アニメ「ガンスリンガーガール」感想です。
アニメ「リコリスリコイル」制作人が「まじめにやっても、ガンスリンガーガールにかなわないから、リアル路線はやらない」みたいな事を言ってたようだと聞き、気になったので見ました。
一期と二期があり、別物の様な作りだそうですし、二期はハードな作りが薄くなるようなので、見る気はありません。
しかも一期も、途中までしか見てません。
確かに、この作りを出すには難しいので、リコリコ制作人があきらめた事は正解でしょう。
にしても、リコリコは諦め過ぎな気もします。もう少し頑張ってほしかった。
ガンスリンガーガールの一話を見ていると、映画の様な絵作りです。
監督がちゃんと映画でも撮れる人なのでしょう(実写映画でもね)。
これを見ると、アニメだと、意外と映画の様な作りが出来る監督が少ないのが分かります(あと金もないので、単純な絵作りしか出来ないのも原因かと思いますが)。
アニメが馬鹿にされないように、この少し古いアニメの様に頑張ってほしいですね。
内容は、漫画原作だそうです。
イタリアのマフィア物と、ロボコップに、少女を組み合わせたような作品です。
この、良い物でジャンルの違うものを色々組み合わせたら面白くなる、と言うのは定石だと思いますが、意外と分かってない人が多い気がします。
もっと、この足し算を目指すべきでしょう。
ちなみに、原作の最後はどうなるのでしょうね? ロボコップの様な最後だと良いのですけどね。
気になったのは、一話の始めです。
男が横から画面に出てきて、続いて小さな女の子が付いて出て来る。
これだけで「分かってるな」と思わせる演出です。
ただこれも映画「レオン」にはかないませんね。そう言えば、この作品少しレオンも入ってますかね?
からだ全体を映す事により、身長差が良く分かります。
これで大人と子供なのが、強調されるのです。
この一番大事な所から映し始めるのだから、分かってるな、と思うのです。
レオンで記憶に残っている場面で、遠くからレオンと少女がこっちに向かって歩いてくる場面です。
坂の上から撮ってるのか? カメラを下から撮ってるからなのか? 始めレオンの頭しか見えなくて、近づいてくると段々体全体が見えてきます。
少し立つと、隣に歩いてついて来ている少女の頭が見え、この子の体も見えて行きます。
これで身長差がはっきり見える。
しかも、両方のからだ全体が大体見えたくらいで、レオンは隣の少女に向かって話す。
身長が低い少女に向かうので、頭を少し垂れて話します。これでなお更身長差を強調出来ている。
他にも、足早に歩くレオンに、無理してる様に速足でついて歩く少女が、無理して暗殺者についてく行く子供を強調している。
その他にも、この前の場面からの繋がりで、始めレオンしか見えなくて「一人で歩いているのかな?」と客に思わせ、実はレオンは少女を連れて歩いている、と言う軽いサプライズにもなり、見事なシーンです。
話はガンスリンガーガールに戻しますが、レオンにはかなわなかったですね。
他の場面も、とても映画らしく良く出来ていたように見えましたが、感動がない。
つまり、これでもまだ何かが足りないのでしょう。難しいですね。
これ以上は名監督になれと言う事だから、難しくて当然ですけど。
一期の最後でも終わらない様なので、今後を見るかは分かりません。
どうも暗い話なので、終わるなら見るのだけど、終わらないのなら見る気が起きないのです。
「アキバ冥土戦争」感想です。
なんですかね? これ。
普通は、メイド物をやり、その途中の回で任侠物をかぶせた冗談回を一度やる、位にします。
しかしこれは、それをワンクールやり切ったものです。
ただアニメ作品は、年間腐るほど作られているから、この様に一発芸でやり切るような、尖った作品が今後増えて来る事が予測されます。
尖ってやり切らないと、埋もれてしまうので、これはこれで正解でしょう。
任侠映画なんて誰も見ません。少なくともアニメではそうです。
それをメイドにする事で、見てくれる作品にしています。
アニメでは出来ない、任侠映画の面白要素をやるために作ったような設定です。だから上手いのです。
さっきのガンスリンガーガールの様に、アニメではあまり見ない他のジャンルをやるために作られているので、これで正解なのです。
だからか、さっきのガンスリンガーガールもそうでしたが、このアキバ冥土戦争も、どこかで見た事のある要素満載です。
なので、元を知っていれば、別に新しくは無いものです。
しかしアニメしか見ない子供にはいいかも知れません。新たな分野の入り口として経験できるのだから、ためになる事でしょう。
