号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

シルバーシート

実写「シルバー假面」見ました。感想です。

三部作の一作目だけです。

 

実相寺昭雄さんの遺作が、この「シルバー假面」の一部になるそうです。

佐々木守さんの遺稿を元に制作された、とあります。

 

まあ見てみると、チャちくてチープでつまらない話です。

これは何なのでしょうね?

一つは、わざとでもあるのでしょう。

金もないし出来る範囲内でやるとしたら、わざとチープにするしかないかったのもあるのでしょう。

設定が1920年ですから、この頃の見世物小屋を模して、その頃の雰囲気を再現するように作られてます。

途中わざわざ舞台の上で戦いを繰り広げるのですが、普通あんな狭い所に集まって皆こっち(客側)を見て突っ立ったりしないでしょう。

だからチープな舞台でやっている演劇、を見ているように演出してます。

シルバー假面と敵の怪人が戦う所なんか、もはや象徴シーンです。

妙に近い所に立ち戦うのですが、これも昔のチープな演劇などで見られるようなものを再現したのかと思います。

 

問題は、じゃあこの演出が面白いのか? と言うと、そうでもない。そこが失敗だと思います。

(他の所もそうですが)ただ、実相寺さんがやって来た事の集大成でもあるのでしょうから、面白い要素は残せたと思っています。

この面白要素のみを、後世の人は引き継いでほしいですね。

 

そもそも、最後の実相寺さん自体には、もう新しい面白さを出す事は無理だった気がします。体調も悪いし。

この「もう面白くは出来ないが、面白要素を後世に残す」と言う事は、年寄りに出来るし必要かと思います。私に取ったら富野さんの「Gレコ」なども同じです。面白くはないけど意味はある(富野さん自体は否定するだろうけど)。

 

ちょっと話はずれて、これから思い描けた私の感想です。

さっき言った戦闘シーン、真ん中に月が書かれ、妙に近くで両側から向かい合い戦うのですが、これはさっき言った様に舞台のまねでしょう。

そしてそれが象徴シーンに見えるのが面白い訳です。

よく考えたら、演劇って象徴シーンで出来てるのですね。机と椅子だけで「家の中だ」と言い切るし、その机と椅子をどかしただけで「外だ」と言い切るのが演劇ですね。でもそれで見えてしまうのが面白いのです。

それを逆手に取ったのか、寺山さんは外に屋根もないが、壁を立て畳を引いて家の中を表したりしてました。あれも普通でない状態を表すのに加え、外側に見える恐山、つまり死に近づいているのを象徴的に表しているので、成功してます。面白いですね。

ゲーム「ファイナルファンタジー」の一作目の戦いシーンは、敵はリアルに書かれているが、主人公たちは三等身位に書かれている。しかも横から見ているようで、奥行きもあり、日本の遠近法が無い昔の絵みたいになっています。これがかなりに象徴的な絵でして、狙った訳では無いでしょうけど、前衛芸術っぽいのが印象的でした。

つまり子供向け有名ゲームでも、この象徴的な絵で成り立つのです。面白いですね。

 

さて個人的にこのシルバー仮面(假面が分かりずらいので、今後は仮面で表します)だとどうすれば良かったのか?

演劇を模しているのだからこれで良いのだろうけど、もっと昔の実相寺さんみたいな人だったら何かしただろうと思うのです。上手く行ったかは別として。

私なら、攻撃する敵側だけはこっちを向いた絵を入れたりする。左側に敵がいるがそっちは表を向いていて、右側のシルバー仮面は横を向いている状態で描く。

その後攻撃するのがシルバー仮面の時は、シルバー仮面のみをこっち側に向ける。

他にも、優勢な方を絵的に少し大きくしたりして、負けて来ると小さくなっていく。

つまりいっその事、象徴シーンにしてしまっても良かったと思います。

そもそも金もなくチープな事しか出来ないからもあってのあのシーンかと思うので、後世の人はあれから更に考えて形を変えていくべきだと思います。

 

