号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

シン庵野秀明

ネット動画で漫画家の山田玲司さんは、庵野監督を「魂の全裸監督」と呼んでました。なるほど、そうですね。

庵野さんに対し「丸くなったな」とか「大人になったな」と思った方、安心して下さい。はいてませんでした。

 

アニメ「シン・エヴァンゲリオン」です。3回目です。ネタバレです。

 

何か引っかかる所には、何かがある。

シンエヴァには何か引っかかったのだが、それが何かが分からない。

しかしエヴァではなく庵野さんに引っかかったのだと、思えてきました。

そして私は、やっぱり庵野さんは気に入らないのも分かってきました。

例えるなら、この人はレーサーで、コーナーを吹き飛ばないギリギリで曲がる人だからです。

 

私は映画を見る前にネットで「最後はマリとくっ付く」と言うのを見てしまいました。

それで気になり「なんでマリなのか?」とネットで調べ「マリは庵野さんの奥さんモヨコさんだ」と言うのも見てしまいました。

だから映画館で見た時、まるっきりスルーしてしまいましたが、よく考えるとおかしいですよね? 最後シンジ君にくっ付くのがマリである所がです。

 

結局シンジ君が誰ともくっ付かない、と言う話も考えられますが、それは無いのが途中で分かる内容です。

前にも言った様にこの話は、富野さんの最近の作品のように、普通に結婚して生きて行くのが大事だと言う話です。

トウジが委員長とくっ付いていたり、ミサトさんに子供がいたりする事からも、この流れだと最後シンジ君にも誰かお相手が見付かると思える内容でした。

では誰になるのか?

レイは母のクローンなので無いのは分かります。それを無視してリアルな男女として考えても、おとなしいレイとシンジ君では合わないのが分かります。

で、普通の少年漫画だとやはりアスカになる訳です。

しかしリアルな男女だと考えたらどうでしょうか? この二人は兄弟の様に仲良くなるでしょう。だからこそ、くっ付かない可能性が高いですね。

この辺の感覚が分かっている漫画家や原作者は、こう言う二人を結局くっつけない終わり方にする場合の方が多いです。

現実を知っているので、それだとウソっぽいと分かり避けて来るのでしょう。

だから最後アスカとシンジがくっ付かない終わり方でも、別に普通の話です。

しかしだからと言って、マリは無い。

 

確かにこのような話が14歳の時あり、その後28歳になるまで14年あれば可能性はあります。

しかしあくまでシンエヴァの物語の流れで考えると、ここで急にマリはありえない。

この流れでこの最後が納得できるためには、暗喩と庵野が分かる必要があります。

つまりマリは大体はモヨコさんだろうと言う事ですし、シンジ君は庵野さんだろうと言う事です。

つまり、最後で物語上の作りを無視し、庵野さん自身の事を語っていたのです。

 

テレビ版では、最後庵野さんの叫びとしか思えない内容になります。

「まごごろを君に」の時も、庵野さんの言いたい事の話だと思わなければ、何をやってるか分からない。

つまり、ネットで皆が言うように、私小説になってますね。

ただこれだと「これはお前の私物じゃないだろ」と怒られる話です。

小説ならいいです。ほぼ自分が責任を取ればいいからです。

しかしアニメはスポンサーもあるし、制作会社の事もある。だからいけませんね。

だからこそ、庵野さんは自分の会社を作り、そこで新たな映画版エヴァをやり始めたのでしょう。

でもだからと言っても、客がいます。客に「お前の話など聞きたくない」と言われる可能性がある。前に言った様に、私小説としたいのなら始めから「これは私小説です」と言って始めればいいのに、ラブコメロボットアニメで始めるから嘘つき呼ばわりされるのです。

だから「自分の思いを叫ぶ」のは間違いです。それを旧エヴァはやっていたのです。

もちろん、ただ叫びたいだけでは無く、これはこれで物語の正解だと思ってやっていたのでしょうけど、それでも間違いです。

そもそも、庵野さん自体が間違いだと思ったからこそ、また映画版でやり直したのでしょう。

 

では今回シンエヴァではどうだったのか? 実はまたやっていたのです。

しかし今回はこっそりバレない様にソっと最後に急に、シンジ君とマリをくっつけたのです。

これは暗喩を理解して、その上庵野さんを理解しないと分からないものです。

それでも、暗喩を考えないと内容の深い所は分からない、と言う啓発だった可能性はあります。

しかし庵野さん自体が分からないと意味が分からない所は、ただの全裸監督の叫びでしょう。

ここもそうだし、前回言った様に「壊していくやり方」「それで客を遠ざけるやり方」「精神世界に行く」「客に直接語り掛ける」等の、旧エヴァでやり皆からけなされた所を、またやる。

