アニメ「若おかみは小学生!」映画版、感想です。ネタバレです。
良く出来てます。
宇多丸さんのラジオ番組で、この映画の事を語ってるのを、ネットでも流していてそれを聞きました。
その事と、その時「パンフレットに書いてある監督のコメントが良く出来ているのでそのまま言う」と言って、言ってた事を聞くと、更に良く出来た映画だと思いました。
気になる方は、ネットで検索するとすぐ出て来るので聞いてみてください。
さて、ここでは個人的に気にいらない所を言います。良い所は沢山の誰かが言うだろう作品なので、私が言う事も無いでしょう。
でも始めに言っとく前提は「出来た物を後から文句を言うのは簡単だ」と言う事です。
しかし、光りが強いほど影も強くなるからか? どうも気になる所の方が、後で頭に残る映画でした。
それにずるい言い方ですが「これをジブリで宮崎駿監督か高畑勲監督が撮ったら、もっと良かっただろう」と思えて仕方がない映画でしたね。
本当にこの意見は汚いのですが、思ったのでしょうがないのと、理由もあるので書きます。
この映画は元は児童小説だそうですね。子供向けに見えるこのアニメの絵柄が気に入らないのですが、元は小説の表紙の絵柄をまねているのでしょうね。だからしょうがない。
職業を伝える映画、職業物に見えます。それは良いのですが、どうも綺麗事すぎる。どうも嘘っぽい。しかしこれも元が子供に働くと言う事を伝える物語ならあってますね。まずは基本で大事な所を教え、良い所を教えるべきですからね。悪い所、綺麗事では無い事はその後に教えるべきですね。だからこれも元の小説からずれて無いのでしょう。
幽霊が出てきます。しかし今一機能してない様に見えました。あまり必要なさそうです。
しかしこれも元の小説なら必要ですね。子供なのでリアルな世界だけだと重すぎるので、幽霊で誤魔化し少し面白い事の様に感じられる要素も必要でしょう。
それにこの幽霊は、長い小説版だともっと積極的に活躍するようです。しかも幽霊だなんて子供でもすぐ分かり乗れる要素です。児童小説ならこの幽霊はありですね。
つまり、原作の小説をリスペクトしているのでしょう。原作者にも元の作品のファンにも気を使っている。その中でこの映画では、変えれる所を変え、短い時間の中で的を絞り上手くまとめあげています。上手いですね。
上手いですが、誰にも気を使わずにこの映画の事だけを考えた時には、やはり問題はあるでしょう。
やはり内容がきれい事過ぎる。特にこの主人公おっこは良く出来過ぎてますね。
原作だともっと失敗するようです。しかし映画だと時間が無いのである程度はしょうがない。
それに宇多丸さんが言ってたのは「良く出来た子供だからこそ行動が嘘っぽい。そこに無理をしている子供と不自然さが出ていて、だからこそ最後に隠していた自分のすなおな気持を出した時に感動する」と言う事です。
なるほどですが、不穏な空気はもっと出した方が分かりやすいと思います。つまり初めの方、おっこが気丈にふるまっている事を描いても良かったのでは無いのかと思います。
そして映画だと必要性が薄い幽霊です。
これ等の事をふまえ、私なりにどうしたらいいかを考えます。もちろん私個人の意見です。
やはりおっこは始めは少し下向きの方が良かったと思います。外向きはこの映画のままで良いけど、一人の時は影を出す。
その象徴としてどうも気持ちが引きこもりがちになる。だから友達が出来ない。明るく問題もなく馬鹿みたいに騒いでいる同年代が頭に来るのです。その中での象徴的な存在、ピンクのフリフリが特に頭にくる。
その中で友達が出来る。それが幽霊です。幽霊だけが友達なのです。
しかし働いて客と接していくうちに段々明るくなる。客の問題を見ているうちに、自分だけが問題を抱えているわけでは無いと思う。
それと客の問題を解決するうちに、まるで自分の問題も解決いているような気持になり、楽になるのです。
映画の通りにやがてピンクのフリフリの頑張りも分かる。それに姉の幽霊が出る事により自分だけでは無いのだとも分かる。
よく考えたらウリ坊も若くして死んでいる。自分の親だけでは無いと思う。
しかし、自分の問題が解決していていって、リアルな人達とも仲良くなっていくと、おっこは幽霊が見えなくなっていく。そして最後に幽霊達が成仏するのです。おっこにとって幽霊が見えなくなる時が、現実世界で生きていける証なのです。
と言うのはどうでしょうね?
