号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

シンちゃんに花束を

今更ですが、元々アニメ「エヴァンゲリオン」は寺山修司をやりたかっただけの気がしてきました。

 

1935年 寺山修司、生まれる

ーーーー【1937年 盧溝橋事件 日中戦争 始まる】

ーーーー【1939年 第二次世界大戦 始まる】

1941年 宮崎駿、生まれる

1941年 富野由悠季、生まれる

ーーーー【1941年 太平洋戦争(大東亜戦争)始まる】

ーーーー【1945年 太平洋戦争(第二次世界大戦終戦

1951年 押井守、生まれる

ーーーー【1960年前後 60年安保闘争

1960年 庵野秀明、生まれる

1964年 幾原邦彦、生まれる

1966年 「ウルトラマン

ーーーー【1970年前後 70年安保闘争

1970年 「エル・トポ」(アメリカでの公開年)ホドロフスキー監督

1971年 安野モヨコ、生まれる

1971年 「書を捨てよ、町へ出よう」 寺山監督映画

ーーーー【1972年 あさま山荘事件

1974年 「宇宙戦艦ヤマト

1974年 「田園に死す」 寺山監督映画

1979年 「機動戦士ガンダム」 富野監督

1983年 寺山修司 死去

1984年 「風の谷のナウシカ」 宮崎監督

ーーーー【1985年 プラザ合意

1990年 「ふしぎの海のナディア」 庵野監督

ーーーー【1991年 バブル景気 終了】

1993年 「Vガンダム」 富野監督

1993年 「劇場版セーラームーンR」 幾原監督

1995年 「エヴァンゲリオン」 庵野監督

1997年 「エヴァ劇場版 Air/まごころを、君に

1998年 「ブレンパワード」 富野監督

2005年 「Zガンダム劇場版」 富野監督

2007年 「エヴァンゲリオン新劇場版:序」(正確にはヱヴァンゲリヲン

2009年 「エヴァンゲリオン新劇場版:破」

ーーーー【2011年 東日本大震災

2011年 「輪わるピングドラム」 幾原監督

2012年 「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」

ーーーー【2019年 コロナ禍】

2021年 「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」

 

 

90年の庵野監督のテレビアニメ「ナディア」は、ほぼ普通の作りでした。

しかし95年のエヴァで急におかしくなりましたね。

となると、この間に何かしらの影響を受けて、それの影響からの作品をやろうとした、とみる方が自然だと思います。

幾原監督の93年のセーラームーン劇場版に、庵野さんが係わっていたようなので、やはり幾原さんことイクニさんが怪しいと言う事になると思います。

そしてどうやら庵野さんに演劇を進めたのが、イクニさんだと言う事です。

私の推理だと、ここで寺山修司の事を知ったか、もしくは深く知る事になり触発され、次のアニメ「エヴァ」の内容のコンセプトにしたのでは無いのか? と思っています。

つまり「エヴァ」は元々「寺山修司をやる」と言うコンセプトで作られたように感じるのです。

 

元々アニメ等に溺れるオタクをイクニさんは気に入らなかったようです。

ガンダムの富野さんも同じように気に入らなく、キャラを殺す事で目を覚まさせようとしてたようです。

庵野さんはイクニさんも仲がいいし、富野さんのガンダムも好きだったようです。特に93年のⅤガンダムを褒めていたようです。

富野さんが病んで一度アニメ制作から離れる前に作ったのがⅤガンダムです。そして後で「Ⅴガンダムは無かった事にしたい」とまで富野さんは言ったようです。それを褒めていたのが庵野さんです。

たぶん庵野さんも、アニメに溺れる人の事を気に入らない所がるし、良くないとは思っていたのは間違いではないでしょう。

だから好きだけど嫌いだと言う相反する感情が出たのが「エヴァ」だと思っていましたが、「本当にそうなのかな?」と思えてきました。

 

安野モヨコさんがオタクである自分を嫌っていたようです。だけど庵野さんと付き合い、オタクその物を認めた方が楽だと気が付いたようです。

他の庵野さんの言動や「ナディア」の内容などから「本当にオタク要素否定な人なのかな?」と言う疑問が生まれます。

もちろんエヴァの頃は、今より否定感が強かったのかもしれません。それに肯定感もあるけど否定感もある事自体は間違ってはいないでしょう。

ただ「思ったより否定して無いのでは無いのか?」と思えてきました。

だとすれば、あのエヴァの否定した作りは何なのか? と言う事になります。

 

