号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

人の気持は聴こえない。聞こえたのは自分の気持です。

書籍「ひとの気持が聴こえたら」

ジョン・エルダー・ロビソン著

感想です。

この本自体だけではなく、そこから思い出された物の感想も言います。

 

ネットで岡田斗司夫さんがこの本の事を言ってたので、興味があり読みました。

副題が「私のアスペルガー治療記」とあり、これが全てを物語っています。ノンフィクションです。

 

まず大事な事は、私は素人です。注意です。

素人がこの本を見て「こうかもな?」と思えた事を書きます。

その程度の内容だと思って下さい。

これから書く内容よりも「そうかもしれない」「違うと思う」と自分で考え、調べる事が大事だと思います。

考える土台になれば良いと思い、書きます。

 

アスペルガー症候群と診断された著者が、TMS「経頭蓋磁気刺激」(けいとうがいじきしげき)を受け、気が付いた事、得られた物、失った物をふまえた、数年の人生の記録、と言う内容です。

 

wikiによると「自閉症スペクトラム障害」の中で知能障害、言語障害を伴わないグループを「アスペルガー症候群」と呼ぶそうです。

特徴として「他人の情緒を理解する事が困難」「言外の意味を理解する事が困難(皮肉等)」があるようです。

そしてこの著者もそうでしたが、アスペルガー症候群の中では「人の顔を認識でない」人が結構いるようです。

 

この著者が大学付属病院の実験により、磁気刺激を脳に与える話です。

(この方法は読んでもはっきり分らないのですが、たぶん)「脳のある部分の機能を低下させる」様に働かせるそうです。

脳のある部分を向上させるのは何かと危険かもしれないが、低下させる事は一時的に眠らせるようなもので、危険度が少ないのだと思います。

ここが面白く、色々分かってくる部分です。

まず、一部分を低下させる事により、他の部分が活性化されると言う事です。

例えば、水が流れる道があり、右と左に分かれていたとする。この右の方が道が広く、左はかなり狭かったとすると、ほぼ水は右に流れる訳です。

しかしここで右を閉じてしまう。そうすると水が左に全て流れ始めると言う訳です。

そうすると今まで左にはほぼ水が流れた事など無かったのに、流れて、そのあたりの機能が初めて活性化すると言う事です。

それが実際には水ではなく、脳では電気と言う事になります。

 

この著者は一時的にせよTMSの影響で、この今まで流れなかった所に電気が流れ「人の感情が読み取れたり、言外の意味を理解したり出来るようになった」と言う事です。

つまり(この人の場合は)少なくとも「道が無かった」のでは無いと言う事です。

そして言外の意味を読み取るような機能も、元々あったと言う事です。

ただ多くの人だったら電気が多く流れる所に「流れにくかっただけ」と言う事になるのです。

(この人の場合は)と私が付けたのは、道が無い人もいるかもしれないと言う事です。機能が無い人もいるかもしれません。

しかし、たぶんですが、ただの「流れる電気の量の問題」の人の方が多い筈です。病気とかで生まれつき心臓に病気がある人の方が、心臓が無い人より多い筈だからです。

もちろんこの「流れにくいだけ」でも問題は大きいのは分かります。例えば、血液が流れにくいだけで人が死んだりするのですから「流れにくいだけ」を軽くは見てはいけないとは思います。

しかしこれなら、可能性があるのは分かる。道が無いのではなく、流れの問題なら、解決できる可能性があると言う事です。

そして一時的にせよ、著者の脳の流れを改善させたのがTMS、と言う話です。

 

自閉症スペクトラム障害」の一定数、もしくは、ほとんどがこの流れが悪いのが問題だ、と言う事になります。

そして「自閉症スペクトラム障害」は「発達障害」だと言う事です。

なるほど、確かに「自閉症スペクトラム障害」の人は「アスペルガー症候群」の様に知能が高い人ばかりではない。

知能が低い人もいて、その人にとっては「障害」だとしか思えない事でしょう(周りの人がね)。

しかし「自閉症スペクトラム障害」の中には、この著者の様に、ある事に対しての知能が高い人もいます。

この本では、過去の有名人でそうだったろうと思える人がいて(アインシュタインとか)、その人が科学者とかになったおかげで世界に貢献できた、と言っています。確かに一理はあります。

