号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

量子的物語

アニメ「ワンダーエッグ・プライオリティ」の6話を見ていて頭に浮かんだのが、漫画の「今際の国のアリス」のオチです。

つまりワンダーエッグの6話だと「最後にどう落とす事も出来る」と言う事です。

極論で言えば「最後を当てたくても、考えるだけ無駄だ」と言う事でもあります。

この辺の事で頭に浮かんだ物語の「オチ」について話します。

(注意、漫画「今際の国のアリス」と推理小説「火刑法廷」のネタバレが含まれます)

 

私は前回のワンダーエッグの考察で「あってても、あってなくても、これで良いと思う」と言いました。なぜどちらでも良いのか?

それは可能性は無限にあるのだから、今ある情報から最善の答えを探すのみです。

つまりあってるかというより「物語として今の情報から一番いいだろうと言うラストは何だろう?」を考えるのです。

そしてもし「より多くの人にとって最善の答え」を出せたのなら、それが正解です。

そして自分にとったら「自分にとって最善の答え」を出せたなら、それが正解なのです。

つまり作者の答えが違くても、自分の答えの方が良ければそれが正解だと言う事です。

作者の思惑を当てる事は失敗してるが、物語の答えを得る事は正解してると言う事です。

 

ただまだその段階で出てない情報があるかも知れず、それがその後出てきて違う答えに持っていくとしたら話は別です。極端に言えば、1話を見てラストを考える事です。大体無理ですし、意味が無い事が多いです。情報が少なすぎるからです。

いや1話で大体わかるよとうそぶく人には、じゃあ1話の半分なら? じゃあ開始5分なら分かるのか? と聞きたいです。5分では情報が少ないから分からないと言うのなら、なぜ1話なら分かるのか? と言う事です。それは作り手のさじ加減なので、どこで今後が大体分かる情報を出すかなんて、その都度違います。

逆に言えば数話見てもまだ情報が少ない場合があっても良いと言う事になります。それは物語の作り手次第です。

だから「今の段階の最善の答え」がもし出せたとしても、その後の情報でくつがえる事があると言う事です。

 

それともっと単純に「今ある情報から出せる答えであったとしても、自分と違う答えが最後に出て、それが自分のより優れている」と言う事も十分あります。

だから結局は最後まで見ないと分かりません。

でも最後まで見ても「自分の答えの方が良かった」と思えれば、自己満足でしかないが、それが正解だと言う事です。

ラストを当てるのを仕事でしている訳では無ければ、最後は自己満足でいいのです。

 

そしてワンダーの6話時点で考えれる答えは、前回私が言った方向性でも良いし、全然別でもいいので、当てたいのなら考えるだけ無駄ですね。

(ポケットから出すと言う言葉で気が付く、中に入ってる自分が外に出てしまえば万事OK、プライオリティー1位になればいい。等いくらでも合わせられるように考えられるからです)

ただもし私の考えと全然違うとしたら、その時は私の想像を超えてくれる事を願います。

 

しかし想像を超える事は難しいですね。

すでも多くの作品が世に出てるので、それらを知ってる人の想像を超える事は、その人を超えるのではなく、世界中の多くの物語制作してきた人を超えなくてはいけないから、まあ無理なわけです。

だからか、漫画「今際の国のアリス」を思い出すわけです。

 

あの漫画はラストで「こういうオチだ」と言った後で「今のは嘘で実はこうだ」と色々な答えを言いますね。忘れましたが「宇宙人がこうした」とか「未来人がこうやった」等だった気がします。

あれは作者も考え気が付いたのでしょうけど「どうとでもなる」と言う事ですし「そんな答えは既に沢山あるので、どれであっても大して変わらない」と言う事でしょう。そして「それは分かっていて色々考えたんですよ」と言う作者の良い訳ですね。

