号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

13 使徒 カヲル君

 「輪るピングドラム」の最終回で、運命列車の線路の分岐点を変えて、未来に進んでいきました。ではその線路の向こう側がどうなってるか知ってますか?

暗闇を抜け、明るくなって見える景気は「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」の線路のポスターに繋がっていたのです。

 

アニメ「輪るピングドラム」と「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」のネタバレ含みます。

 

眞悧(さねとし)は「まり」とも読める事が、ピンドアの謎解きの大事な要素でした。

でもどこから「まり」が出て来たのか? がずっと分かりませんでした。

しかしです。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」が良く出来ていると言うので、久しぶりに映画館に行ってみようかな? と思っていたら、フッと「マリ、ここにいるやないかい」と頭に浮かんできたと言う訳です。

 

まず前提条件として、エヴァのカヲル君の元は、イクニさんだともっぱらの噂ですね。そうでしょう。

しかし噂によると、イクニさんは「そんなに単純な話ではない」と言ったそうです。

イクニさんはエヴァの監督庵野さんと仲がいいらしいですね。しかし何歳か庵野さんが年上で年上に対する口調で話すようです。だから友達と言っていいかは分かりませんが、仲はよさそうです。

セーラームーンの打ち上げか何かで温泉に行った時、イクニさんと庵野さんは長々話したようです。たぶんその時イクニさんは「自分が14歳の頃は世間に絶望していて、二十歳まで生きてはいないだろうと思ってた」と言うような事を話したそうです。

つまり、絶望しているシンジ君は庵野さんが元であり、要素としても一番多いとは思っていますが、それだけではない。イクニさんや他の人の要素の含まれている存在だと思うのです。

それにイクニさんが言うのは「カヲル君の態度は庵野さんに近いのじゃないのか?」と言う事です。

これもそうで、それでもカヲル君はイクニさんが元で、時にはイクニさんでもあるけど、庵野さんの要素や、他の人の要素も加わった存在だと言う事です。

つまり、いくつかのキャラには元になる人物がいて、時にはその人でもあるのだけど、ある時は別人、又ある時は多くの人の総合人格の時もある、と言う事です。

 

そしてエヴァンゲリオンのキャラ「真希波・マリ・イラストリアス」はピンクのプラグスーツですね。

だからマリは庵野さんの奥さん、漫画家の安野モヨコさんでは無いのかと前から言われてます。モヨコからモモコになってピンク色になったのでは無いのか? だそうです。

ただこれもそうで、マリは時にモヨコさんであり、モヨコ要素が一番多いのかもしれませんが、同一人物では無いでしょう。

マリはエヴァンゲリオンの劇場版の二作目に急に出て来たキャラです。あとであえて出したキャラには、深い意味や考えが含まれる可能性が高いのを見落としてました。考えて作る作家は特にそうです。

エヴァ劇場版二作目が2009年で、ピンドラが2011年。

だとすればピンドラがエヴァから取ったのでしょう。

眞悧がマリであり、だからこそピンクなのです。

 

しかし眞悧はマリの黒要素です。白要素は桃果(ももか)になります。

そして桃果こそがその名前から安野モヨコさんですね。だからこれもピンクなのです。

そして眞悧(さねとし)は、やはり外見から見ればイクニさんでしょう。

複雑になってきましたね。

 

アニメ等で、良い行いをさそう天使が、頭に周りに小さく出て来る演出がありますよね。

それに対して、悪事をさそう悪魔が、小さく反対側に出て来る物です。

この時の天使と悪魔の形でよくあるのが自分自身です。

そして他に多いのは、良い事を言いそうな善良なキャラが天使の形をしてたりします。悪魔は逆です。例えばのび太で表すと、しずかちゃんが天使の姿で現れ、ジャイアンが悪魔の姿で現れます。

これと同じで、悪の眞悧がイクニさんを表し、天使の桃果がモヨコさんを表しているのです。

そしてエヴァの「マリ」と言う名前には黒の要素が見られ、キャラ全体としてのマリの要素にモヨコさんのイメージからの白の要素が見られる、と言う事だと思います(モヨコさんが完璧な真っ白と言う事ではなく、庵野さんにとっての天使だと言う事です)

つまりエヴァのキャラクターの「マリ」には、黒の要素と白の要素、両方が隠されていると、イクニさんが見抜いたのでは無いでしょうか?