たぶんですが、さっきの水の例で言うと「流れない所がある」と言う事は、逆に「多く流れる所もある」と言う事です。だから脳の一部の所が発達するのでしょう。

つまり、一部の能力が発達した人が出て来る、と言う事ですが、これには二つの意味があります。

一つは、しかし実際に多くは存在しない、と言う事です。つまり種としての人間にとって、少数の一部に長けた人は人類に貢献できるが、多くいるとまずいだろうと言う事です。

二つ目は、しかしある一定数は必ずいる、と言う事でもあります。50分の一から100分の一位の確率で自閉症スペクトラム障害の人はいるようです。もちろん、それぞれの障害の程度はあるでしょうけど。

つまり、自然淘汰的に考えると、この位はいた方が良いだろうと言う意味になります。あくまで結果から生じた確率ですが、この確率でいると言う事は、この位はいた方が良いと言う事にも取れるのです。

そうなると、これは「障害」にあたるのか? と言う問題になります。

一部が長けている人なら、それがアスペルガーでも、それは人類にとっても必要だった、と言う事にもとれるのです。

確率として少数だが、ある程度必ずいるのは、進化をしてきて、その位はいた方が種として生き残りやすかった、と言う結果からだ、と考える事が出来ると言う事です。

 

だからこそ私には「一部の流れが悪い」と言うのが理由だと言う事実に、納得するのです。

ある一定数必要で、だからある一定数は出て来る種類の人だった、とするのなら、それは出やすくなければならない。

出やすいと言う事は「大きな遺伝的変化ではない筈だ」と言う事です。

だから、ほんの少しの遺伝子の違いから生じる事であり、だからこそ、それなりの数が出て来るのです。

これが大きな変化なら100分の一よりもっと出にくいばかりか、他の健康上の問題も出やすくなります。生まれつき心臓が悪い等の他の病気も出やすくなるでしょう。

しかし、そうでは無く、アスペルガー症候群がある一定数出て来るのなら、それはほんの少しの変化だと思ったので、「流れの問題」と言う小さな理由だったのに納得したのです。

 

これは進化とか退化と言われるものに近いと言う事です。

巻貝は始めは長い真っ直ぐな貝だったようです。しかしほんの少しの遺伝子の変化だけで、あの見事な巻貝が出来上がると聞いた事があります。

進化が偶然な変化から生じるのなら、それは少しの変化の可能性が高いのです。さっきも言った様に大きな変化は他の健康上の問題も出てきやすくなるからです。

なので、「その小さな変化が、結果として大きな変化に繋がる」と言う事の方が、進化の過程では多い事でしょう。

そして退化の事ですが、これは近年では進化と同じ意味だと言われているそうです。ヘビの足が退化して無くなった事は、良くなった変化ですね。だから退化も進化と同じ「より環境に対応した変化」だと言う事です。

アスペルガー症候群の「脳の一部が発達しなくて流れが悪いが、その分、他の所に流れるのが多くなるので、ある分野で大きな結果を出す」と言うのは、退化と同じ前向きな変化だとも、とらえる事が出来るのです。

 

さて、人には他の多くの動物と違う所があります。

それは群れで暮らす事です。しかも分野でやる仕事が別れていて、一人が一個の事だけをやっていても、全体として上手く行けば生きて行ける動物だ、と言う事です。

これは同じ群れる動物、牛とか象とかとは違います。彼らはほぼ同じ事をやる動物が群れてるだけです。

そうなると「人は、一部が発達した単体」が生き残れると言う事ですし、その存在は、その群れ全体に恩恵をもたらすだろう、と言う事です。

そう考えると、アスペルガー症候群も、群れる人にとっては、少数だがある一定数はいると良いだろう、と言う進化の過程から生まれた進化かも知れないと言う事です。

ちなみに、動物は見かけないけど虫はいますね。ハチとかアリです。あれは働きアリとか仕事が分かれているのがいます。彼らも、やれる事が特化したのがいるので、同じような進化なのかもしれません。

 

ちょっと話がずれますが、どの位の確率で、個体として生きて行けないほど、遺伝子がずれてしまった単体が出て来ても、種として持つのか? です。

10代半ばから子供が作れたとして、30歳半ば位までには10人は子供を作れる事でしょう。

父母二人から生まれたのが10人だとしたら、その種族が存続する為にはその中の2人が残れば良いと言う事になります。つまり5分の1です。

5分の4が生き残れなくても良い事になります(実際は、そこまで簡単な事では無いですが)。

しかし5人の中の1人が生まれつき病気を持っていて長く生きられなくても、種として成り立ちそうだと思えませんか?