富野さんがキャラを殺す事で見てるオタクの目を覚まさせようとする。

それと同じ事をしようとしたとすれば、旧エヴァ劇場版のあの皆殺していく作りも納得がいきます。

そこで寺山修司です。寺山さんも「書を捨てよ町へ出よう」と言います。映画でも「映画を見てても何もないよ」等と話しかけてきます。

そしてイクニさんの思いも同じであった事でしょう。

これらをまとめ、やろうとしたのがテレビ版「エヴァ」だった気がするのです。テレビ版のラストは、たぶん演劇の方の影響が大きいでしょう。

結局はアニメを間に挟んでいても、見てるオタクにメッセージを伝えてるのだから、その間を取ってしまって実際に話しかける。その事で現実に戻そうとした。

しかし上手くなかったですね。急には上手くは出来ないものです。だから旧劇場版では、もっと分かりやすくやろうとしたのでしょう。

旧劇場版の「Air」の方を今見て見たら、結構良く出来てました。富野さんの考えを寺山風に味付けをして、上手い事やっている気がしました。

寺山さんの映画は「裏で何を言いたいのか?」が分からないと、何をしたいのか、言いたいのかが分からない映画です。

エヴァ旧劇場版では裏でやりたい事「富野作品の様にオタクを現実に戻す」が分かると、やってる内容も納得できる作りです。

結構しっかり寺山作品を踏襲している作りなのが、分かるのです。思ったより頑張って練られていると思いました。

 

だけどその後の「まごころを君に」になると限界が見えてきます。ここであまり言いたい事が無いのがばれてくる。浅いのがばれてくるのです。

最後アスカとシンジが残ります。庵野さんが言った話だと、他のキャラは死んでるようです。ただこの後、輪廻で皆が生き返る事を匂わせる。だからそこまでおかしくない話なのです。

(ちなみにここで輪廻とアダムとイヴらしいメッセージが出て来ます。これを元にピンドラでは合わせて来たのでしょうけど、色々とよくやりますね)

しかし輪廻で生き返るのなら、富野さんのメッセージをやる為に皆殺していく事が宙に浮いていきます。成立しなくなってくる。

シンジ君とアスカが残る事もそうです。これがアダムとイヴになるのでしょうけど、だとしたらアニメに溺れる人の解放どころでは無く、背中を押す事になる。

だったらいっそシンジとアスカが手を取り合い、大団円でも良かったのに、それをするとメッセージがずれてしまうのでそれも出来ず、中途半端に「気持ち悪い」とアスカに言わせます。

これは「田園に死す」で最後母を殺せなかった事にかけているのでしょう。「アスカを殺せなくてもいいだろう?」と言う肯定です。でもなら、ここでもメッセージからずれてきてます。

世界は壊れ、アニメキャラの象徴アスカと、自分の分身シンジ二人だけは残ると言う、アニメオタク理想のエンドです。

なら始めから、昔ながらのただのロボットアニメとしてやり、敵をやっつけ、アスカとシンジが付き合って終わりで良いじゃないですか? 旧劇場版だとどっち付かずな何をしたいのかが分からない物語になっているのです。

これは、庵野さんはこの頃は「田園に死す」の中身には、まだたどり着いてなかったと言う事です。

そして「書を捨てよ町へ出よう」でやってる意味も理解してなくて、表の誤魔化しに引っかかってしまったのでしょう。

しかし更にたちが悪いのが、そもそもの富野さんがやってた事自体が間違いだったと言う事です。間違ったやり方を真似てやろうとしたので、同じに間違ったのです。

 

ちなみに、寺山さんは他の作品を取り入れる事を普通にする人でした。

田園に死す」はホドルフスキーの「エル・トポ」を寺山さんが見て、自分要素を足してやったように見えます。

だからその後の作品は「田園に死す」のようでは無い物が多いですね。あくまで「田園に死すはホドルフスキーで行こう」と言う事だったのでしょう。

だからこの時「エヴァ寺山修司で行こう」とした庵野さんも同じだと言う事です。ただモチーフが深かったのでハマり動けなくなってしまいましたが。

 

97年に旧エヴァ劇場版です。そして98年に富野復活アニメ「ブレンパワード」です。

つまり富野さんがⅤガンダム後、病んでいた間に作られたのがエヴァです。

そして「間違っていた」と言い出すのが旧エヴァの後なのです。

そうです。エヴァがおかしいのは、富野さんのせいですね。

しかしだからこそ、富野さんは正すためにその後の物語を作って行きます。

そしてZガンダムです。やり方が間違っていた事を正す為に、2005年に劇場版で作り直す。

カミーユが精神崩壊せず終わります。これが正解だったと示したのです。キャラを皆殺しても終わる事などできないと気が付いた。

庵野さんはこの新Zガンダムを見て、エヴァをもう一度やろうとしたようです。なぜかの内容は言って無いようですが、私はたぶんこの「富野さんがやり方を間違えてたのを正した」事に庵野さんが気が付き、自分も間違っていた事を正そうとしたように思えるのです。

殺しても、精神崩壊エンドでも、物語は終わらす事など出来ないのだと気が付いたのでしょう。

だから07年からエヴァンゲリオンを、もう一度やり始めるのです。

今度こそは間違えない為に。

 

