号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

思いが通じれば

漫画「タコピーの原罪」、二回目です。考察です。ネタバレです。*1

 

原罪とは何か?

 

前に言った様に、幸せしか知らないのがタコピーの原罪だと、今でも思ってます。

しかし、作者がそう思ってたか? と言うと、たぶん違う気がします。

 

物語と言うのは作者がどう思ったのか? と言うのは最後は関係が無いのです。

子供は親の一部でも持ち物でもありません。生まれた瞬間に別の人なのです。

それが分からないのが、この漫画の親ですね。

そして物語も作られた瞬間に作者の物ではないのです(著作権で言えば作者の物でしょうけど)。

作者がどう思い作ろうが、見た人が思ったものがその物語その物になるのです。

何度も言ってるけど、作者が傑作だと思っても、見た人すべてが駄作だと思えば、それは駄作なのです。逆もしかりで、皆が傑作だと思えば傑作なのです。

 

例えば、ピンドラなんかはもはやイクニさんの手を離れ、超えた物語になっています。

社会的な物語に見えるので、そういう話かと思ってましたが、どうもそうでもなさそうです。イクニさんはそこまで社会的な問題を考えてた訳ではなさそうです。

しかし考えて無くても、そう見えたのなら、そういうお話なのです。

だからこそイクニさんさえも超えた物語になってしまったと、最近は思っています。

そう言うとイクニさんが大した事ないように聞こえるでしょうけど、そうではないです。

見れば見るほど良く出来たお話です。しかも頭で考えられている所が良く出来ている。これだけで流石です。

しかしイクニさんの考えすら超えて行ったと言う事です。

それは運もありますが、作り方によって奇跡を生みやすい状態を作れる人がいるのです。その才能さえあったのがイクニさんだと思っています。ただの運ではないのです。

そしてその多数の才能を集め、最高責任者の思惑すらも超えた作品を作り出そうとした人が庵野さんであり、シンエヴァでした。

それと同じ事をやったのがイクニさんだと思っています。

イクニさんが先か? 庵野さんが先か? そもそも寺山修司がそうだったかもしれませんね。

 

さて話は戻り、タコピーの原罪です。

良く見ると、話上でタコピーの存在が状況をおかしくしてますね。

一話でタコピーがしずかを助けたので、まりなが怒ってチャッピーを殺させたりします。

タコピーがしずかにあげた道具でしずかは首を吊ります。二巻で高校生になったしずかの噂で「昔しずかは首を吊ろうとしたが、ひもが切れた」と言ってましたね。つまりタコピーが切れないひもを渡さなければ、しずかは生きていたのです。

高校生のまりなの手を引っ張り、東君と合わせたのもタコピーです。そして東君がしずかに取られ、まりなは親ともめて殺す事になるのです。つまりタコピーが悪くしてたのです。

この辺が、タコピーの原罪と思って作者は作ったのかな? なんて思います。

(追加、ネットで誰かが言ってたのが、タコピーは一度未来から戻っている。その時掟を破り記憶を無くされているし、もう星には戻れない。しかもやる事がしずかを殺す事だった。この状態で物語が始まるので、タコピーは始めから罪を背負った状態であった。これが原罪と言う事だ、とありました。なるほどね。これっぽいですね)

 

ちなみに、東君は母親が恋しいのです。そして母親と同じ二重まぶたで、似た感じのしずかに思いを寄せる。これは母の代わりです。

最後に東君は「兄とケンカをした」と言ってますね。これは前に東君自身が言ってた事です。「そうすればよかった」と思っていたと言う事です。

そして最後はタコピーのかすかな記憶が皆に残っている、と言う終わり方です。

だから東君にも自分自身が言った言葉「兄とケンカをするような仲ならよかった」を覚えていて、それでケンカをするような仲になる。

その事で家で劣等感を感じず生きていけたのでしょう。

そしてだからこそ母親に対する強い感情もなくなったのです。

それで母に似たしずかに対する感情も無くなったのが、物語のラストですね。

 

さて、そもそも原罪とは何か?

まあ宗派によって変わって来るようですが、一般的な答えです。

禁断の果実を食べエデンから追放されたのがアダムです。そのアダムの子らが人間なので、生まれた時から罪を持っていると言う事ですね。

 

ではタコピーの生まれた時から持っている罪は何か?