この映画、何かジブリっぽいな? と思っていたら、この監督はジブリに関係していた人だそうですね。しかもドップリ関係していた人ですね。
だからか、同じ内容をジブリで宮崎駿さんか、亡くなった高畑さんが作ったらもっと良かったとも思ってしまいましたね。
もちろん、この映画の監督よりも年上で、監督歴も長いこの二人が優れているのもあります。
しかしそれだけでは無いですね。
まずはお金が使えます。ジブリで宮崎監督作品なら客が入る。それを見込めるから金を使えます。この映画ももっとすごい絵になってた気がしますね。この映画も良く出来てますが、千と千尋とかと比べると弱いです。しかしこの監督の力が原因なのかは分かりません。この監督はジブリで作画監督を多くしてますからね。だとしてら単純にお金の問題も大きかったと思います。
それに初めに言った様に、この映画は原作をリスペクトしてます。それは良いのですが、もっと良くしようと思ったら原作を無視する必要が出てきます。
それが出来ると同時に許されるのが宮崎、高畑監督だった気がするのです。
この両監督ならあのアニメっぽい絵柄も変えて来たでしょう。その方がこの映画では正解だったはずです。
内容ももっといじくって来た事でしょう。その方が映画としたら正しいのです。
原作があるアニメがあります。漫画、小説、ゲーム等です。
しかしこれらとアニメでは物語の長さが違うし、客が気になる要素も違います。
つまり同じままだと面白くないか、もしくは成立しないのです。
小説は動きが無い。だから動かないもので成立させます。極端な例では小説でカーチェイスは無い。しかし動きはどこでも止められる。読むのをやめて考えればいい。だから難しい複雑な物もありなのです。アニメは時が進んでしまうので、あまり複雑だと分かりにくいですね。
ちなみにこれは漫画でもそうです。ファイブスターはアニメでは無理です。攻殻機動隊も無理ですね。無理で分からないままやってるだけです。
ゲーム、ドラクエで始めのスライムに戦うまで一時間はかかる物語がありましたね。アホですね。ドラクエに物語など求めてはいない。早く戦わせるべきです。まあドラクエでも、物語の方も良く出来ている方が良いですが、どっちがメインかが分かって無いと言う事です。
アドベンチャーゲームもです。「シュタインズ・ゲート」のゲームをやった時、このままアニメに出来るのじゃないのかな? と思いました。結果はそうでしたが、少し思ったのとは違いました。やはりアニメだと始め何をしたいのかが分からず退屈になるようです。ゲームは手が加わるので(ボタンを押すだけでも)、やってる感が出て少し見てられます。それに文も飛ばせるので、面相臭かったら早送りにすればいいのです。客が長さを調整できると言う事です。
これらとアニメ、特に映画は色々違うのです。90分から120分ぐらいで、早送りも出来ず、お金も払い座って集中させられる物です。他の物とは違う作りにしないと面白くは無いのです。
だからこそ、内容をリスペクトしないでいじくれるのが許される、宮崎、高畑両監督なら、もっと色々出来ただろうと思うのです。
ただやはりこの意見はずるいですね。
監督がどうとかですらなく、金の問題や、原作者やスポンサーに気を使うと言う問題は、実際どうする事も出来ないで、これを言うのはずるいですね。
しかしまだやれる事はあると言う事です。
もはや監督個人でどうこう出来る問題では無いですが、映画界、アニメ界にはまだ先があると言う事です。
最後に内容について少し書きます。
おっこは最後トラックの運転手を許します。
他人を許せる事で、自分のトラウマが無くなるのです。
他人を許せれば、今の自分の状態も許せる。
あの許しは、おっこにとって自分の救いなのです。
「若おかみは小学生!」は、傷付いた者が救われる話でした。