私は「エヴァ」は寺山修司をやりたかった筈だと言いました。

そして物語のメッセージ方は「オタクを現実に戻す」と言う事です。これが富野さんとイクニさんの考えでもありました。

そして一見寺山さんのメッセージにも見えます。ただこれは間違いです。これは分かりにくい寺山さんのせいでもありますが。

「書を捨てよ町へ出よう」は「今は書を捨てよう。今日は町へ出よう」と言うような意味です。否定では無いのです。寺山さんはこれを言った後も、かなりの読書家だったようです。だから捨ててはいない。でも本だけでとダメだと言うのは言ってたのでしょう。つまりバランスが大事だと言う事です。

寺山修司をやるのがエヴァのコンセプトなら、新劇場版でも寺山作品をやらなくてはいけません。そうじゃないのならエヴァじゃないからです。

寺山作品をしつこくやる事を見ると、そもそもが庵野さんは「オタクを現実に戻そうと言うメッセージを強く持っていた」と言うよりは、このアニメ「エヴァはこのメッセージでやろうと思い作った」ように感じたのです。

もちろん「オタクを外に出す感覚」もあったのでしょけど、それよりももっと「物語のメッセージなので貫いた」ように見えたのです。

自分の叫びの様で、実は物語のメッセージとして言うべき事をやったのでは無いのか? と思えてきたのです。

やりたいからやったのでは無く、やるべき事をやったと言う事です。

だとすれば、なお更作家として、作り手として賞賛されるべきですね。

そしてそれは寺山さんの作りにも通じる所があります。寺山さんの映画も自分の事をただ言ってるようで、実はメッセージを強く持って伝えようとしてるのが分かるからです。

田園に死す」のあらすじを見ると「寺山修司の自伝的作品」などと出て来ます。私はこれが嫌いです。その程度だと思ってるのだなと、思えてなりません。もちろん、そのように見える様に作ったのだから、寺山さんが上手くやったと言えるかもしれませんけど。

そしてエヴァもそうかもしれないのです。庵野さんの自伝ではないと言う事です。

そうだとしたら、ここでも寺山作品を見事にやってのけた事になります。

さて、実際はどうでしょうね?

 

たぶんですが「シン・エヴァ」は寺山作品を深いレベルで理解して、そしてやってのけた気がするのです。

だとすれば、ほとんどの人が理解出来てない位の、深さを持った作品だと言う事です。

それ自体(一見自伝の様で、実はメッセージ性が強い)寺山作品と重ねる事が出来る事から、寺山さんの後を継いだと言えるのでは無いでしょうか?

そしてもう一つの寺山さんの次を担う傑作「ピンドラ」。これがエヴァへのメッセージでもあるのが、また面白いわけです。

寺山作品の影響を受けたこの二人が、この様に一見理解出来ないレベルまで深く、寺山さんの向こうを成し遂げたと言えるものを作った事が、また奇跡的です。

私は奇跡と言う言葉は嫌いですが、でも言いたくなる位不思議な縁と繋がりから出て来た作品でした。

 

おまけです。

エヴァの「まごころを君に」の題名ですが、これは「アルジャーノンに花束を」の映画版の邦題だそうですね。

たぶん知識を得た庵野さんがそのせいでおかしくなり、逆に苦しんだ事を表しているのでしょう。

ただ、旧映画の時は酔ってましたね。それこそネズミアルジャーノン程度でした。

この作品は知識を得ても良い事ばかりではない。他に大事な事がある、と言いたいようです。

確かに頭が良くても、経験がなく感情をおさえられないと、幸せにはなれないのは間違ってはいない。

しかし本当に頭が良ければ、そこから調整して上手くやれるようになるのです。

人付き合いなんて特にそうで、自分の中だけの問題なので、頭が良ければじきに解決する程度の事です。給料が安い事よりずっと簡単に治せるのが人付き合いです。頭が良ければね。

もし出来ないのなら馬鹿なのです。頭は良くはない。もしくは感情が制御できない等の、先天的な脳の欠陥があるかです。

物語上はチャーリーはまた知能が低くなっていきます。だから分からないのですが、実は何年かあれば解決していく事です。

だから「頭が良ければ良いと言う事ではない」と言うメッセージはあってますけど「頭が良ければ、それは解決できる事だ」と示さないのは嘘ですね。

エヴァもそうです。実は経験を積めば解決していく事で失敗してるのです。

たぶん狙った訳では無いでしょうけど「アルジャーノンに花束を」の問題点と重なりますね。

庵野さんはアルジャーノンの様に死なず、チャーリーの様に知能が低くなる事もありませんでした。

だから解決してみせましたね。

アルジャーノンに花束を」のチャーリーの知能が低くならない物語が知りたければ、庵野さんを見ましょう。

そこに本当の答えがあるのだと、私には思えます。