号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

グリッドマン同盟とは何か?

アニメ「SSSS.GRIDMAN」感想の二回目です。ネタバレです。

 

あれ? 思った以上に深い物語かもね、と思えてきました。

ただどこまで監督が狙ったのかは分かりませんけど。もし狙ったのなら名監督の予感がしますね。

 

アカネは小柄で童顔巨乳なのです。これがうける訳です。

この世界はアカネに都合良く出来ている。男も女もアカネが好きな世界です。

つまりアカネの姿はアカネが作った理想の自分なのです。

学校カーストで半分から上の人だと女にもうける姿にする筈です。もっと服装が似合うように高身長で胸もほどほどにする筈なのです。この世界は皆自分を好きになるのだから、男うけを狙う必要もない。どんな格好でも男は寄ってくるからです。

ただアカネは男うけは考えてませんね。まだ男には興味がなさそうです。だからこそ怪獣なのでしょう。

じゃあなんで童顔巨乳なのか? これがうける姿だと思っているのでしょう。つまりオタク目線なわけです。一般うけの感じが分かってない、こじらせ女子なのです。

 

六花は何なのか? アカネは「自分を好きになる友達として作られた」と言ってましたが、それだけでしょうか? 友達としたら、なぜ仲良くしないのか?

女が作る友達なら、普通あんなつっけんどんな感じにはしませんね。女の理想の友達は明るい元気なブスです。なぜなら自分に得だけしかないからです。男を取られる心配もないし面白いのです。(テレビ関係者はもっと気が付くべきですね。昔から明るい元気なブスは、まあ本当に人気がある事)

最後に出てきた実写版のアカネが六花に似てるのじゃないのか? と言われてましたね。だから六花はリアルなアカネに似せて作られているのでしょう。アカネが狙って作ったのか? 潜在的な感情から出来てしまったのか? は分かりませんけどね。

 

だから「アカネと六花は同一人物なのだ!」と言おうとしたら、すでにyoutubeで言ってる人がいましたね。この人以外にも気が付いていた人はいるでしょうけど。

youtubeで見て来た事を言うと「最後の実写の映像で定期入れが出て来る。あれは六花がアカネにあげた物です。しかし実は始めから現実にはあるもので、その記憶がなんとなく六花にもある。それでアカネにあげた。だから六花はアカネなのだ」と言ってました。

その他にも「六花はジャンク屋にいる。アカネが捨てた本当の自分が六花なので、だからメタファーとしてジャンク屋にいるのだ」と言ってました。なるほどね。

 

私が思った以上の事を言われていたので、私が言う事もないのだが、私の意見はもう少し続きがあるので、書こうと思います。

 

この世界はアカネが作った物です。つまりアカネ要素が多くなるのです。狙って無くてもです。

物語制作で良くあるのが、キャラが皆作者の言葉使いになる事です。他にもキャラが皆作者の考えに沿ったものになります。よっぽど気を付けないと、全て作者になるのです。

プロでそうなのだから、アカネがそうなるのはしょうがない事ですね。

六花はさっき言った様にアカネその者ですね。オタク要素のないアカネです。だからつっけんどんな性格で学校もさぼる。

内海は怪獣オタクです。これは分かりやすくアカネ要素が入ってると言う事です。

では主役、響はなんなのか? この子は最後まで出てきません。グリッドマンに乗っ取られているからです。つまり何もしてないのですが、このキャラは大事なのですね。

響にグリッドマンが乗り移るのは、響だけがアカネに好意を抱いてないからだと言われてますね。だからアカネに操られない人物だというのです。しかしアカネの隣の席だし、重要人物として作られている、と言う事です。アカネが意識してるかは別として。

しかし六花が好きですね。六花は現実のアカネなわけです。そして内海はオタクなアカネです。となると響もアカネなのです。アカネが好きなアカネなのです。

 

アカネは童顔巨乳キャラになってるわけです。つまり別の人物になりたかったのです。皆に好かれる人物にです。

なのに現実の自分、六花も作ってしまった。つまり未練があるのです。現実の自分も否定したくはないのです。

オタクな自分も否定したくはない。だから内海がいる。この子は活躍しないですが意味があるのです。この世界でアカネは表向きはオタクでは無いのです。しかし捨てれないオタク要素が形になったのが内海です。

そして響です。この子も本体は活躍はしません。しかし意味がある。響だけが作られた童顔巨乳なアカネではなく、現実のアカネを好きになるのです。つまり、現実の自分を好きな事を認めようとしている、自分なのです。

この世界に閉じこもり違う自分になる。それは自分の否定です。しかしどこかに自分を認めたい、自分を好きになりたい、と言う心がある。それが響なのです。

グリッドマンはそれに気が付いたのです。アカネを救うためには、アカネが現実の自分を好きな事を認めようとしている響の力が必要だったのです。

 

善と悪、もしくは現実と虚構で揺れ動く二つの心を、赤の目と青の目で表してますね。

この世界で生まれたアンチ君は最後赤と青の目になりますね。両方の感情のミックスになり、現実と虚構の間の存在、完全体ですね。

それとは別に、赤と青、アカネと六花、両方が仲直りをしてバランスが取れたのが、現実に戻ったアカネです。そしてバランスが取れたまま異世界に留まったのがアンチ君ですね。アカネは現実に戻ると同時に子供が異世界に残る。これもバランスを取っています。つまりどっちも否定はしていない物語なのです。現実も大事だし、虚構も大事だよ、と言う物語になっています。上手く出来てますね。

 

この話はアカネの心の話ですね。違う自分になり閉じこもりたい心と、本当の自分を認め現実で生きたい心の葛藤の物語です。

違う自分になり閉じこもる事に手を貸すアレクシス。本当の自分が好きでありたい事に手を貸すグリッドマン、と言う物語でもあります。どっちの手を貸すのも虚構です。虚構も良い悪いがあると言う事です。

そして「グリッドマン同盟」の三人は、アカネの捨ててきた筈の心だったのです。

物語の最後、自分自身を無かった事にしないで、認める話なのです。