号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

つまらない大人になった王子さま。

映画「リトルプリンス 星の王子さまと私」の感想です。ネタバレです。

 

最後どうするのだろう? と思って見てました。

そこを間違えなければ、小粒だけど、名作入りかも知れないな、と思っていました。

結果、間違ってたと思います。残念です。

 

お金かかってますね。CGとストップモーションアニメで出来てるらしく、紙で作られたような星の王子様のストップモーションの所が良く出来てました。これを映像で見れただけでも良かったです。

物語も悪くはないです。時間やお金に縛られてたりする、大人の悪い所を描こうとしています。子供にそんなつまらない大人になるなと訴えます。これは「星の王子さま」の表面的なメッセージですね。

星の王子さま」を実際に子供の時に見て、子供の時には面白おかしく感じてたのに、大人になると忘れてしまう。その事と「星の王子さま」の内容にかけている話です。

 

表上で、物語は「星の王子さま」の後の話と言う作りになっています。あの後生き残った飛行機乗りがおじいさんになった時の話と言う訳です。

だけど、このおじいさんが本当に「星の王子さま」の飛行機乗りでも別人でも良い内容です。ただボケたおじいさんがそう思ってるだけでいい。

もしくは本当に飛行機乗りであってもいい。砂漠に落ち、死にかけた時に見た幻覚で良いのです。幻覚で見たのが王子さまで構わない作りなのです。

飛行機乗りが幻覚で見た王子さまの話をする。つまらない大人になるなと言う話を女の子に言う。そして女の子もそう思う。そして二階から降りようとして間違って落ちた時に気絶する。その後、目を開け隣家に行くと飛行機がある。しかしここからキツネが動き出しますね。つまりすでにこの時は幻覚なのです。

二階から落ちてから目を開ける。しかし本当は目を開けてはいないのでしょう。夢を見てるのです。なのでそこからはファンタジーの話になるのです。

だから大人になった王子さまもいないのです。気絶してる時に女の子が見た妄想です。

女の子が「王子さまは大人になり全て忘れているかもしれない」とおじいさんに怒って言いましたね。つまり女の子が頭に描いたのが、大人になった王子さまなのです。女の子の大人になる事に対する不安の塊が、全てお忘れつまらない大人になった王子さまなのです。

しかし王子さまは最後思い出し、つまらない大人から元に戻る。それを思う事で女の子は救われる。心の中で整理が付いたのでしょう。つらない大人にならないで、もしくはなっても何とか出来ると言う可能性を見出し、大人になる不安がなくなる。大人になる為に行く学校に行く事に対しても、不安がなくなるのです。だから学校に行く前の日の話なのでしょう。

そしてバラがなくなってしまったが、心に残るのを見る。それでなくなっても一緒にいつまでもいられると気が付く。だからおじいさんに対する不安もなくなる。おじいさんがもし死んでしまって亡くなっても、ずっと一緒だと思えるから不安がなくなるのです。

 

でもね。ここらへんが今一ですね。

バラは無くなったが一緒にいると言うのなら、おじいさんが亡くなれば話上はつじつまが合う。その方が話は分かりやすいのです。しかし生きているから分かりづらい。

バラが無くなって良いのなら、そもそも「星の王子さま」の終わりで王子さまがいなくなった事と同じです。それをわざわざまた連れて来るのに、バラは無くなってもいつまでも一緒と言う、同じ事をレベルを下げて言ってるだけです。

 

そもそもです。バラ無くします? 

星の王子さま」の大事な所はバラですよ。多く事がバラに係っています。バラがあるから最後王子は星に帰ろうとしたのでしょう? 怖いと言いながら帰ろうとした。別に故郷である星に帰りたかったわけでは無い。バラに会いに行ったのでしょう。

なのにバラを消す。それでもいつも一緒だと言う。最後変な花がいくつか咲いている星で王子は女の子と別れます。バラの無い、変な花が咲いている王子の星、あれに何の意味があるのでしょう? 分かってないなとしか言いようがないですね。

星の王子さま」では王子は飛行機乗りと別れますが、あれは次元の違う二人だから分かれてもいい。小さな王子さまは子供の心を持った飛行機乗りだからです。だから分かれてもいつまでも一緒だよ、と言っても通るのです。

しかしバラは違う。バラは王子さまと一緒の世界にいる存在です。バラは王子さま事サンテグチュペリの奥さんです。それを無くし王子さまだけ残す。生きてたらサンテグチュペリ怒りますよ。

監督はバラを象徴的な何かと思ったのでしょう。ちがう、もっと生々しい存在です。でもだからこそ生きてる感情が宿っているのです。だからこそバラを出すのなら象徴的なものにしないで、会わないといけない。王子さまを象徴的にするのは良い。王子さまとバラ両方を象徴的にしてもいい。でもバラと王子さまを分けてはいけません。分けてはいけないものを分けた。残念ですね。

 

原作でも王子さまは幻です。そして今回の大人になった王子さまも幻覚なのです。

今回の話はリアルな世界として考えても、「星の王子さま」を読んだ子供が(脚本家)が、大人になった時に思い描いた妄想です。

その事を物語上でも再現してるのです。女の子が物語の中で絵本で見た王子さまを、自分の物として心に描いたのが、大人になった王子さまです。

だから二重で妄想の存在が王子さまです。王子とは「星の王子さま」でも妄想の幻覚の存在であり、だからこそ今回もわざとそう使っている、良く出来た作りです。

だからネットでの感想で「大人になった王子さまなんて見たくない」と言うのは間違いです。あの王子は「星の王子さま」を読んだ後世の人が勝手に考えた妄想です。それはリアルでも物語上でもです。

多くの「星の王子さま」を見た人にとっては、王子さまは子供の心を持った自分の分身だった事でしょう。そしてつまらない大人になった王子さまは、つまらない大人になった今の自分の分身では無いのか? と言うのです。ここは良く出来てます。

 

ただ物語上、このつまらない大人になった事に気が付くべき人は誰か? それはお母さんですね。だからおしいですね。

私だったら、最後の晩に寝る前にお母さんに、あの絵本を読ませます。その後女の子の冒険が始まる。それが終わった後に、お母さんが目を覚ます(実際も近い映像だったので、最初はこうしたかったのかも? と思いましたが)。そうすればあれはお母さんの夢だったのかも? と言う話になります。

もっと言えば現実か? いや女の子の夢か? もしくはお母さんの夢か? と三重にかさなり良かったのにね。

とにかく、つまらない大人になった事に気が付くべきはお母さんです。そうなっていれば物語が解決してまとまります。それで最後のおじいさんに会いに行くシーンのお母さんにもつながり、その後の女の子と星を見るお母さんにもつながる。

おしいね。直すのはほんの少しでしょ?

 

お金もかかっていて、絵的にもいいです。

言いたい内容も悪くはない。

しかし肝心な所が二つ抜けている残念な作品です。バラとお母さんです。

ちょっとなので、直して完全版にしてくれないだろうか?

いや、やらないし出来ないでしょうけどね。

それがつまらない大人の世界だと言う事です。

つまらない大人には、なりたくはないですね。