ピンドラファンに送る、アニメ「水星の魔女」のたしなみ方、第四回です。
注意です。今後の予測が含まれます。
予測とは、当たっても外れても、どちらも物語がつまらなくなるので、それでもよければこの後を見て下さい。
スレッタの元はタヌキじゃないか? と言われていたが、公式が犬を模して作ったと言ったようです。しかし私は熊だと思いました。
でも違ったようです。スレッタは人でしたね。
ピンドラファンの為の考察なので分かると思いますが、やはりスレッタは庵野さんですね。また来ましたね。
イクニ作品で、しつこいほど出てくる庵野さんの暗喩。
そして今回もまた。
庵野さんは、かなり好かれてますね。だからスレッタもかなり好かれてました。
そう言えば、みんなが暗喩で庵野さんを使ってくるのに、宮崎駿は、主役の声優で使ってくるという荒業をやってのけました。流石に宮崎駿は他を寄せ付けない、剛の者ですね。
私はスレッタが熊だとしたら、あの髪型は何なのだろう? と思ってましたが、あれは庵野さんの髪型じゃないですか。
それに長身なのも、そうでしょう。
私はずっと「なぜ水星なのだろう?」と考えてました。
しかし気がつくと、意外と単純だった気がします。ただの水の星です。
水がある所だから、カッパがいる所です。スタジオ「χαρά」ですね。そしてさらざんまいです。
ではスレッタと最後くっつくのは誰か?
もちろん安野モヨコさんです。
では誰か?
それは名前の作りが似ているやつで、飯を与えてくれる、あいつです。
ミオリネに興味がないのは本当です。ガンダムには関係がない人だからです。
二話でスレッタは飯を食べます。
しかし中身が、いまいち映らない。
パンとグリーンピースご飯と飲み物、後は空き箱しか映らない。なぜか?
それは庵野さんが肉を食べれないからです。だからあれにも肉が入ってないのです。だから映さない。これ、誰が分かるの?
長髪金髪の男は、銀鉄のザネリだろう、と言いました。だからピンドラのひまりです。
ニカがペンギンなのはなぜか? 考えてきましたが、あの子はサンちゃんかもね?
だとしたら、長髪とニカがくっつくラストでしょう。ユリ熊からです。これも、誰が分かるの?
ちなみに、ユリ熊がからんでいるから、妙に殺伐とした、いじめの多い学校なのです。
スレッタは地球寮にいくようです。そりゃそうでしょう。
前に言ったけど、大きな勢力が、地球の森の中に基地でも持ってる事でしょう。
地球側は、まだ抑圧されてましたが、今後勢力を伸ばして反撃してくるはずです。
そして一大勢力になる。
ミオリネのオヤジの勢力に、地球の勢力、それに水星の勢力が加わることでしょう。グエルも別勢力としてやっていく気がします。
その中をスレッタはそれぞれ係わり走っていき、最後は……もちろん、何者かになるのです。
2022年10月25日 相変わらず、追加
シン・セー開発公社は、もちろんシンゴジラとかのシンです。
この世界の年号で、AS122年だそうですが、これは2022年の事ですよね?
そしてシン・セー開発公社は89年創立なのだが、これが今一分からない。
ちなみに、庵野さんの初めての監督作品「トップをねらえ!」は88年の作品です。
だけど、終わったのは89年だそうですし、映画版も89年年なので、これの事かな?
とは言っても、制作者、年、間違ってないかな? 何かあるのか?
話はずれるけど、この作品、意外とアニメ「スタードライバー」と同じ種類な気がするのです。つまり新しくはない。
ただスタードライバーが、結構だるい話だったので、水星の魔女の方が面白いですね。
やはり、単純な面白さって必要です。
この単純な面白さがあったなら、スタードライバーだって、これくらいの地位を築けた事でしょう。
ああ、スタードライバーも、もっと面白く出来た基本要素はあったと思うので、もったいないですね。
関係ないけど「綺羅星!」って、たまに聞きたくなります。
同じ様に、たまに思い出す「ワンダーエッグ プライオリティ」。
これも本当に最後あたりまでは、とても良く出来てました。
これは何度も言ってるけど、本当にもったいない。
最後を書き換えて完全版にするか、続きをやって決着を付けてほしいですね。
あのまま駄作で消えてなくなるなんて、もったいないです。
ネット動画で山田玲司さんが「チェンソーマンの作者にガンダムをやって欲しい」と言うような事を言ってました。なるほどです。
これは、ピンドラもそうなのですが、水星ん魔女は、記号の集まりなんだよね。
つまり、血の通った人の物語になってないし、だからこそリアルな現代人の暗喩にもなってない。
人の目線の、もっとリアルな人に近い物で作って欲しい、という事でしょう。
水星の魔女は「こういうキャラ」と言う記号でしかないので「今はそんな時代ではないだろう」と言う山田さんの意見は一理あります。
ただ、さっきも言ったように、この作りはピンドラです。
ピンドラをやりたいのなら、似るのはしょうがない。
それに、暗喩ありきな作りだと複雑になり難しいので、どうしても記号の集まりになりがちでしょう。
そしてピンドラだってそうです。あれも暗喩のために、普通の物語の要素はかなり無くなってます。
しかし、あっちは目線がリアルな世界の話(町並みも事件も)なので、少し誤魔化す事に成功してます。
ただ、イクニさん自体が、リアルな話が好きでないのか? だからこそ、元々人間物語は得意でもないのでしょう。
ピンドアの物語の良さは、実は「描いてない所」にあるのです。つまり隠されている所にあります。
だからこそ、得意でないイクニさんが感動の作品を描けている。
いや、描けてないが、隠れているからこそ、描けなくても、勝手に感動作品になってるのです。
これはイクニさん自体も、狙ったわけでもないでしょうけど。
(ファビュラスマックスの子供時代とか、感動しそうな話になってます。しかしあれは人物描写ではなく、音やタイミングや見せ方の演出で、感動するのです。映像的な持って行き方が上手いのは確かだが、人物の描写はステレオ的で、普通でした)
では水星の魔女では?
普通は、裏に謎があり、それが感動を誘うなんて、狙って出来るものではないです。
だから、たぶんですが、無理でしょう。
なら、人物描写で狙って行くべきですが、これはこれで難しい。
イクニ作品が苦手な、人を描くと言うのが出来たなら、その時は超えた作品になるかもしれない。
しかし、今の所4話まで見てると、人物描写ではダメそうです。
だとすると、このままでは、イクニ作品のモノマネで終わってしまう。
感覚的に、その方向性が見えから、山田さんが「チェンソーマンの作者にガンダムをやって欲しい」と言わせてしまったのだと思います(本当にやって、面白く出来るかは謎ですけど)。
しかし、この辺の感覚の事では、山田さんは良い事言いますね。
と言う訳で、水星の魔女は、そこそこ面白い作品になることは間違いが無いのだが、傑作になるのは難しい、という所です。
何者かになるのは、難しいですね。