号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

にじみ出るもの

昔見たピクサーのアニメ映画「WALL-E」(ウォーリー)から「にじみ出る」事について書きます。

昔々に見たのでうろ覚えです。間違ってたらごめんなさい。

 

私はウォーリーのキャラ達に、どうも感情移入してしまいます。

あとは「ドラゴンボーイ」(ドラゴンボールの元の短編)等に出て来る、実直なロボットに感動してしまう。

「アニメ等の作り物」な事は置いといて、でも「ロボットだろ」と言う人もいますね。ただ感情がある様に、実直に行動するようにプログラムされてるだけだ、と言うのです。その通りです。

しかし人が作った物や行動には人の感情が係わっている。それがにじみ出てくるものだと思いませんか?

 

「WALL-E」は良く出来てますね。一見おかしいようで、良く考えると筋が通っている様に見えます。

ウォーリーはただの片付けロボットなのに感情がありますね。性能が良すぎるように見える。

昔、家電売り場で一人の客が店員に「この一人用の小さなコタツより、こっちの普通の大きさのコタツの方が安いのはなぜ?」と言ってました。店員は「こっちの普通の大きさのは大量生産してますから」と言うような事を言ってました。

つまり小さく原材料がかかってないが少数しか作られない物より、大量に作ったもっと大きな物の方が安くなる時があります。

コンピュータもそうで、わざわざ性能を落とした物を少数作るより、より高性能な物を大量に作る方が効率的になる時がある。しかも「WALL-E」の世界は未来で、自動ロボットが自動で何でも作ってくれるだろうから、高性能な物を大量に作れる筈です。

元になるOS等のプログラムも共通化されるでしょう。物理的な物の性能が同じなら同じプログラムでもかまわないですね。だからウォーリーもイヴも、他のロボットたちも同じような感情を持ち、同じレベルで考え動けるのです。

イヴは最後は命令より自分の感情を優先させます。プログラムが同じならイヴだけではなく、全てのロボットがそういう行動をする筈です。これは危険な事では無いのか? と思いますよね?

でも最後は、命令より一番優先されたプログラムが動く、で正解です。つまり人の下した命令より、人間性のある行動が優先されるのです。例えば誰かが「あいつを殺せ」と言っても、やらないで人に有益な事を優先させるプログラムなのです。

ちなみにこれはロボットだけではなく人もそうです。宇宙船を地球に不時着させないのは昔の人の命令です。「お前らではどうする事も出来ないだろうから、安全な宇宙船で生きていけ」と言う命令です。これは優しさでもありますが、大きなお世話です。つまり毒親問題なのです。「未来は座ってれば何でもロボットがやってくれるので、安全な家で一生生きていろ」と言っている親の命令なのです。その命令に従うのではなく「自分で考えて、自分で未来を決める」と言う物語なのです。命令に従うだけの単純なロボットの様な人になるなと言う物語なのです。

 

つまりウォーリーのプログラムは「人に害になる事はしない様に考えて行動する」と言うものだと思います。

これは「良く出来てるプログラムだな」と言う事でもあるけど、そこに人の気持ちが入ってはいないでしょうか? 人の感情や思いが、にじみ出てはいないでしょうか?

ロボットの優しさは、作った人の優しさなのです。

それに未来を予見した気づかいでもあります。そして「地球に降りるな」も気づかいです。「親の気づかいも、良い方悪い方両方あるよ」と言う物語なのです。

 

しかもその作り手の気持ちがロボットになると、抽出されて出てきてるので濃くなって見えますね。

だから私はこのロボットが出て来る物語のロボットに感情移入してしまう訳です。

それはロボットから、その作り手の思いがにじみ出てきてるのが分かるからです。

 

実はロボットだけではなく、人の手が係わったもの全てに心が入っているのです。

初期のコインロッカーは、子供が中に入った時ように、中にふたを開けるボタンがあったようです。

もっと簡単な物、角が丸くなった机にも心が見えます。

逆もあります。いつまでたっても複雑で不安定なパソコン。お金儲けが見え、なんて心が無いのだろうと思えて仕方がありません。

複雑な役所の手続き。気持ちも考えも心も無いと思いませんか?

十年位前には普通に東京には路上生活者がいましたよね? 新宿なんて都庁があるじゃないですか。それに池袋も豊島区役所があるのに、路上生活者が普通にいましたよね。この国は自分から言わないと生活保護とか何かのお金はくれませんね。本当に弱い者はそれも言えないし、分からない人達なのです。そう言う本当の弱者が目の前にいても、無視してた国ですね。

何人子供が虐待死しても大きく法律を変えませんでしたよね? 今更ネットでの誹謗中傷を何とかしようなんて言い出してますね。これに心はありますか? 考えがありますか?

(別に皆に言ってるだけではなく、自分にも言ってる言葉です。私も何かしたわけでもないですからね)

それに物語です。どうしてもいい加減さがにじみ出てきてしまうものですね。人の死に対しても、子供の影響に対しても、とにかく社会の影響を考えていない。考えがないし心も見当たりません。

 

「ホモデウス」の著者ハラリさんが言ってたのは「虚構が人を強くした」と言うような事です。

虚構とは宗教とかイデオロギー(資本主義とか)です。後はお金とかです。

これらは人が価値があると思ってるから価値があるもので、元は虚構で価値は無いものです。皆がお金は価値があると思ってるから価値があり、お金があるから社会が上手く回っています。

そして物語も虚構では無いですか? 物語も虚構に価値があると皆に思わせるものです。そしてそれが力に変わるのです。

私は物語に力や影響が大きいと、最近まで考えて来なかった人です。しかし最近思ってたより影響力があるものだと分かってきました。

正義感なんてどこで学びましたか? もちろん実社会でも学んだのでしょうけど、そんなに正義感を実感して、考える時など無いと思います。強くこれが正義なのだと思う時、何が正義かと考える時なんてそうそう無い。だから物語は必要です。考えて自分なりの答えを出す助けになります。実社会のリアルな世界だけで、多くの問いに答えを出せる人なんかいないでしょう。他人の考えや経験が必要なのです。じゃないと人類は今も原始人位の正義感しか持ってないでしょう。

 

ロボットの行動は作った人の心が反映されます。しかし子供の行動も、親等の大人の心が反映されてませんか?

優しさが無い子供は親の責任だと思いませんか? 考えの無い子供は大人の責任だと思いませんか?

小さな時は、特に親などの身近なリアルな人の影響が大きいです。もう少し大きくなっても身近な大人の影響が一番大きいでしょう。しかし段々物語の影響も大きくなるのです。親から「正義とは愛とは」と学ぶ人はあまりいないと思います。物語も人の成長に大きく関与してるのです。

直接的なリアルな身近な大人もそうですが、間接的に、物語を作る大人の心も考えも伝わっていくのです。

アニメは子供が見る物です。子供の将来は大人です。全ての子供は大人になるのです。大人が社会を作り回しているのです。その子供が見るアニメを馬鹿にしてはいけませんね。将来の世界を作る人に影響を与えてると考えるべきです。全ての子供が「弱い者いじめはいけない」と言う物語に感化されて大人になったとしたら、はたしてどんな未来が待ってるか考えてみるべきです。「弱い者は死ね」と言う逆もしかりです。

 

なので私はロボットに感動します。物語にも感動します。コインロッカーの中のボタンにも感動します。

それはそこから「にじみ出る作り手の心」に感動してるのです。