ちなみに、サイコパス一期もそうですね。あれも全体は珍しくない作りでしたが、知らない子供には、ためになった事でしょう。
ただ私だって任侠映画は好きでもないので、あまり見て無いのですが、それでも年の功でなんとなく分かります。
やはりいろんなジャンルを、なんとなくでも見ておくべきですね。
細かな事を言います。
嵐子の元は高倉健ですね。
パンダの御徒町さんの名は、秋葉原と上野の間の駅、御徒町から来てるのでしょう。中途半端な奴、と言う事です。上野の本物のパンダにもなれず、秋葉のメイドにもなれない奴と言う事です。
オープニングは何なのでしょう? Ⅴシネマではあるのかな? 私にはゾンビ物のオープニングとかに見えましたけどね。ただ、どこで見たかは分からないけど、どこかで見た作りだな、と言うのは分かりました。
エンディングは、藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」じゃないですか。まあたぶん著作権ひっかかるので、認めないでしょうけど。
藤圭子は昔テレビに出た時「うちの娘はすごい」と褒めていたようですね。周りの人は「自分の娘だから、よく見えるのだろう」位に思っていたようですが、数年後に娘、宇多田ヒカルが世に出るのが、面白い訳です。
嵐子を好きだった男は死にます。人殺しだから死なないといけない。
嵐子も死にます。人殺しだからです。
この辺は物語上はどうかと思うけど、やるべき事を外さずやっていて、良く出来てます。ボニーアンドクライドは、死なないといけないのです。
殺したのが両名とも仕返しなのも、良く出来ている。殺せば殺される。
凪を殺したのが御徒町なのも、仕返しです。
敵のボス、凪の最後は分かりにくいですね。でもあの位の雑そうに見える作りが任侠映画っぽいですけどね。
雑に見えるけど、あの位の人の良く分からない行動や感情が、本物っぽく見えるのも事実なので、任侠映画はあれで良いと思います。
細かく言うと、凪は嵐子が死んで、自分がやっていた「力(暴力)こそ正義」に嫌気がさしたのです。
しかし今更止められない。なので嵐子を殺した奴も開放する。あれは自分のやっていた事を体現した奴だからです。
しかし嫌気がさしてきて、試そうとしたのでしょう。
この力こそ正義が通るのか? 正しいのか? を求めて、より力、暴力を行使した。
もちろん試しておきながら、どこかに失敗しても、もういい、と言う思いがあったのでしょう。
認めれないが、自分がやってきた「力こそ正義」だと何も手に入らないと、全てを手に入れた後に気が付いたのです。
だから凪はなごみに「美千代さんにおよばない」と怒ったのです。自分で殺しておきながら、認めていて、実は生きていて欲しかったのでしょう。
最後、店に入る時も、嵐子が自分を殺す幻が見えた。あの時も店に一番先に入る。あの時撃たれて殺される事もあっただろうに、気にせず入ったのは、試したいのです。
自分の行動があってたら、それでも、生き残るだろう。
間違っていたら、死ぬだけだが、それでも、もうどうでも良いのでしょう。
なので、あの最後の凪の行動は、良く分からない人の行動を上手く再現していて、良く出来ていたのです。
なごみは生き残りました。
あの最終話に、任侠物から飛び出し、秋葉メイド物になったのが、このアニメの優れた所です。
ただアニメで任侠物をやっただけではなく、ちゃんとアニメとして昇華させたのです。
アニメ「スパイファミリー」
途中で見るのをあきらめた作品が多い中、ちゃんと今やっている25話まで見たのに、大した感想が無い不思議な作品です。こんなのも必要ですね。
個人的に、一話みたくもっとリアル寄りにするべきだと、始めは思っていました。
ただ25話まで見ると、これで良いのかもね?
とは言っても、ふざけ過ぎるとやれる事が少なくなります。死の恐怖や不安は描けなくなる。
だからもう少しはリアル路線で良かった気がしますが、ヨルが殺し屋である時点で既に無理ですね。
さて、書く事も無いので、個人的な予想、と言うより妄想を少し書きます。
たぶんいつか、アーニャが中学生位の時のスピンオフ作品を作る事でしょう。
捕らわれた父と母を救うために、一人で頑張る話です。
仲間として、小さな数匹の子犬が付きます。こいつらが各々、色々な超能力を持っている。
もちろんあの白い犬の子供です。ちなみに、あの犬は不思議と長生きだったので、数年後に子供がいても良いのです。
ただ子犬なので、寝たり、おしっこをしたりします。
後はアーニャに弟がいても、いいかもしれません。ヨルの子供です。
この弟もたぐいまれな才能を発揮するが、小さいのですぐ寝ます。なのでアーニャは弟を背負ったりして戦うのです。
と言う作品を、いつか作る事でしょう。