だからこそ、私は「幸せしか知らないから、不幸な人が分からない」だと思ったのです。

しかし原罪自体、つまりアダムの子孫であっても、それが罪なのか? と思いませんか?

つまりタコピーが幸せしか知らない生き物でも、それが罪なのか? とも取れます。

等の事から、一番合ってるのが、タコピーの原罪とは「幸せしか知らない事」だと思うのですが、どうでしょうか?

ただ、もう一度言いますけど、たぶん作者は思ってないと、思いますけどね。

 

最後にタコピーはおはなしが大事だと気が付く、と言うお話でした。

私は大事なのは「寄り添い、一緒にいる事」だと言いました。今でもそう思っています。

寄り添うのは物理的にも精神的にもです。

だから、分かり合おうとする事が大事だと言う事です。

これはタコピーの話でもそうなっています。その中で、分かりやすり「やり方」が「おはなしをする」と言う事です。話し合おうというのです。

これは一方的に押し付けるのでは無く、相手を理解しようとする事が大事だと言う事です。それが無かったのがタコピーです。

一方的に考え行動したのがタコピーであり、だからタコピーの母が怒り、記憶を消そうとしたのでしょう。

「一人でここに来た」のが掟破りだと母が言ったのは、自分一人で決め行動しているのが掟破りだと言う意味かな? と思います。

最後にタコピーが「一人にしてご免」と言うのも、最後にしずかと一緒にいる事も踏まえ、やはり「寄り添い一緒にいる事」が正解だと思います。おはなしは、その為の方法でしょう。

 

ネットでの感想で「まりながちょっとした事で、まともになるのがおかしい」と言うのがありました。

特殊な状況でおかしくなった事と、子供である事で、まだ治る可能性があるのは確かです。この辺の設定も上手いです。

それに物語上では、おかしくしてるのがタコピーだ、と言う事です。だから最後みたくいなくなればいいのです。

 

まりなは親に酷い目にあわされてます。

虐待を受けた子供は大人になると、自分の子供にも虐待しだす可能性が高まるようです。

昔聞いたのが、幼稚園とかで泣いてる子がいると、他の幼稚園児で「大丈夫」と聞いてくる子がいるし、泣く子を見るとバンバンと、叩いてくる子がいるようです。

この子らは何をやってるかすら分かって無いでしょう。ただ自分がやられている事を真似てるだけです。

つまり泣いてる子を見て叩いてくる子は、親から泣くと叩かれている子だそうです。

だからまりながいじめをするのも合ってますね。そうなりがちです(虐待を受けて無い子でも、いじめはしますけどね。だから根が深い問題です)。

(追加、これもネットでの他の人の感想からです。そうか、しずかは高校生の時東君をまりなから奪うのですね。これはしずかの母と同じ事をしていると言う事です。だからしずかも母に似てしまっていると言う事です。

もっと言うと、東君の母も実は不器用で努力の人だと兄に教えてもらってました。これも東君は実は母に似ていた、と言う事でもありました。

本当に細かな所がよく出来てますね)

 

しずかは段々おかしくなります。

父が再婚した相手の子供が二人いましたね。新聞記事が出てて、殺してましたね。

これもタコピーがいたから起こったと言う事でしょう。

しずかがおかしくなったのは、力を持ちおかしくなる人を表しているのかな? と思っていましたが、それだけではないですね。

あれは「あまえ」です。

今まで誰も自分の言う事を聞いてくれなかった子供が、自分の言う事を聞いてくれる人を見付け、無茶を言い出したのです。これは「あまえ」です。東君にもタコピーにもです。

子供があまえ、無茶を言い出したらどうするのか? 

言う事を聞くだけではいけませんね。それでは子供がおかしくなります。

しかしタコピーは言う事を聞こうとしたのです。だからしずかはおかしくなったのです。

向きあい寄り添い理解して、それでもだめな時はダメと言う。それが出来なかったのがタコピーです(最後はダメだと言ったが、ここまで来たらもう遅いと言う事です)。それは心を知ろうとしなかったからです。

 

東君が言いますね。助けてあげようなんておこがましい、とかなんとか。

あれもそう、助けて「あげよう」と言う時点で上から目線であり、自分が正しいと思っている言う事です。

自分も分からない事がある事を理解して、対等に話し合おうと言う物語でした。

 

