号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

フランケンシュタインの怪物

アニメ「ブレンパワード」を見て、思った事を書きます。

このアニメの事と言うよりは、富野監督の事かもしれませんけど。

 

このアニメを見ている時

フランケンシュタインの怪物が花を見て

「はな……花……花うつくしい、花は美しい……」

と言ってるシーンが頭に浮かびました。

ただ、始めに書かれたフランケンシュタインの怪物は、知識が高くて良くしゃべるようですね。だから私が頭に浮かんだのは、その後に沢山作られた二次創作の様なものなのでしょう。

しかし元の知識高く良くしゃべるというキャラであってもピッタリですね。

私が浮かんだフランケンシュタインの怪物は誰か? もちろん富野さんです。

体が大きいが知的で、しかし継ぎはぎだらけで不完全で、人を次々殺していく怪物。まさに富野さんの暗喩ですね。

Zガンダム」に出て来たサイコガンダム。サイコな奴で、巨大になりすぎ普通の奴では操れない黒いガンダムは富野さんでしょう。

リーンの翼」に出て来た迫水も訳が分からんくなり、乗っている機体も最後巨大化します。これも富野さんです。

今回も訳が分からなくなり最後まで戦う機体が大きくなりますね。訳が分からなくなり戦い続ける奴はでかくなるのです。富野さん自体の、物語作りと言う戦いの事も含まれているように見えます。

だからフランケンシュタインの怪物なのです。だから次々人を殺していくのでしょう。

 

このアニメで途中の話でキャラの昔のトラウマを描きますね。弟妹が死んだとか、誰も助けてくれなかったとか、親に見捨てられたとかです。

しかしどうもたどたどしい。上手くないのです。この話数ならそれぞれの昔のトラウマを一話ずつかけて描いても良かったと思います。もしくは一話の半分ずつでもいい。そしてそれぞれの思いとトラウマを描けば、最後に向かいやりたい事が分かりやすいし、盛り上がると思います。

たぶん富野さんは上手くないのです。人々が日々感じるトラウマを描く事です。

もっと大きな叫ぶような感情は上手いのでしょう。しかし弱いが日々受けて積もり積もって行くトラウマは下手なのです。

たぶん分からないのかと思います。元々サイコパス的な人だからでしょう。

 

サイコパス的な人は共感力が無い人です。つまり人の感情が分かりずらい人です。

しかし強い感情は分かる。逆に強い感情しか分からないから、強い感情を欲しがるのです。食べ物の辛さに強い人は、細かな味が分からないから強い辛さの食べ物を欲しがるようなものです。

だから人が死んだり、不幸になったりする物語を描けるし、描こうとするのでしょう。

ただサイコパス的な人は成功者に多いですね。そしてアニメ監督はとても多い気がします。富野さんも宮崎さんも高畑さんも庵野さんも、そしてイクニさんも元々はサイコパス的な人だと思います。こういう人達じゃないと成功しにくいのでしょうね。

ただの否定では無いのです。感情はプラスとマイナス面があります。サイコパス的な人に成功者が多いのは確かなのです。

人と言うのものは、自分の感情の弱点を補っていく人が、素晴らしい人になります。

例えば、細かな人はそれの良し悪しを理解して他人には強要しない方がいい。強要する人は嫌がられます。どうでも良い事だと多くの人が思う事を、しつこく言う人です。しかし自分がずれていると分かっていて、それを他人に強要しなければ、細かなしっかりした仕事をする人だと思われます。

ぎゃくに大雑把な人も、その弱点に気が付き、どの場面でどの程度の大雑把な行動は良くないからと、しない様にしている人は皆から好かれます。やってはいけない時は気を付けて細かに仕事をするが、大雑把なので気兼ねしないで付き合える人、になるからです。

綺麗好きな人もそうです。潔癖症の人はそれに気が付き、自分が一般よりずれているのだと分かっていて、だから他人の行動は細かく文句を言わなければ、いつも周りを綺麗にしている人だなと、好感を持たれる筈です。

そしてサイコパス的な人もです。これもそれに気が付き、その弱点を補うように行動をする人は好かれるし、成功も続きます。

それに気が付かない人は、始めは成功しても気が付いたら周りに誰もいない、となりがちです。気を付けましょう。

 

このアニメ「ブレンパワード」を見ていると、富野さんはこの弱点に気が付き(漠然としてかもしれませんけど)それを補おうとしたと思うのです。

人の日々の細かな感情から生まれる事に、目を向け始めている作品であった気がします。

ただこのアニメの頃はまだ、たどたどしいですけどね。

富野さんは日々前に進んでいますね。だから他の人とは違うのでしょう。

最近少し見たアニメ「ラーゼフォン」とか「アルドノアゼロ」とか「コードギアス」そして「エヴァンゲリオン」も。これらの作品は見えるものが全てですね。

これらは薄いのが分かります。何も無いのがバレル作品です。エヴァが上手いのは何かありそうだと見える所ですが、実は何もないアニメでした。

しかし富野作品は見えてるのは氷山の一角です。その下に見えない大きな何かがあるのが分かる。その深さが分かると面白い作品ですね。富野作品は深さが違いますね。

ちなみにイクニさんも、昔は「作ってやってる」と思っていたが、ピンドラは「若い人達と作らせてもらった」と思ったらしいですね。この人も同じ弱点に気が付いた人で、だからピンドラなんてものが出来たのでしょう。逆に気が付かない人では、ここの領域には来れないと言う事です。