で、結局単純に見える「不思議な臨死体験」で終わる訳です。

これはそれでも一つの答えを出したので、正直だなとは思います。

しかしこれをすると物語として印象がなくなります。私は今回思い出してみて、最後どうだったのか忘れてました。

しかし最後にいくつもの可能性を出したのは覚えてました。つまりそっちの方が印象深く、本当のラストが覚えてない位印象が無かったと言う事です。

ではどうすれば良かったのか? は難しいですね。

でもせっかく隕石落下だったので「そこに謎の金属が含まれていた」とか「何かの中毒ガスが微量検出された」とか「だれかが予測していた」とかをチラッと出し、実は「宇宙人」とか「未来人」とか「化学物質」とかが原因だったのか? と思わせる事も入れても良かった気がします。(昔読んだので覚えてないですが。実はこうなってたかも知れませんけどね)

 

ちなみに終わり方として「どっちの可能性もある」と言うのも面白いですね。

ディクスンカーの推理小説「火刑法廷」です。(これは邦題が火刑法廷で、原題がThe Burning Court ですよ。どちらも良い題名ですね)

これは魔女が係わっているように見えて、実はただのトリックだったと思わせる作りです。しかしラストでやはり魔女が係わっていたと言う不思議な作品になるのですが、それでも魔女だと思っている変な奴の物語、にも見え「超常的な物語」と「現実的な物語」の両方見れる様な作品です。古いのに上手かったですね。

こういう作品も狙えれば面白いです。ただ難しいですけどね。

 

そして「どっちにも見える作品」から思い出すのが「シンゴジラ」です。

これはもう一つの見え方として、現実の方に答えがあるものです。そう言うと難しいですが、いわゆるメタファーですね。物語の大きな所が暗喩と言う訳です。

これも漫画家の山田さんがネットで言っていて分かったのですが、シンゴジラ福島原発事故デブリだと言うのです。その通りですね。

元のゴジラも原爆実験から復活する物語で、原爆反対が入っている物語です。それを庵野さんが現代の問題として原発事故とかぶせる。上手いですね。

だから最後ゴジラは消えず止まって「このままずっと後世に負の遺産として残る」と言う終わり方なのですね。上手いです。

最後にゴジラのしっぽがアップにされ、人間の形になって来ているのが映し出される。これは物語上だと死んだ博士の遺伝子が含まれているのじゃ無いのか? とか言われてます。つまり人災だと言う事です。

そしてメタファーとして原発事故のデブリだとすると「人の死が含まれている」と言う事ですし「人が起こした人災」と言う事もこっちでも読み取れ「怪物と化した人の黒い塊がゴジラであるしデブリである」と言う事にもなります。

このゴジラのしっぽの人型がネットで考察されてましたが、物語上と言うよりも、その外側に向けたメッセージ、メタファーとして受け取った方がしっくりくる答えです。

こういう「両方見える物語」で「物語の外側に答えがある」と言うのも面白いですね。ただこれも作るには難しいです。

(あらためて書き出すと庵野監督は才能がありますね。ただ大きな問題もある人なので、それを何とかするか、誰かにまかせるかしてほしいものです)

 

さて、「今際の国アリス」もそうですし「ワンダーエッグ・プライオリティ」でもそうですが、終わり方として「こうしても面白い」と言うのがあります。

私は昔からなぜ誰もしないのだろう? と思っています。(実はどこかにあるのかもしれませんけど)

それは「マルチエンディング」です。

ゲームでは当たり前ですね。しかし普通の物語だとしない。物語でも良いじゃないですか? マルチエンド。

そしてもっと進めて、マルチエンドに見せて、そこからメタ的に統合されて表す、と言う事も出来ますね。

幼稚な例でいえば、神様がマルチエンドを見せた後で、主人公に「どれにする?」と言う物語です。もちろんもっと馬鹿っぽくないやり方はあるでしょう。

とにかく、私はねらい目だと思っています。「マルチエンディング」ですよ。