また面白いのが、まどマギ「叛逆の物語」では、この映画のオマージュをしていると思う所です(たぶんですけど)。

叛逆の物語で妙に気になったシーンで、最後の方に「建物の中に木が立っていて壁に絵が描いてあり奥に扉がある」と言うシーンがありました。

これと同じような絵がシルバー仮面にありました。花やしき内で全て幻だったのか? と思う途中のシーンです。こっちはかなりのチープさでしたけど。

妙に似てるので、たぶんここから取ったのでしょう。

そうなると「叛逆の物語」に出て来る飛行船もここから取ったのでしょう。あれもなぜ飛行船? と思ってたので、元ネタが分かったら安心しました。

そして面白いのが「実相寺アングル」と呼ばれていたものを、叛逆でもしている事です。

実相寺アングルと呼ばれている物で「何かごしに人が見える」と言うのがあります。手前に何かを挟んでその向こうに人が見えるという、あれです。

これも叛逆ではよく使うのですが、これが一つ超えている所は「そこに意味がある」と言う使い方をした所です。

叛逆では「世界が何かカゴの様な物に閉じ込められている。そしてその外側から何者かに監視されている」と言うのを、この「何か越しにキャラを見る」で表せていたので上手かったですね。

 

ちなみに寺山さんもやってました。真似たのでしょうか?

そしてシンウルトラマンでもよくやってました。

ただ、これらの使い方は実相寺さんの使い方と大して変わらないと思います。

つまらなそうなシーンを見れるようにする、とかが元の意味かと思います。

後は臨場感ですかね? リアルな世界で人は、俯瞰で他人の話を聞いたりしませんからね。しゃべっている人を見て無いか、チラッと見ている時の方が多いでしょう。だからあの実相寺アングルの様な見えにくい絵でも納得するのです。面白いですね。

しかし叛逆ではもう一つ意味を含めているので優れてます。こう言う風に超えて行くべきです。

 

佐々木守さんと言う方が原案を書いたようです。それで亡くなってしまったので他の人がまとめたのでしょう。

この人も36年生まれで、ウルトラマンとかで実相寺さんとよく仕事をしてた人だそうです。

(ちなみにこの人横溝正史の造詣が深い人だったそうです。つまり金田一シリーズですね。だからピンドラで八つ墓村オマージュだったのかもしれません)

 

ちょっと話はずれますが、この人も面白い経歴です。

アルプスの少女ハイジ」の脚本を何本かしてます。特にアニメの最後の方はこの人だったようです。

ハイジと言えば高畑勲さんが監督です。そして宮崎駿さんがその下の偉い立場でいたようです。

そして仕事が早いと言うガンダムの富野さんが何本か絵コンテで仕事を受けていたようです。

富野さんはアニメ本編を見て、自分の絵コンテと内容が変わっていて(本人は言ってないですが)怒ってたと思います。もしくは落ち込んでいたと思います。

で「たぶん宮崎さんが書き代えてたのだろうけど」と富野さんは言ってたので、たぶんその通りでしょう。

この二人、歳は同じだけ宮崎さんの方が業界が長く先輩だったようです。それに宮崎駿ですからね。文句が言えない位優れていたのでしょう。

この「自分の絵コンテを書き換えられた」事をずっと根に持っていたようですが、最近youtubeジブリの鈴木プロデューサーと富野さんの会談があって、そこで鈴木さんが「宮崎さんは富野さんの絵コンテだけは使える」と言ってました。

それを聞いて富野さんが「もっと早く行ってくれたらずっと悩まずにすんだ」みたいな事を言っていて面白いわけです。

ただ「使える」と言う事なので「そのまま使える」ではなく「変えれば使える」と言う事だろうけど、あの時の立場、レベルから言えば、それで富野さんも文句はないのでしょう。