もっとちなみに、宮崎さんは隣に高畑さんと言う、年上先輩であり仲間である人いた事が大きかった気がします。宮崎さんは手塚治虫さんの戦争を美化するような映画を見て頭に来たそうですが、宮崎さんが手塚さんのような迷い方をしなかったのは、高畑さんと言う方が近くにいつもいたからでは無いのか? と思っています。つまり弱点を補う人が近くにいたから(高畑さんだけでは無く、他の人もいたのが大事だったと思いますが)上手く行ったのだと思います。自分で補うか? 誰か補う人を近くに置きその人に任せるか? が大事なのです。

 

それと同時に、このアニメでは基本に戻ろうとしたのではないのか? と思います。

色々考えると、何が正解かが分からなくなるものです。

その時は始めに戻り、何か考える基本から始めてみるのが近道ですね。

それが人の動物としての基本である「原始的な生きる事」だったのでしょう。

食べ物が出てきます。それも野菜とかを作る事です。それに男と女、生殖です。それと家族ですね。それらが人が生物として太古からしてきた事であり、大事な事であり、基本なのです。もう一度そこまで戻り、そこから始めようとしたのでしょう。

そして宗教が出てきます。ただこれは一つでは無く、いくつか出てきて、しかもそれの内容には言及しないので、どの宗教では無く「昔から人々がやってきた思いや考え」の事に目を向けようとしたのだと思います。

これらは良い事だけど、あぶないのは人は「これらを逃げに使いがちだ」と言う事です。

宗教や自然やスピリチュアルな事を、よくも考えずに正解だと決めつける人です。

人は分からない事は不安です。しかし誰かが何かを正解だと言ってくれれば安心するのです。だから安心感を得るために、誰それが言う宗教のような事を正解だと決めつける人がいます。

よくよく考え、他人の意見を聞いて、それで何年たっても揺るがない考えなら構わないですが、そうじゃなくて逃げの為に何かを信じる人がいるので危険です。

このアニメももしかしたら? と思い見てましたが、そうでもなさそうなので安心しました。

ただ、だからと言ってハッキリ言った正解が見えている様な描き方でも無かったですね。

とにかく、まずここから始めよう。「これからが本当の戦いだ」と富野物語がまた始まったかのような作りでした。面白いですね。

 

サイコパスの問題に気が付いた、と言いましたが、それは物語の中でもです。

このアニメの頃はまだそれもはっきりして無いのですが、この後のリーンの翼ではっきり出てきます。

私は昔からアムロもシャアも嫌いでした。どっちも身勝手なサイコパスだからです。

戦争していて、多くの人が死んでいく中で、私怨で戦い文句の言い合いをしているこいつらが嫌いでした。「お前らが文句を言っているせいで、この時間何人死んでいるんだ?」と思っていました。

これは富野さん自身がサイコパスだからでしょう。だから二人の主人公級キャラのアムロもシャアもサイコパスなのです。そしてこれは自分擁護です。

しかし最近気が付いたのが、描きたいのが戦争では無くて、この話し合いをする為に物語上戦争させているのだな、と言う事です。

それは良いですが、しかしそれはメタ視線ですね。普通に見たら自分勝手に戦争をしている身勝手な子供がアムロとシャアです。

だから見ている子供に悪影響がある。しかしそれも富野さんは分かってるから殺していく。そしてそれが情緒不安定を呼ぶ、サイコパスの呪いです。

 

富野作品もそうだし、昔からよくあるのが、自分勝手に行動する子供が出て来る物語です。サイコパスなキャラが主の物語です。無謀な子供の物語です

これはなんなのか? これは行動しないと物語が進まないからです。それとサイコパスは成功者になりがちですからね。だから物語の主役級キャラをこうしがちなのは分かる。

しかしこれは危険です。無謀な子供の行動は危険だからです。しかしそれを美化しますね。だから嫌いです。

これはさっきも言った様に自分擁護です。サイコパスな監督らが自分を美化しているのです。

この無謀な行動は何なのか? 無謀だが成功する者たちの話は何なのか?

