号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

ルール

映画「新聞記者」感想です。ネタバレです。

この映画から考えられる、個人的な考えの方が大きいかもしれません。説教臭いですが、ご了承ください。

 

やりたい事は評価できる。そこそこ面白い。

しかし演出過剰でしたね。内容が嘘っぽいのに、演出も過剰なのでさらに嘘っぽいのです。

どうせフィクションなので、ここは分かりやすく単純化して描いたのかもしれませんけど、今の時代の人々はそこまで馬鹿では無い。もう少し客を信じて本当っぽく描くべきでしたね。

政府の悪人が悪人っぽいし、新聞記者がなぜに正義なのか? 政府の方にも新聞記者にも善人も悪人もいますね。

ここは、同じ人間でどちら側にも、もっと言えばどの人でも悪人と善人がいると描く方が、本当っぽくなった事でしょう。

 

これはフィクションなので、あくまで「権力者が係わる世の中では、このような状態になりがちだ」と言う事と「その中で人々は何を感じ、何を考え、何をやって行くべきか?」と言う、大枠を考えるべき物語ですね。

だから、まあ、細かなおかしな所は大事では無いと言えば、大事では無い。でもねえ。毒ガスとか生物兵器とか、流石に嘘っぽいですね。

実は「現実は小説より奇なり」な事がままあるので、まるっきり嘘では無い場合があるのですが、問題は嘘っぽいと感じると見てられなくなると言う事です。

例えば「宗教団体がの毒ガステロを起こす」とか「飛行機をビルにぶつける」なんてことは、実際に起こる前だったら嘘っぽく見えた筈です。しかしあるのですね。

だからあるか無いかではなく、ありそうなのを描く事が物語では大事です。もしくはありそうだと信じ込ませる事が大事ですね。

 

さて。私がこの物語から考える事は、やはり実際の日本の事ですね。

今の日本の状態が改めて考えさせるので、やはりこれはこれで意味があったのだと思います。

まずはマスコミですね。ここでは新聞記者です。これも人ですからね。良い人と悪い人がいます。たぶんですが、もっと政権や権力者とべったりでしょうね。だからこそ闇が深い。

戦前ではマスコミ、特に新聞が面白おかしく戦争を盛り上げたようですね。「日本が勝った」「日本は強いぞ」と書いた方が売れたようです。しかも盛り上げた新聞は、かなり売り上げを伸ばしたようすね。だから好き勝手に戦争を助長するかのような内容だったそうです。

もちろん戦後は良くなったのでしょうけど、だからと言って何もしがらみがないわけでは無いですね。

それに、今のマスコミの一番の影響力が大きいのはテレビですね。テレビはスポンサーもいるし、政府から情報が流れて来るので、政府にそった行動をしますね。それらのしがらみで、言える事と言えない事が限られてきます。しかも戦前の新聞みたく視聴率が得れるものは盛り上げます。芸能人の不倫は盛り上げますね。本当の大事なニュースと芸能ニュースを同じレベルで流し、国民を麻痺させてますね。

ではテレビはしがらみがあり、新聞は無いのか? そんな訳ないと思いませんか?

だからと言って、単純な解決策はありませんが、新聞もテレビも疑って見る必要があると言う事です。

それにネット時代なので、昔よりは、権力に即さない情報が得られやすくなりましたね。

新聞でもテレビでもなんでも情報は大事です。民主主義なのですから、国民が判断する。判断する情報が偏っていたりすれば、結果も操作できるのです。だから情報が民主主義であるかの分岐点です。

小泉首相の時でしたか、情報公開と言う言葉が流行りましたね。私は、情報公開が出来てないこの国は、民主主義では無かったと思っています。だから皆が喜んで「情報公開」と言う言葉を使ってるのが恐ろしかったですね。なぜ誰も怒らないのだろう? と思っていました。

今はましになったのでしょうけど、最近は秘密保護法とか出てきて怪しくなってきましたね。

秘密保護法が良い悪いと言うより、ルールがあいまいなので危ないと言う事です。ルールが大事なのです。法とはルールの事だからです。

 

