号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

学校を見つめ直す話。

映画「桐島部活やめるってよ」感想です。ネタバレです。

説教臭くなりましたが、勘弁です。

 

昔から気にはなっていました。小説で名が出て来たあたりからです。

しかも「どうも桐島は出ないらしい」とはどこかから漏れ聞こえてたので、なお更気になっていました。

なぜ気になったのか? それはこの題名から予測できる内容が気になったのです。

本は見て無いのですが、映画を見るとこの予想は大体あっていたと思います。

つまり肝心な所は題名にすでにあったと言う事です。

 

学校にいる時、何かある大きな事件は何でしょうか?

それこそ誰それが「部活を辞める」なんて時じゃないでしょうか?

もちろんもっと大きな事件はあるでしょう。人が死んだり、転校したり、学校を辞めたりした時です。しかしこれらは普通あまり起きない事です。

あとは進路ですね。卒業です。しかしこれは皆が同じ時にするものだし、予測が出来ます。

部活を辞めるのは自分の意志も入ります。自分の選択なのです。

これらの事から「桐島部活やめるってよ」と言う題名でやろうとしている事は、皆が通った普通の学校で起きる「皆が経験するかもしれない、あり得る事」「予測はできない事件」「自分の選択」だと言う事です。

しかし実はこの要素だと大きいのがもう一つあります。恋愛ですね。しかし恋愛物になってしまいます。つまり「恋愛物に偏らない学校の中の事を描くぞ」と言う事も、この題名に入っているのです。

 

この映画は、未熟な学生の時の普通を描く。その中で起きる良くある葛藤。その中でのそれぞれの選択です。

桐島は皆がすがっている当たり前である筈の理想の化身です。だから出なくてもいい。本当は当たり前では無い物が、当たり前に無くなった時に葛藤する、当たり前な話です。

普通を描くので、これが当たり前だと思える学生が見ても、ただただ普通です。そりゃそうです。それが狙いだからです。

だから学生が見ても意味が無い映画です。

これは大人が昔を思い出す映画なのです。

昔は学生だった今の大人が見て、何を感じ取るのか? と言う話です。

 

未熟で何も知らない子供時代。その時は当たり前の世界でした。それはその世界しか知らないからです。あの大人が作った箱庭が全ての世界だった頃の話なのです。

しかし、大人になって見るとどうでしょうか? 学校カーストもおかしいですよね? なんであの程度の事であいつらは偉そうにしてたのか? と思えますよね?

でも今は? 実は部分的に変わってない人がいますよね? その人はまだあの学校の中で生きているのです。心が卒業してないのでしょう。

 

昔から思っていた事は、学校って不思議ですよね?

昔、外国人の誰かが日本の学校を見て「この作りは刑務所と同じだ」と言ったそうです。そうですね。

でもこれはそんな大したことでは無いです。建物の作りは別にかまわない。問題は内容ですね。なんで学校内は外と別の世界なのでしょうね?

昔からいじめ問題があります。殴ったり、ノートに落書きしたりする人がいる。犯罪ですよね? 外の世界なら警察に捕まります。しかしこの作りが刑務所みたいな学校内では捕まらないのです。なぜでしょうか?

だから成人式で暴れるのですね。あれが通る世界だと二十歳になってもまだ思っているのです。外の世界の普通の常識を教えず大人にするからです。

学校内も外の世界と同じ法律にするべきなのです。それで世間を教えていくべきですね。

ちなみに学校で、特に義務教育でない高校で教える勉強の内容、役に立ってますか? ほとんどの人が高校で習った内容を知らなくても働いて行けるはずです。高校を出ないと、そして大学を出ないと働けない所で働いているのかもしれないですが、勉強の内容は意味が無い人が大勢でしょう。

子供は大人の鏡です。学校も大人が作った箱庭です。学校内で教えている事もやっている事も、大人の闇を映した鏡ですね。

東大生は日本では褒めますが、外国で誰が褒めますか? 私は、東大に入れる位の勉強時間を他の勉強にまわしていれば、どの国でも褒められる人を作れる気がしますが、どうでしょうか?

今の学校でやってる事は、大人に都合のいい人を作る工場ですね。

その外から隔離された学校と言う世界で、未熟で無知な子供に何が出来ると言うのでしょう?

「その中から自分で生き方を学んでいくのだ」なんてそれらしい事を考えも無しに言う大人がいますけど、なら社会に出して社会のルールの中で学ばせるべきです。箱庭の中での限れらた地方ルールで学ぶ事では無い。

何度も言いますが、今の作りで作られるのは成人式で暴れる子供達です。暴れてるのは少数ですが、多くの人が子供のまま、体だけ大人になってしまったと言う事です。

「誰からの教えも受けず頑張って自分で大人になるんだ」と言うのなら、原始人と同じです。だからいつまでたっても原始人みたいな大人がいるのです。

 

何でこんな面倒くさい、説教臭い事を言うのか? ですが、普遍的な学校を描くのだから、普遍的で皆が経験した問題があると言う事です。

たぶんほとんどの人は「子供時代はこんな事あるね」と当たり前の問題だと思っているのでしょうけど、そうですか?

子供には全て始めての経験です。その中で全てを自分で決めれる人なんていないでしょう。「部活をやるか? 辞めるか?」「なぜ部活をやるのか?」「なぜ学校に行くのか?」等を学生が自分で答えを見付けろ? 出来ますか? 自分は正解を出す事が出来ましたか?

最後は子供に自分で判断させるべきですが、その判断材料か、せめてヒントは大人が教えるべきです。

大人が教えるべきは勉強ではなく、生きるヒントじゃないでしょうか?

 

この映画は大人が見るものです。

どう見るかは勝手です。

後悔した事、悩んだ事、苦しんだ昔を美化して懐かしんで見るのも勝手ですが、それだけですか?

今思うと学校はおかしな事がありませんでしたか?

この映画は、当たり前な事で悩み、迷う子供の話です。

当たり前なのです。良くある事なのです。

その良くある悩みを、なぜ大人は無視するのでしょう。

子供時代、無視をされて大人になった人の多くは、子供を無視する大人になるのです。

この映画から何が見えますか?

昔の自分が見えますか?

今の子供も見てみませんか?