 

エヴァのマリとは何か? なぜ出さないといけなかったのか? はシンエヴァを見れば分かります。

 

(これは漫画家の山田さんのネット動画が参考になってます)シンジ君にとって、レイは理由なく守ってくれる母の存在です。そして人形でありフィギュアです。

アスカは学校カーストの一番上の存在です。つまりオタクには手の届かない存在です。なのに、ぶっきらぼうにだが自分を好きでいてくれる存在です。つまり良くあるなぜか主人公を好きなるアニメのキャラそのものです。

つまりレイもアスカも、オタクの欲望その物を具現化した、作り物の存在です。理想が具現化された者だからこそ、人気がありましたね。

でもだからこそ、これは嘘っぱちであり、酒や麻薬等の酔わせる物でもあるのです。

 

(ここのイクニさんの言葉はちょっと出所がはっきりしないので、信憑性は疑って下さい)

イクニさんはそれが気に入らなかったようです。そんな嘘を打ち砕いてほしかったそうです。レイを最後妊娠させてくれと言ってたようです(それで理想を壊し、現実を突きつけてほしかったようです。だからウテナで似た事してますけどね)。庵野さんは言われて困ってたようですが。

だからこそカヲル君事イクニさんは「ギャーギャーうるさい」とエヴァに握りつぶされてましたね。そして庵野さん事シンジ君が病んでいくと言う物語でした。

ちなみにここで言うエヴァは、エヴァ制作人の合わさった象徴ですが、そこに庵野さん自身も入っていると言う事です。だからシンジ君が乗ったエヴァが握りつぶすし、だからこそ庵野さんのトラウマは大きいのです。そして悩んで病んで、エヴァテレビ版のラストになる訳です。

 

話を戻し。

レイもアスカも嘘でありオタクの妄想の塊です。それに溺れるのは良くないと言うのがイクニさんの考えです。

だからエヴァを最後でちゃんと終わらせるためには、この二人以外の誰かが必要になります。

それがマリです。実際の世界でシンジ君が付き合い、上手く一緒に人生を生きていける存在が必要だったのです。

だから例えとして、シンジ君を庵野さんに見立てた時、相手はモヨコさんをイメージしたマリを出したのです。

しかし、シンジ君は庵野さん要素が一番多く入っているが、他の人も入っているキャラです。それこそ見ている人達の男が乗れる存在であるがゆえに、見てる人も全て入っているのがシンジ君です。

それで見てる人にも、このように実際の伴侶となる人を探すべきだと言う暗喩になっているのでしょう。

 

しかしです。そうは言ってもエヴァのキャラ、マリもまたオタクに好かれるキャラでしたね。それに天地真理の歌も歌ってたので、庵野さんが天地さんを好きだったのでしょう。今の人は知らないでしょうけど、天地さんはかなり人気だったアイドルです。

つまりレイやアスカとは違う、リアルな世界で実際に付き合う人を探せと言う存在になるべきキャラ「マリ」もまた、同じになってはいないのか? また嘘で固められたアイドルみたいな存在を作ったのでは無いのか? とイクニさんは思ったのではないでしょうか?

だから「マリ」の名には黒要素(アニメ等の虚構要素)が感じられ、それにいつまでも逃れられない呪いのメタファーとして、眞悧を重ねてきたように思えます。

 

でも面白いのは、ピンドラは「黒」否定では無いのです。「黒と白が同じ所にあり、それでバランスを取って生きて行くのが人の生きる道だ」と言うのがピンドラなのです。

だから白黒が上手い具合で混ざったペンギンが大事だと言う物語でした。

つまりイクニさんがマリに黒要素を感じたとしても全否定では無いのです。それに白要素である桃果こと奥さんモヨコさん要素が合わさあり、バランスを取っていくのが正解だと言いたかったのでしょう。

行ってみれば眞悧(まり)はアイドルだったりアニメだったりのオタク要素です。

そして桃果がモヨコさんであり、実際に存在する人であり奥さんであり、だからこそリアルな生活での必要な人なのです。

アニメと実際の伴侶、この二つがバランスよく合わさった人生が庵野さんの、エヴァの、そして見てる人達の正しい答えだ、と言うのでしょう。

これは、エヴァでは「マリと言うキャラは白黒合わさった人であるべきだ」と言うイクニさんのメッセージでもあります。

そして「庵野さんがこれを分かって作っているのなら、そうなっているのでしょう?」と言う事でもあったのかもしれません。

 

ピンドラは95年のテロの呪いに立ち向かう物語です。

表はサリン事件の事です。

そして裏はエヴァテレビ版の事だったのです。

エヴァの最後では、庵野さん自身も、見ている人も皆殺しにする自爆テロを犯した様な作品でしたからね(正確にはエヴァの最終回はもう96年でしょうけど、これはサリン事件もかぶせる為でしょう)。

だからこそ眞悧はイクニさんの姿なのです。眞悧がテロを起こそうとした人物です。そしてイクニさんが庵野さんを追い詰めて、エヴァでのテロを起こす背中を押さなかったのか? と言う事です。

(21年5月15日追加、そう言えば俗にいうサカキバラ事件も少し含まれてるアニメでした。この事件は97年です。旧エヴァ映画も97年でしたね)

 

この辺の事が分かると、ピンドラの残りの謎が解けて行くわけです。

 

なぜ95年に戻り、運命を変える物語だったのか?