しかし、この身勝手であり、自分勝手であり、不器用であり、だからこそやることなす事で全ての人を不幸にするのがタコピーでしたが、それでもタコピーの思いは通じるのです。

確かな思いは、まともな人には通じるのです。

 

最後はタコピーがいない。だから道具もない。

しかし思いだけが残ったのです。

思いが通じれば、何とか生きて行けそうだ、と言う物語でした。

 

うーん。考えてみたら、やっぱり良く出来た物語でした。

(追加、ネットの感想見ると「最後微妙」と言うのがありますね。それまでひねって来てたから最後も何かあるかな? と思うのはしょうがない。しかしちゃんとやるべき事を始めから理解していて、そこに向かって落としているので、狙った終わり方でしょう。付け焼刃でもなく、いいかげんでもなく、諦めた訳でもない、と思えます。しかしこれ分からないか? 私が年を取り過ぎたのか)

 

 

22年 4月 21日 20時ごろ 追加

 

ちょっと可能性が薄いのだけど、思いついたので少し足します。

 

原罪と言う名は、大体はキリスト教からです。

それに秘密道具? に、パタパタ翼とか持ってます。

それに「一人で戻ってきたのが、掟破りだ」と言うのも気になります。

 

もしかしてタコピーは天使かな?

しかも死人を天に連れて行く、死神かもしれない。

 

だからタコピーが行動をするたび、死人が出るのか?

キリスト教だとサリエルが近いのかもしれませんね。

そして「堕天使でもあると考えられる」とwikiにありました。

星に戻れないタコピーは堕天使ですね。

 

物語に出て来る「どくだみ」の花言葉は「自己犠牲」だそうですね。

堕天使タコピーの、贖罪の話でもあったのでしょう。

 

 

22年 4月 21日 23時ごろ 追加

 

本当、ちょこちょこ足して悪いのだけど、これは言っとかないと行けない気がしたので、言っときます。

ネットの感想を見ていて、誰も言ってるのが見付からなかったので、私が言います。

 

私が名シーンだと思うのが「ハッピー握手だっピ」の所です。二巻のしずかと再開した時のシーンです。

この二ページ後でタコピーは「一人にしてごめんっピ」と言います。

これは、今まで気持ちを知ろうとしないで一人にしていてごめん、と言うことでもあるのだけど、それに加え、この再開するまで夏から冬を超えてるので、半年は経っていて、その間一人にしてごめんと言うことでもあります。

この半年でしずかは凶行に及ぶのですね。新聞記事が出てたので明らかに殺してます(これもネットで書いてあった事ですが、殺した後、へんしんパレットで犬猫でもあの子らの姿にしたのだろう。だから衰弱していて説明が出来ないと記事にあったのでしょう。じゃないと一ヶ月も経ってからというのがおかしい。自分が怪しまれてきて誤魔化したのでしょう。それにこの記事の前にタコピーは、しずかにへんしんパレットで芋虫になるのも楽しいと勧めてます。これは逆に芋虫でも人に出来るというヒントです。この作者はいらない事は書かない人です)。

ではなぜ一人にしてゴメンなのか? 前別れた時は、しずかがタコピーを後ろから殴り、秘密道具を持っていったのが別れた原因です。

その前にタコピーはしずかを掴む。もう帰ろうと言いながら。

しかししずかに冷たい目で見られた時、昔を思い出しそうになる。

その時、タコピーは「手を離している」のです。だから後ろからしずかに殴られ、それで別れる事になったのです。

これは物理的にですが、象徴的にも精神的にも「離してしまった」と言う事です。それで一人にしてしまい、その結果しずかが凶行に及ぶのです。

 

だから次合った時は「もう離さない」とタコピーは決めたのです。

その前にしずかは石を片手にタコピーをまた殴ろうとしてます。

しかしタコピーは今まで以上に強く握るのです。これが離さないという覚悟です。

このシーン指がからまった絵であり、結構めんどくさい絵でしょう。これをわざわざここで描くのは作者からの強い意志が見えます。タコピーは離さないと決めた。もう一人にしないと決めたと、強く描いているのです。

その後タコピーはしずかに殴られても離しません。

そして「一人にしてごめんっピ」につながるのです。

寄り添うことが大事なのです。

 

だからハッピー握手が名シーンです。

細かな配慮がされたシーンでもあり、作者の才能が見えますね。

本当にほしいもの - 号漫浪正大