号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

交わした約束忘れないで。

細田守監督について書きます。wiki等の情報が基本なので情報量は少ないです。つまり疑って聞いてください。

 

細田監督作品のアニメ映画「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」「バケモノの子」「未来のミライ」から読み取れる事を書きます。

この人が足りない物は「約束は守りましょう」と言う事ですね。

 

これらのアニメ映画を見ていて思ったのが「完璧では無いのだろうけど、言いたくなるような大きな欠点がない」と言う事です。

これは誉め言葉だけでは無くて「言いたくなるような事」がないと言うのは、たとえ悪い事であっても尖った所もない、と言う事です。

そして段々回を重ねるたびに作品が微妙になってきて「未来のミライ」でかなり評価が悪かったので「道に迷ったのかな?」と思ってました。

しかし「未来のミライ」を見てみると、確かに何か間違っている気がするけど、それでも面白い方向に進化してるなと感心したので、良かったです。

進む方向は面白いし、前に進んでいる。でもたぶん進み方が間違っているのでしょう。

それは「客との約束を果たしてない」と言う事です。そしてそれが優れているのは誰だろうと考えてたら、やはり宮崎駿さんだと気が付きました。

 

wikiによると、この人は面白いですね。ジブリに関係しているので宮崎駿さんも高畑勲さんも知ってるようですし、富野さんも知ってますね。東映にいたからか「ウテナ」に係わっていたからか、幾原さんとも関係があるようです。それにこの人も寺山修司などの演劇にも影響があるようです。

とにかくいろんな人の影響があるようです。そう見ると「未来のミライ」に到達したのが納得できます。普通ではたどり着けない所まで来た気がします。しかしそっちは影響を受けた人達の尖った所の集大成の様な気がするのです。普通の客にとって、尖った所だけでは痛いのです。

 

時をかける少女」は原作があります。原作から変えてると言っても、私には流れは同じだと思いました。それにタイムリープものなら「自分のいいように世界を変え、それで間違い、最後それに気が付き正す」と言う要素を入れて来る事も、予想できます。

つまり普通の物語の基本は、やる前から出来てたと言う事です。だから見やすいのでしょう。

主人公は女の子です。しかし短髪で男子と遊んだりするし、告白されて戸惑ったりします。つまりまだ女として出来上がってないのです。まだ子供で男と女の間でしかない。だからこそこの子の書き方に、男の監督は苦労しないし、おかしく見えないのです。

 

サマーウォーズ」は田舎の家で、ネットの暴走と戦うと言う話ですね。つまり大きくないのです。動きも時間もコンセプトも大きくない。この時は気が付きませんでしたが、後の2作品は時間も場所もコンセプトも大きくなるです。つまりとても難しくなる。でも「サマーウォーズ」はまだ大きくないので、おかしく見えないですんでいるのです。

田舎も休みの日に帰って行く田舎です。だから細かな設定が無くても通るのです。自分が田舎に行った時も名前もはっきりしない親戚がいたりします。つまり細かな所をあまり気にしなくても成り立つ設定なのです。それに加え主人公の男の子には、自分の田舎ですらないですね。なお更誤魔化しがきく設定なのです。

 

ここまでは概ね監督自身の範疇でのお話です。だから細かなおかしさが少ないのです。

 

おおかみこどもの雨と雪」はリアルに描く母子家庭ものです。だから難しいですね。リアルな世界を書くから、よほど細かな所まで実世界と合って無いと文句が多くなるのです。

この母親おかしいですよね? やってる行動も性格もおかしい。ただ、おかしい少しずれた人だから起こった内容なので、実はあってるのです。しかしずれた人だと描いてしまうと、普遍的な何かを伝えたい物語が伝わらなくなる。だからわざと普通の人の様な描き方なのでしょうけど、それがどっちつかずなのでただおかしく思えてしまう。母の性格がおかしいのか? 物語の言いたい事がおかしいのか? どっちつかずのお話になってます。

母の性格もリアルさが無いですね。リアルな母や女の人には思えない。世界もおかしいそうです。田舎に暮らしている人の意見では、田舎の描き方がリアルさが無いようです。実際に子を持つ親にもそうです。実世界なのだから最後「雨君」が山に行ったと言っても行方不明で大問題だろ、と言ってました。