これが呪いです。気が付いてください。

明治維新からの呪いです。将軍を倒して国を乗っ取ったのです。薩長の大名は後で裏切られたと思ったようです。薩長のもっと下の武士が反乱を起こし成功させ、偉い立場に立ったからです。

やった者勝ちです。勝てば官軍なのです。それを明治の偉い人達は褒めたのです。「正しければ何をしても良いのだ」と言う事をです。自分擁護で自分美化です。

だから226事件でも行動を起こす。正しいのだと言うのです。軍部が誰かを勝手に殺してもです。

これは起こした奴らを極刑にしなくてはいけなかった。しかし出来なかった。それは世論が助けたからですが、そもそも世論をそうしたのが明治政府なのです。正しければ何をやっても良いのだと。

そして関東軍が勝手に中国と戦争を始めます。彼らも罰せられない。愚かですね。

もっと前の江戸時代は流石に良く出来ている。忠臣蔵で大石倉之助が殿の無念をはらす。これは忠臣だと褒める。しかし行ったやつらは皆切腹でした。

他にもおかしな国の大名の行動を困った農民が、たまたま来ていた偉い江戸の誰かに意見書を出したようです。「皆食べれなくて死んでいって困っている。ここの大名の行動はおかしい」と手紙を出す。それを見た江戸の偉い人は、書いてある内容が正しいと認め、大名を処分したようです。しかしその手紙を渡した農民は死刑です。それとこれは話が違く、やってはいけない無礼な行動だと言うのです。これは人として正しくはないけど、世を平定するやり方としてはあってますね。

江戸時代の方が、世の中がおかしくならない様に調整する力があったのです。

しかし明治維新をやった自分を擁護、美化した明治政府の誤りが、この後ずっと呪いとして国を苦しめる事になるのです。

その後二次大戦が終わり、戦争がおかしいとは皆気が付いた。しかしやった者勝ちだと言う考え、正しければ何をやっても良いのだと言う考えは残る。法律よりも正しい事があり、それをやればお咎めは無いのだ、と言う考えがです。

なら法律が意味をなさないだろう? 法律がおかしいのなら法律を直すべきであり、「自分が正しいと思ったら何をやっても良いのだ」と言う考えはおかしいとの、基本の考えを直さなかったのです。

だから学生運動でも自分勝手に行動をする。勝てば官軍なのです。民主主義であっても力で転覆させれば勝ちなのだと言う考えです。

物事の考え方がおかしかったから、先の戦争でおかしなことになったのだと言う、総括をしてこなかったこの国の誤りです。

そしてアムロとシャアです。やった者勝なのだと言う呪いに係っていたのは富野さんなのです。だから無謀な子供を褒める物語を作る。

ブレンパワードではまだ子供は無謀ですね。しかしシャアのように格好いい悪役はなりを潜め始めてます。好き勝手やっている悪役は格好良くないのです。

そしてリーンの翼です。ここで自分勝手で、やった者勝な行動をして成功して国を作ったやつ、迫水を格好悪く描きます。

国(の様な組織)を作ったシャアは格好いいのです。これは富野さんの自分の美化です。しかしアニメのリーンの翼の迫水は、古臭い呪いに係っておかしくなった奴です。

ネットの感想で、リーンの翼のエイサップは流されるだけで自分からの行動が無かった、と言うのがありました。これもそうで、英雄がごとく無謀で行動的な子供の危険さが分かったのでしょう。

リーンの翼の迫水が富野さんです。そしてシャアも富野さんでした。つまり富野さんの考えが変わった。

自分が正しいと思ったら何をやっても良い、と言う考えが危険だと言う事に気が付いたのでしょう。

そしてやっと富野さんは明治維新の呪いから解放されたのです。

 

さて、ちょっとは直接「ブレンパワード」の事を書きます。

オルファンは孤児ですね。そしてグランチャーはグランドチャイルドで孫ですかね?

アンチボディは抗体ですね。オルファンの子供であり守る存在と言う事でしょうか?

オーガニックは有機ですね。

生物と家族の話だと言う事でしょう。

そしてブレンパワードは脳の力ですか?(パワードの単語違いますけどね)考える奴はただの孫とは違う行動をするのだと言う事でしょう。そしてそれが勇と姉の関係性そのもでした。

ヒロインの比瑪(ひめ)が孤児で母は沢山いると言ってたのが良かったですね。家族の話なので、家族は結局素晴らしいと言う話になるのだが、そうなると家族がいない人は? となる所を、このヒメが救っています。つまり本当の家族と言うより、子供にとって育てる大人が大事だ、と言う話になっているので、良かったですね。

たださっきも言った様に、ちょっと描き方はたどたどしいですね。リーンの翼でもまだたどたどしいので、その後富野さんがどうなるか楽しみであり不安です。

 

フランケンシュタインの物語は、怪物が自分を作った奴の周りの人を殺していきます。

しかし作った奴は最後まで殺さない。

これは親を思い、憎み、しかし殺せない。つまり怪物が親に愛されたいだけだった、と言う物語に見えるそうです。

フランケンシュタインの物語は親子問題であるが、作った創造主と作られた者の物語でもあるそうです。

そしてブレンパワードも親子問題の物語でしたね。オルファンも含め親子問題でした。

富野物語は、富野さんが創造した物語が巨大になり、富さん自身を苦しめ始めると言う物語です。

さて富野物語の最後は「ブレンパワード」になるのか? 「フランケンシュタイン」になるのか? こうご期待ですね。