そして安倍政権のもう一つの汚点「共謀罪」です。皆忘れてますけど大事ですね。

この映画「新聞記者」はルールが大事だと思わせる内容です。言い方は法律でも良いです。隠れて悪い事が出来るルールがある事が問題なのです。あいまいなルールが問題なのです。

安倍さんは共謀罪の事で悪用されるのを問われた時「断じてそのような事はしない。私を信じていただきたい」と言うような事を言いましたね。歴史に名を遺す答弁です。覚えておいてください。将来最悪で愚かな答弁だと、歴史に遺しましたよ。

安倍さんは国会議員で法律を作る側の人です。そして与党の党首です。その人が法律、つまりルールに問題があると言う事に対し「私は悪くは利用しないので信じてくれ」と言ったのです。

 

トランプさんが大統領になった時、分かってる人が言ったのが「アメリカは大統領でもおかしい時は止められるルールがある。だから大丈夫だ」と言いました。

その後トランプさんはテロ支援国家と思った国からの人の入国を禁止しようとしましたね。しかしそれを止められました。つまり「大統領でもおかしな行動は止めれれるルールがある」と言う言葉は本当だったのです。

将来は誰が大統領になるか分からない。だから万が一おかしな人がなった時でも、どうとでもなる様にルールを作って置く。それが大事なのです。

安倍さんは信じてくれと言いました。私は良くは知らないけど、たぶん安倍さんはそんなにおかしな人では無いと思っています。しかし問題はそこではない。将来誰が首相になっても大丈夫なようにルールを作って置く、それがルールを、法律を作る人の使命です。それがおかしいと言っているのです。

 

戦前の米内内閣の時、陸軍は陸軍大臣を辞めさせます。そして新たな陸軍大臣を選出しませんでした。

この時のルールでは陸軍が陸軍大臣を決める事になっていました。そして大臣がそろわないと内閣が倒れたそうです。陸軍が気に入らない内閣を倒す事が出来たのです。

米内内閣が続いていたら戦争は無かっただろうと言われています。つまりこの時は陸軍が戦争をする為に米内内閣を倒し、戦争を推し進めた。それが出来るルールだったのです。

(ちなみにこういうと政治家は戦争をしたくなく、陸軍だけが戦争を始めたように聞こえますが、日本の調子が良さそうな時は政治家も戦争に積極的だったようです。つまり政治家が正しいという単純な話では無いのですが、ただ選挙で選ばれる政治家が権力を握っていた方が、たぶんまだましだろうと思うのと、ましでは無くても国民の民意だとは取れる、と言う事です。)

これは軍部大臣現役武官制と言うそうですが、これは明治に作られたそうです。

明治維新後、武士が軍部の上層部になり、政治家にもなりましたね。それに長州出身者が多かったようです。軍部も政治家も同じ出身だったのです。どちらも仲間であり制御も出来た。だからこそ、このおかしなルールでもかまわなかったのです。

しかし時代が過ぎ、状況が変わったのにルールは残ります。

そして軍が内閣を倒す事が出来ると言うおかしな状況になり、実際に倒す事になる。そしてそれで戦争に進んでいったのです。

つまりルールが大事なのです。それが今は問題がなくても、将来どんな状態になっても、どんな人が首相になっても、おかしな事が出来ないルールが大事だったのです。

 

そして今現在の共謀罪です。歴史も何も知らないアホが作ったのかと思う法律ですね。

ずっと「あいまいなのが問題だ」と言ってるのに、そこに手を加えようとしない。どうかしてますね。

今は良くても、いつの日かまた、米内内閣を思い出す日が来るかもしれませんね。

 

さてもう一度言います。

この映画「新聞記者」でもおかしなルールが問題なのです。

国もそうですし、マスコミや会社のあり方も含め、ルール作りに失敗しています。

ルールさえしっかりしていれば、あとは勝手に上手く行くのです。人は馬鹿では無いので、ルールに背くのが損だと思えばしないのです。

逆に、好き勝手に出来るあいまいなルールだと、それを使い好き勝手し始める。当たり前な事です。

この事を思い起こさせる映画でした。問題は多々ありますが、それだけでも価値はある映画でしたね。