自閉症スペクトラムでも、優れた人ばかりではないですね。それに他の遺伝的な影響の病気もすべて含まれると、結構な確率で生まれつき病気な人がいる気がしてました。

変異がまるっきり無いと、種として何かあった時に対応できない。温暖化寒冷化等の大きな環境の変化の時です。

だからある程度の変異は出る様になっているのだとしたら、思ったより高確率で生存自体が危うい個体が生まれてくるようになってるのかもな? と思えてきました。

その生存が危うい個体が、もし5分の1いても、種としては成り立つからです。

 

この、変化を促すための人の種としての作りは、今となったらマイナスだけですね。

つまり変化を促す為に、数分の1から数十分の1で健康上の問題がある個体が生まれてもいいとなってるかもしれない。

しかし今の世の中、10人に1人であっても、生まれつき健康上の問題がある子が生まれたら困ります。

つまり、今の世ならこの様な進化は、いらない要素だと言う事です。

 

それに、人は40歳にもなれば孫も出来ます。今は違うけど昔はそうだった事でしょう。

つまり信長が言った様に人生50年もあれば、後は死んでも良いのです。種としての人だとそうなります。

だとしてら、60過ぎだと癌で亡くなる人が増えて来る事も仕方がないですね。

それ以上生きている事が種として必要だったら、癌になりにくい体に進化してた筈です。象みたいに。

しかしなって無いのは、もう60にもなれば孫も大きくなって来ていて、種として必要が無いからそうなってはいないのでしょう。

これも今の長生きな人類にとったらマイナスなだけですね。

しかし元々の種としての進化の過程を考えると、そうなっている意味が分かります。

 

さて、更に私の仮説ですが、生き物はある時急に進化が起きる様に見えるそうです。化石などを見るとそうなっているようです。

生き物の中には、餌が無くなるとオスとメスで子供を産むのがいるようです。つまり餌があり変化が必要無い時は、遺伝的変化がいらない為自分一人で子供を産み、環境があやしくなった時には、遺伝的変化を促すためにオスメスで子供を生むようにする、と進化した奴がいるようです。

では哺乳類等ではどうなのか? 環境が怪しくなり、個体数が減ると、近親相姦率が上がる気がします。

そうすると偏った変化が大きく出るのでは無いのか? と思っています。体が大きな個体の家族からは、更に大きな子供が生まれやすくなるのでは無いのか? と言う事です。

環境が変化しない時は、今と同じ体の大きさで良いのです。しかし環境が変わったのだから体も大きくしたり、小さくしたりする変化が必要です。それを促すのが近親相姦だった気もします。別に親子などではなくても、親戚でもいいですよ。

ただそうすると、病気などの問題も出やすかったと思います。近親相姦は奇形とか生まれやすいようです。

しかしさっき言った様に、5人の内1人が生き残れば良いと言うのなら話は変わります。

例え5人中2人位に先天性の病気があったとしても、種としては残れる。それよりも急激な体の適応の方が大事になる時だから、最後に生き残る無理をするのでしょう。

そしてだからこそ今の時代には近親相姦が合わないのも分かります。今は子供の5人に1人に先天的な病気があったらたまったものじゃないですよね? だからダメなのです。

 

さてせっかくなので、もっとずれた話をします。ただの私の仮定です。

小さな変化があり、それが大きな進化に繋がると言いました。

アジア人は小柄で童顔ですね。どうやってそうなったのか?

ロリコンじゃないのかな? と思っています。

そもそも人はサルの様な生き物から進化したのに毛もないですね。顔もサルと比べると目が大きくおでこが広く童顔です。背筋が真っすぐです。そして頭がでかい。これらは子供の特徴です。これはネオテニーと言われ、人はサルから子供の様な状態を、大人になっても残る様に進化したと言わています。だから頭がでかく、頭が良いのです。

そこから更にアジアに向かう種族の中からロリコン族が多く残り、今のアジア人になった気がします。

たぶんですが、アジアの方がロリコンが多い気がします。もしそうなら遺伝ですね。

もちろん本当のロリコンはダメです。子供が作れないから意味が無い。

しかし大人なのに子供っぽい顔を好む位なら、話が分かると思います。

これは男だけではなく女の人にとってもです。子供っぽい人、童顔な人、中性的に見える人、が結構日本では好まれていると思います。これも同じです。より子供っぽいのを好きになる遺伝ですね。