しかし今回は上手くやります。これらを納得させて見れるものにして、しかも隠してやり遂げたのです。

これは良く言えば大人になり、上手くやり通す方法を導き出した、と言えます。

悪く言えば狡猾になり、隠して隠れて壊し、やりたい事を裏でやり通した、とも言えます。

ただどっちであっても、思ったより庵野さんは変わっていなかったのです。別にそこまで丸くもなっていなかったのです。

 

レーサーに例え、庵野さんは、昔はスピードを落とさずコーナーに入って行く奴のようでした。「死にたいのか!」と皆に言われるレーサーですね。

しかし最近は曲がれるスピードを理解していて、そのスピードで入って行くのだが、でもギリギリです。少し間違えればコーナーから吹っ飛んでいくスピードで走って行きます。

もし少し間違えれば車が吹っ飛びぶつかり、庵野さんが大怪我をします。周りの人も大怪我をします。車も壊れ大損害です。皆からとても怒られるでしょう。

そんなスピードで走ってコーナーを攻めているのは、今も変わっていなかったのです。

 

そして、だから私は気に入らないのです。

レースが数時間で終わるのなら、コーナーを攻めないといけないのは分かる。

しかし私から見れば、言ってみれば80日世界一周レースをしてる様なものです。

世界一周レースで、毎コーナーギリギリまで攻めたらどうなるか? どこかで間違って最後まで行けない可能性が高い。ある程度は安全に走らないとゴールまで行けないのだから、この走り方はおかしいと思う訳です。

 

でもだからこそですね。

庵野さんを褒める人、認める人は元レーサーか、現レーサーの人ばかりです(例えです)。だから毎コーナー攻めれる庵野さんを許せるのでしょう。宮崎駿さんも押井さんもイクニさんも山田さんも、皆レーサーだから認めるのです。

だからこそ奥さんがモヨコさんなのですね。この人も現レーサーなので、だから理解できる。

私はただの傍観者なので、理解できないのです。もっとゆっくり走っても良くないですか? 逆にそれは無謀じゃないですか? ゴールまで行けないのじゃないですか? と言いたいのです。

 

これが私がシンエヴァで感じた違和感です。

表では卒業式をして、実は裏で壊しながら、客にも挑戦してたのです。

映画を見ている私達の後ろで、全裸で私達を見ていたのでしょう。

裸だと通報されるので羊の皮をかぶる事は覚えましたが、中身は旧エヴァからそこまで変わってはいなかったのです。

だから私は気に入らないのでしょう。

 

しかしだからこそ、シンウルトラマンもシン仮面ライダーも、何かしら挑戦して、客に攻撃してくる事が予想されます。注意です。

そしてその時、もし丸くなっていたら「つまらなくなったなあ」と私は言うのでしょう。

まったく、自分事ながら傍観者は身勝手なものだと、つくづく思います。

 

 

21年 4月 12日 補足

 

書いた後で、私の感じたわだかまりを表す、もっといい例を思いついたので補足しときます。

 

例えで「これは良いと思った料理人が【寒い冬ですね。ふぐ料理始めました】と思い付きで出したが、毒でバッタバッタとみんな倒れて行った」と言うのが旧エヴァでした。

私はそれで「だからふぐ料理を止めろ」と思っていたが、ふぐ=エヴァ、と言う事に既になっており、だからふぐ料理を出さない訳にはいかない。

ふぐを出さないと、気持ち的に旧エヴァの決着がつかないからです。

そしてシンエヴァでは考え、毒の内臓を抜き、それで美味しいふぐ料理でみんな満足した。様に見えました。

 

ただ、ふぐの種類によるかもしれないけど、ふぐの身にもちょっとは毒があるらしく、あまり多く食べると良くないと聞いた事があります。

そしてエヴァのふぐは、マイナス宇宙産の未知なるコピーふぐだったので、思ったより毒が強かったのです。ふぐをさばく時(もしくは裁く時)小さな光の十字架が立った事でしょう。

ただ致死量ではな無いので死にはしないし、料理が上手く出来たので、皆気が付かず美味しくいただいて満足したが、実は知らず知らずの内に結構毒を食わされていたのです。

それで、私はどんな味か理解しようと結構沢山食べたら「ん?」と何か引っかかった感じが残った、と言う話です。

致死量ではないが、今回も毒を食わされてるじゃないかと気が付いたのです。

だから「やりやがったな」と思った次第です。

 

この例を思いついた後で、考えたらピンドラでもふぐの毒出て来ましたね。

たまたまでしょうか? 

もしくはエヴァ破の時点で、イクニさんは美味い料理の裏の毒を感じてたのかもしれませんね。