これはあまり良くない作りです。それはイクニさんも分かっていましたね。

つまり、なかった事にしてる様に見える物語です。

起きた事は変えれない。それを乗り越えて行くしかないのです。

それをなかった事の様に見せるのは嘘であるが、嘘だからこそ気持ちのいい物であり、麻薬なのです。「君の名は」です。

だからピンドラでは気を付けて、無かった事にならない様に「新たな未来を作った」となるように、かなり気を付けた作りでした。(ちなみに、だからシンエヴァ最後も無かった事にしない、と言ったと思うのです)

しかし気を付けるなら、そもそも運命を変える等と、しなければ良かったのです。しかしやらなければならなかった。なぜならエヴァの事を表しているからです。

テレビ版でエヴァがテロを起こし、それをもう一度映画版でやりなおす。もう一度95年に戻るのです。そして今度こそは運命を変えて、正しい道に進むべきだと言う物語だったのです。

その為に今度は間違わない様にと、イクニさんなりの答えを見せたのでしょう。

 

答えは「運命の果実を一緒に食べよう」と言う事です。

ピンドラだと、この言葉が運命を乗り換える呪文でしたね。

運命の果実、リンゴを食べるのは罪なのです。でも罪もあるのが人なのです。罪も一緒にしょい込んで生きて行こうと言うのです。

そしてリンゴを食べると生身の人になるのです。永遠の夢の楽園で、つまりアニメの世界では人は生きてはいけない。だから生身の人としての人生を送ろうと言う事です。

まとめると「良い事も悪い事も、白い物(奥さん等)も黒い物(アニメ等)も背負い、その上で生身の人として人生を、一緒に生きて行こう」と言う事です。

これこそがエヴァの答えだと言う事であり、進む道だとイクニさんは言いたかったのです。

いや、テロ行為の背中を押したイクニさんだからこそ、もう一度95年に戻らなければならなかった。庵野さんもイクニさんもです。

ここでシンジ君とカヲル君の両方に、それぞれ両方の要素が入っているのがきいてくる。

複雑に合わさり、重なって一つの弱さと力になり、一緒に95年の呪いに打ち勝つ物語になるのです。

 

ちなみに他に分かった事が、オープニング曲です。

オープニングの曲が「ノルニル」と「少年よ我に帰れ」でしたね。

これはネットで他の人の意見で気が付いた事ですが「少年よ神話になれ」と歌ってたのがエヴァのテレビ版でしたね。それのカウンターとして「我に帰れ」と言うのです。

そしてノルニルとはwikiによると、普通は三女神を指すのだそうです。この三女神の出現がアスガルドの終わりを告げる事のなるのだそうです。つまり神話の終わりを告げる三女神です。レイとアスカにマリが加わり、神話に終わりを告げるだろうと言うのです。

どっちも「神の世界を終わらせろ」と言うメッセージです。つまり庵野さんが神の様にふるまえる世界、アニメを終わらせるのです。

人は夢の世界に行ったとしても、最後は実際の世界に帰り、普通の伴侶でも見つけ、人としての幸せを目指すべきだ、と言う事です。

 

ではこれらのメッセージが庵野さんに伝わったのか? ですね。

伝わったからこその電車のポスターだったと、私は思いたいのです。

(そもそも電車自体が庵野さんの好きな物だったようです。つまりピンドラの電車は銀鉄からと庵野さんの両方から取ったと言う事になります)

 

「アニメと現実、どっちも取れ! 全て否定するな!」と言うのがイクニさんのメッセージだったのです。

イクニさんはこの事を強く言うためにも「さらざんまい」でもう一度言った様に思えます。

そして「シン・エヴァンゲリオン」もそうでしたね。全てを否定しない作りでした。オタク要素さえも素直に受け入れ、黒要素、白要素全てを見せる作りでした。完璧でしたね。

 

しかしねえ。イクニさんよくやるねえ。詰め込み過ぎですね。

人を超えてますね。流石13使徒ですね。

 

 

2021年4月5日 追加

 

庵野さんの会社カラーの名はモヨコさんが付けたそうで、ギリシャ語で歓喜の意味で単語は【χαρά】だそうです。これ、カッパって読めません?

ケッピが庵野さんでモヨコさんが吾妻サラで、主役級の3人がシンエヴァ監督三人か?

最後消えるレオとマブがカラー相談役、摩砂雪、貞本か? 考えすぎか? なんでも暗喩に見えて来る変な病気か?

最後戦う時ケッピはウルトラマンの格好で復活してました。

そしてさらざんまい自体が病んだケッピが復活する物語でしたね。

はじまらない、おわらない、つながらない、と言う文字が書かれた図形がありました。この上と下に謎の2と3が書かれてました。

これは2.0と3.0がつながって無いと言う事ですね。そしていつまでもおわらないし、はじまらない。

「2と3がつながってないじゃないかい!」と私みたいな奴がえせ関西弁でいうから、ケッピが病んでしまいました、と言う物語でした。