話は戻り、ハイジで高畑さん宮崎さん富野さんにこの佐々木守さんが係わっている。今の感覚だと異次元ですね。やはり多くの人が係わるアニメは面白い効果が生まれると思っています。

 

シルバー仮面で設定はこの人が多く考えたのでしょう。

他の人もネットの感想で言ってましたが、設定自体は面白要素が詰まっていたのがシルバー仮面でした。

1920年の設定です。大正浪漫ですね。

敵がカリガリ博士と言う人だけど、1920年に出たドイツの映画で「カリガリ博士」と言うのがあったようです。なんとなく名前を聞いた事があったので、かなり有名ではあったのでしょう。

手下の眠り男チャーザレもここからだそうです。

シルバー仮面に変身するのに必要なのがニーベルングの指輪だそうですが、これもドイツの昔からの古典とも言うべきワグナーの歌劇からです。

シルバー仮面に変身する主人公がザビーネと言う女性であり、ドイツと日本のハーフだそうです。そして森鴎外の娘設定です。

森鴎外の「舞姫」と言う話が物語上よく出てくるのですが、本当にもあり、この話がドイツに行った日本人がドイツ人と恋に落ちると言う話だそうです。だから森鴎外自身の事じゃないか? と言われているようです。

だからそれにかけて、本当に森鴎外はドイツ人との間に子供をもうけた話にしたのでしょう。

ファウストも名前だけ出て来ますが、これも森鴎外が始めて日本語化したようです。

そして一部最後にナチスのカギ十字が出て来ます。二部以降はこれにかかってくる物語になるようです。

国民社会主義ドイツ労働党のマークがカギ十字ですが、これが出来たのが1920年です。

男の方の主人公は軍事冒険小説の主人公の名前からとっているとwikiにあります。

相棒の名は平井太郎江戸川乱歩の本名です。

などなど、この時代の面白要素を凝縮した設定になっています。確かに設定は面白そうです。

 

36年生まれの佐々木さんにとっても実相寺さんにとっても、子供の頃に影響を受けたのが見世物小屋だったり演劇だったりしたのかも知れません。

それに36年頃は戦争に向かう、きな臭い時代です。

その前にあった、未来がありそうで魅力的な時代と言うと、大正浪漫になるのでしょう。

この1920年のあとの23年に関東大震災があり、この辺から暗い空気が日本を覆うようになって行ったようです。

そして戦争に突き進み、第二次大戦になります。

だから戦前の子供が影響を受ける古き良き時代は1920年位になるのです。

子供の頃に影響を受けたあの魅力的な雰囲気。それを体現させるために作ったのがシルバー仮面だったように思えるのです。佐々木さんにとっても実相寺さんにとってもです。

 

ちなみに、同じ世代の寺山さんが、同じく見世物小屋に魅せられてたのが面白い訳です。この頃の子供には魅力的だった事でしょう。

私の子供の頃の東京にはもうありませんでした。

しかし子供の頃母の田舎に行ったら、祭りで見世物小屋がありました。

さすがに子供でもうさん臭さ満点でしたし、だからこそ見なかったのですが、あの雰囲気は子供には圧巻ですよ。

元は何もない外に建物が立っていて、何か面白そうな雰囲気は満載でした。

だからシルバー仮面では、その思い出を具現化したのでしょう。

なので、気持は分かるけど、ただ上手く行ったとは思えません。ただの自分の良かった過去の具現化でした。

それはシンウルトラマンもそうです。同じく過去のすばらしき思い出の具現化でしかない。

どっちもシルバーであり、シルバーシート状態です。座らせてあげよう状態です。

 

ウルトラマンも大正浪漫も見世物小屋も、良い所があるのは間違いがない。

しかし今消えて行った物は、消える理由があるのです。

だから何が悪かったのか? 何が魅力的でもう一回やる意味があるのか? と考えてみる事が大事です。

まどマギ「叛逆の物語」では色んな要素の良さを拾い上げて使う事に成功してます。だから名作になったのです。