ちょっと危ない内容なので誰も言わないので、私が言いました。だけどあくまで子供っぽい人を好む、と言う事です。

でもそうなら童顔キャラがいる(大人向けの)アニメや漫画が日本発祥なのは理にかなってると言う事になります。

 

さて話を戻し、アスペルガーの事です。

ネットによると、サイコパスの人とアスペルガーの人は違うらしいです。

何が違うのかは私には良く分かりませんでしたが、何か違うのかも知れません。

ただ今現在においては、サイコパスと呼ばれている人の中に多くアスペルガー症候群の人が混ざっている気がします。

ただ、サイコパスアスペルガーが本当に違うのなら、これは間違った見方だと言う事になります。

逆に将来において、違うと言う方が間違いだ、と言う事になるかもしれません。

 

この辺の事は、この本の著者の経験を見て思った事です。

共感力が無いから、他人の痛みが分からいのか? もしくは、自分が痛くないから、他人も痛くないと思っているのか? のどちらかは分からないと言う事です。

 

私の昔の話です。子供の頃、親に何か食べ物の文句を言ったら「牛肉と豚肉の区別もつかないのに」と言われました。

確かにそうですが「これは味覚が弱いのに」と言われたのだと思います。

しかし私は、これは牛肉だと思い牛肉を食べ、豚肉だと思い豚肉を食べた事が無いだけでした。つまり知識が無いのです。味覚が無いのではない。

しかし他人からしたら、一見これの区別はつかないですよね? 味覚が無いから分からないのか? ただ知識がないのか? です。

 

アスペルガーの人は、他人の嫌味や怒り悲しみが読み取れない。

だから悲しんでいるとは分からない。

だから冷たく言っても、それで悲しんでいる、傷ついている、と思えない。

だから冷たい物言いを言う、のかも知れないと言う事です。

つまり、自分が言われても傷つかないから、他人も傷つかないと思っている、という事です。

 

この著者は、自分が一時期他人の言外の言葉が読み取れるようになり、言葉使いにより人が悲しんだり喜んだりする事が分かった。

だからその能力が無くなった後でも「この言い方だと人は悲しむな」と理解して、そのような態度を改めたのだと思います。

つまり「他人が傷ついてもかまわない」と思っていたわけではなく「他人がこの言葉で傷つくことが分からなかった」だけだという事です。

 

だから、共感力がそもそもないのか? 

もしくは、共感力はあるのだが、自分が痛くないから他人が痛いのが分からないのか? はどちらか分からないと言う事です。

だから共感力が無いと言うサイコパスの人も、ただアスペルガーの人の様に「置かれた状態から感情を感じる能力が無い」だけかもしれないと言う事です。

(つまりサイコパスの人も、傷付く事、悲しむ事は知ってるかもしれない。ただ相手が今悲しんでいる苦しんでいると分からないから、気にしないだけかもしれない、と言う事です)

 

この著者の現状(症状)は「何か見たり聞いたりして感じた物や事と、それと同じ物、もしくは似た物のとを脳内で繋げる能力の欠如」が原因かな? と思います。

しかしこの著者の話を聞くと「その状態から思い出される感情の欠如」が大きな問題だったのだと気が付きました。

来た事もないに、何か懐かしい気がする田舎、等の事です。それは昔感じた事のある田舎の時の感情を、今は違う場所の色や景色や匂いなどから思い出させるその時の感情の事、等です。

これは言葉も無かった頃の人類にとって、「この状況は危険だ」と言うのを自分自身に伝えるのに大事だった事でしょう。高い所から落ちた事があれば、また落ちて怪我をしない様に、高い所にいると出て来る「恐怖心」が必要だったのです。

その時の状況と、その時の感情をセットで覚えておいて、同じ状況の時に同じ感情が出て来るようになってるのだと思います。

これは概ね利益を呼ぶ事でしょう。

 

しかしたまには違います。

戦争で恐怖から戦えなかったら負けて死んでしまいます。

恐怖で動物をさばけなかったら、肉は食えません。

不安だが、食料が無いこの土地から離れて、山を越えなければ死んでしまう事もあった事でしょう(超えた向こうに食料があるかは運ですが)。

などの、恐怖心がなく冷静でいられる人が必要な時があるのです。

この感情の欠如が必要な時用の特化人種が、アスペルガーだった気がするのです。

 

この著者は人の顔も判別が出来ませんでした。アスペルガーには多いのだそうです(例えば、コンビニに行った時、いない筈の自分の息子がドッキリで働いていても、分からないようです)。

