここからは、実際の犬王の話と同じになる。

 

所々、話が切れる所で、現代の少年と友有のは映像が少し入るのだが、この所で少しずつ時が過ぎているのを映す。一年とか二年とかです。

だから少年が上手くなって行くし、少し大人びて行くかもしれない。

 

友有が少年に聞かせ、それを少年が頭に浮かべる、と言う所から昔話に入る事により、昔の話が「話を聞いた少年の、頭の中の映像」の様に見えるようにする。

だから、昔の話なのに、現代の音楽の様な作りで通るようになる。

 

最後は河原で、友有は歌を歌えなく殺されるのは、実際のアニメとほぼ同じです。

 

最後まで話を聞いて、少年は「じゃあ俺が、続きを歌ってやる」と言う。

中学最後の文化祭で、歌う事を決めるのです。

 

文化祭当日。バンドの名前を出していて「友有」とある。

たぶん始めはギターでバンドの仲間と何か演奏している。これは流さなくていい。

それから少年が「最後の曲です」と言って、ギターから琵琶に持ち換えて、最後の曲が始まるのです。

現代調の曲であるが、歌詞の内容は、友有の言えなかった事だろうし、最後は友有と犬王の話だろう。

 

少年の両親が見に来ている。

母は怒るのだが、父は止める。

「あいつが初めてピアノで曲を弾いて見せて、笑っていた顔を覚えているか?」

「そうね。忘れていたわ」と言い、それ以上は怒る事は止める。

 

曲の最後の方で、友有が少年の目の前に見える。

「ありがとう、さようなら」と消えて行こうとする。

「待ってくれ」と少年は曲を止めてしまう。周りのバンドも「何かあったのか?」と曲を止める。

そこで犬王があらわれる「この歌、もしかしたらと思ったら、お前ここにいたのか?」

犬王はバンド名を見て「名前を変えたのか? だらか分からないんだよ。何百年もかかってしまったよ」

友有も犬王も、子供の頃に戻り、歌い演奏をし始め、天に昇り始める。

 

それを見た少年は、また演奏を始め、周りも演奏を始める。

少年は演奏をしながら天をあおぎ、二人を見送る。

 

 

と言うので、どうでしょうか?

これでは「犬王」ではなくなる気もしますが、細かな事は抜きして、物語だけに集中すると、こんな感じでしょう。

ちなみに、少年とのパートは、なるべく端折ってダイジェストにして、長くしない方が良いでしょう。

あくまで、最後をまとめ上げ、閉める内容として描き、実際の長さはそれほど長くしない方が良いでしょう。

なので、実際の犬王の内容、プラスアルファ、程度として描くのが正解だと思います。