これらをリアルな世界で描こうとするのなら、細やかなリアルさが必要です。難しいですが、あえてそれをやろうとしてるのでしょうがないですね。細かなリアルさを追求するか、誤魔化すかする必要がありましたね。

 

「バケモノの子」です。これも概ねそうですね。リアルな世界で描くのだからリアルさが必要になり、それが無いとツッコまれる事になります。もしくは誤魔化し整合性を取る必要があります。

不思議な世界に主人公が行き、そこで暮らす。子供が行方不明になるのだから何かしらフォローは必要ですね。いや不思議な世界の神通力かなんかで上手くやってるのかもしれないけど、それはそれで嘘っぽさ全開です。そんな事が出来るならリアルな世界の問題もなんでも解決出来るだろうからです。

それに、不思議な世界と行ったり来たりしますが、それだと嘘っぽさが多くなります。リアルな世界で不思議な世界に迷い込む事は、普通の人にとって、起きない奇跡だと言う認識です。起きない筈の奇跡は一回までしか使ってはならない。じゃないと嘘っぽさが大きくなりすぎるのです。

 

未来のミライ」は単純に多く人にとって、面白い物語では無いですね。もっと単純に飽きさせない面白い分かりやすい要素が必要でした。

 

これらはどういう状態なのか?

つまり客は裏切られたと思うのです。

客はお金を払い時間をかけ見に来てるのに「契約が満たされてない」と思うのです。

客は「約束が果たされてない」と感じるのです。

 

リアルな世界を書く。リアルな母子を書く。その時点で客は「リアルな世界で物語が進む」と「約束された」と感じるのです。

だからリアルさが無いのが見えると「騙された」と思うのです。

それに加え「リアルさが無いな」と言う感情はノイズです。必要のない飽きさせ物語に集中できなくさせるノイズなのです。物語上必要だと思わない感情を抱き、それで集中できなくなる事もまた「騙された」と思うのです。

嘘っぽくなる事もそうです。不思議な世界と自由に行き来するリアルな世界と言うのは嘘っぽい。これも、作り物の物語に乗せて楽しませてくれると約束されたと思ってたのに、嘘っぽく集中出来なくさせ、つまらなくさせたノイズなのです。

そもそも「面白い楽しませてくれる物語」だと思ってたのに、つまらなかった時点で嘘つきなのです。

 

そこで宮崎駿さんの事が頭に浮かぶ訳です。

この人は細かいし、誤魔化しも上手いです。

ナウシカもコナンも未来です。誰も知らない未来です。

ラピュタは昔であり、しかもファンタジーです。

トトロは不思議な体験をするのが子供だけです。しかもこれも昔です。

千と千尋の神隠しは現実社会が出てきませんね。車に乗ってきて車で去っていく所で終わりです。それに一度不思議な世界に迷い込み、そこから抜け出すだけであり、奇跡は一回なのです。

紅のブタも昔であり、しかもブタを出す事でそもそも「そこまでリアルじゃないよ」と始めから言っています。

これらは客に「騙された」と思わせない作りなのです。

客に「思ってたのと違うぞ」と思わせない様に、つまり客が思う「交わされた約束」に対し、嘘をつかない様に気を付けている作りなのです。

それに(昔の作品は特に)楽しませる事にも嘘をつきません。

考えてみると宮崎駿さんの作品は、どれもこれらが良く出来てます。

高畑さんはこれにも気に入らなかった要素があるようでしたが(面白くても物語に乗せすぎると考えなくなる等の問題)、それはメタ目線ですね。それはそれで別の要素であり、これらが出来てから考える事です。まずは美味くて喜んで食べてくれるケーキを作って、それから客の健康を考えるべきです。

だから私には昔の宮崎駿さんの作品が正解だと思います。

もしそれ以上を目指すなら、それ以上を目指すべきなのです。つまり「この作りはダメだ、他の事にしないと」ではなく「これらのような作品を作り、それからこれ以上出来る事は無いのか?」と考えるべきなのです。

 

細田さんに必要なのは面白要素です。

正確に言うと「客と交わした約束は破ってはいけない」と言う事です。

皆自分に目が行きすぎですね。客を見てください。客に向かって作ってるのですからね。