これも何かと何かの繋がりが、自然と出来るようになって無いのだと思います。

人の顔を見て、誰か分かるのに理性は無い。ただ分かるのみです。

これは漢字を見て何か読めるのと同じです。だから文字を読めない人もスペクトラム障害の人にはいますね。

日本は漢字があるので分かりやすいと思います。パッと見て何か読めても、ジーっと見てると違う漢字と間違えてる気になったりしませんか? それにいつも書いてた漢字なのに、ど忘れもする事もあるはずです。これに理由は無いですね、分からないのは、ただ分からないのです。

この知ってた漢字を急に忘れるのは、人には良くあります。それが強くなったと思えば、字が読めない人の気持も少しは分かると思います。

そしてそれと同じだと思えば、人の顔が分からないのも、なんとなく分かりませんかね?

さらにそれが感情にまでなると、この著者の様になるのでしょう。

(つまり昔知っていた筈の漢字を見ても今は分からない様に、通常なら人の死などの恐怖心を感じる時に感情が出て来ないのを想像してください、と言う事です)

 

脳の遠くの何処かに電気が行って繋がり、始めて何が何なのかと分かるのでしょう。

しかし、それがそこまで行かなくなるが、その分他の所に多く電気が行くので、その辺はとても能力を発揮するのがアスペルガーなのでしょう。

では逆の場合はどうなるのか?

電気が脳の遠くまで行き、似てる何かを思い出させる。それは良いけど、それが強すぎると色々頭に浮かび、注意力が散漫になりやすい気がします。

それに飽きやすいでしょう。アスペルガーと違い、面白くて集中してたものでも、頭に違う物が浮かび、注意がそれてしまい、飽きやすいのです。

動物にとって、何かから何かを見付けるの能力は大事だった事でしょう。草むらからこっちを除いている顔を見付ける様な時です。その見ている奴が、人であっても動物であっても見付けないと危険だった事でしょう。

しかし見間違う事もある。木の影が人の顔に見える時がある。それが強く、木の葉っぱ中が、人の顔いっぱいに見えたらどうなるのか? たぶん生きていくのに邪魔でしょう。

気持もそうです。人の心が分かるのは良いが、それが強いといつも急に泣き始める情緒不安定な人になる事でしょう。

つまり、何かと何かを繋げる能力(人の心が分かるとか、人の顔が分かるとか)と言うのも、ほどほどじゃないとよろしくない、と言う事です。

この著者も、アスペルガーが少しの間治っても、良い事ばかりでは無かったと言っています。知らなければ良かった事もあると言う事です。

 

何年か前に、鈍感力と言う言葉が少しはやりましたね。

鈍感なのも一つの力ですね。

敏感過ぎるのはアレルギー体質の様なものです。なんでもほどほどが良い。

アスペルガーもアレルギーも、真ん中よりはずれ、偏ったと言う、量の問題なのです。

ただ大きく偏った時には病気と診断されると言う事です。アレルギー体質も大きすぎると生存自体が怪しくなりますからね。

パラメーターがあり、それは無段階なグラデーションの様に広がっている。

アスペルガーも、その逆も、そのどこなのか? と言う問題です。

真ん中位が普通は良いけど、少し位なら偏っても良いし、少し偏っていて特化している人も、群れる人類には貢献がある、と言う事です。

 

人は助け合って生きて行けるので、ある程度なら偏ってるのも、補っていけるのです。

だけど双方が相手の違いを分からないと、ぶつかりあい、良くないでのです。

双方が双方の事を理解する事が必要です。

普通の人も、アスペルガーの人もいるのを知っておくべきです。一見普通に見えるからこそ、気にしないと分からないからです。

逆もそうで、アスペルガーの人もこの著者の様に、一回でも機械の力でも使い普通の感覚を知る事は良い事だと思います。それで相手の事が分かるからです。

TMSと言う機械もそうですし、その後にも機械ややり方が進歩してるようです。

それはそれでいい事ですが、一般人はまず出来る事から始めるしかない。

アスペルガーに限らず、人はそれぞれ自分とは違うものなので、「相手を理解しようとする」、そこから始めるべきです。

人の気持は聴こえません。

聞こえたのは「あの人は悲しんでいると思う」と言う自分の声なのです。

つまり、自分の中の事なので、自分である程度は何とか出来るし、最後は自分自身を変えていくしかないのです。