号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

オマージュ、インスパイア、パロディ、トリビュート、リスペクト、パクリ

ミクスチャーって事でしょうか?

 

アニメ「キルラキル」感想です。ネタバレです。

 

面白いですね。良く出来てましたね。

あっちこっちの作品から、良い所を集めた作品でした。

ただ、これだけ色んな所から集めても、綺麗にまとめ上げたのだから感心しました。

特に昔の作品のオマージュが多かったようです。

若い人には昔過ぎて知らないからなのか、ネットで「あれの真似だ」と言う人が少なかったようです。

それは良かったです。これは「あれの真似だ」で片付けるような作品では無いと思ったからです。

忘れ去られそうな物の良さを再認識させる作品であり、温故知新でした。良かったです。

 

今は昔、エヴァンゲリオンが世に出た頃、とにかく五月蠅かったのが「あれの真似だ」と言う意見です。

しかし今は誰も「エヴァは何々の真似だ」とは言わないですね。

真似と片付けるのでは、おかしいと気が付いたのか? それとも、その後の他の作品が、もっと何かの真似っぽいので、当たり前になったからなのか? とにかく言わなくなりました。

時代も移り、「真似」の意味が皆さんの中で変わってきたのでしょう。

 

反対の意見もあるでしょうけど、世の中の物語の種類には限界があります。

世界中で沢山物語は作られているので、もう新しいものは滅多に出ないでしょう。

だとすれば、後はどこかしら似てくるものです。その中で出来る事は、新しい要素を少し入れて、大部分は今までの良い所の寄せ集めになるでしょう。

いつしかその寄せ集めさえも出尽くして、新たな物は無くなっていきます。

悲しいですが、現実は見つめないといけませんね。

音楽もそうですね。もう聞いた事もない新しい物なんてあるのでしょうか?

でも逆に思えば、今生きている人は、音楽も物語もまだ成長する時代に生まれたのだから、喜ぶべき事かもしれませんね。

そもそも、はたして出尽くした世界は暗黒世界なのか?

クラシック音楽もオセロも世界で何回やるのでしょう? 私には全ての音楽も物語も、クラシックを楽しむ今の様な世界観に近づいて行くのではないのかと思っています。それは決して暗黒世界では無いでしょう。

 

では、何をもって「真似」や「パクリ」と呼ぶのか?

ずっと言ってる自論ですが、「問題のほとんどは質の問題ではなく、量の問題だ」と思います。

だからパクリも量が増えればパクリなのでしょう。

この場合の量とは割合ですね。

 

オリンピックのエンブレムのパクリ疑惑ありましたよね?  あれは単純な形の物です。それで形が似ていると言う事は、割合で言ってもかなりのパーセントで似ていると言う事です。だからあれはダメですね。

仮にアニメだったとして、その中の主役に付いている模様が似ているとしたら、それはアニメ全体のパーセントから見れば低い数字になるので、それならパクリでは無いと思います。

 

この割合は、精神的な割合でもあります。

例えばミステリーでドンデン返しがあるとして、その場面を流す時間は少しだとしても、物語としては肝になる所です。だからドンデン返しが同じで、他に新しい要素も無いのならば、パクリと言われてもしょうがないですね。

 

ちなみに、これらが簡単な話でないのは、例えばエンブレムならどうしても似てくると言う事です。見た事もないデザインなんてあるのでしょうかね? ただそれを分かっていて商売にしているのだから、似ていると訴えられて負けた人に文句は言えません。が、今後は法律自体が緩くなる事は考えられますね。似てない物などなかなか無いですからね。

 

それともう一つ。「記念樹事件」ありましたね。

服部さんの曲の「記念樹」が、小林さんの「どこまでも行こう」に似ていると訴えられ、負けた事件です。

私は「記念樹」を初めて聞いた時「どこまでも行こうに似てるな」と思いましたが、これは皆そう思ったはずです。つまりこれは真似なのだが、これも簡単な話では無いと思います。

曲なんて多くの人は頭に浮かんだものを書いていくのだと思います。

夜空ノムコウ」と言う曲は、すぐ書けたと聞いた事があります。ただこれは今まで頭の中に溜まってた物、温めてた物が出て来た事ので、誰でも簡単に早く出来るわけではないですね。

たぶん「記念樹」も次々音が頭に浮かんだと思います。それは前に聞いているからです。ただそれを覚えているとは限らないと言う事です。誰かが口ずさんでいたとか、町で流れていたとか、寝ていた時に聞いたとか、もしくは聞いた事を忘れた、と言う事も考えられます。

多くの名曲も、自分の経験や頭に溜まっていた事から次々音が出て来た事でしょう。同じように、聞いた曲も次々音が出る。それの違いを自分で分かるのは無理でしょう。

ただもっと言えば人はずるいから、自分で「聞いた事が無い」と思い込む事もあるとは思います。都合のいい方に自分に暗示をかける、人はそんな事も出来る動物です。前にも言った様に、好きな人の事は全て良く見えるが、愛がさめれば「なんで良かったのだろう? なんでおかしいと思わなかったのだろう?」と人は思うものです。人は自分にも嘘を付けるのです。

「記念樹」の事で言えば、誰かが世に出す前に言うべきでしたね。ただ作った人が大物だと周りは言えないものです。だからこそ大物自身が誰かに「これ何かに似てないかな?」と聞く必要がありますね。名のある人がこんな事で恥をかいても、残念なだけですからね。こんな事件もあり、今はやってるのかもしれませんけどね。

 

さて「キルラキル」です。この作品はわざと色々真似てますね。

まず頭に浮かんだのは「炎の転校生」ですよね。それに、「ド根性ガエル」とか「うる星やつら」とか「スケバン刑事」とか「ガンダム」とか永井豪の作品とか、とにかく分からない位多くの作品を混ぜています。

ただこれは、今は無くなった昔の良いものを現代風にアレンジして、今の人に見せている。だから価値がありますね。

昔の良い所なのに消えて行った物を再認識させてくれる作品です。

今後は特に、ネタ切れな世の中になるのだから、なお更昔の良い所を復活させてくれる事は価値があるでしょう。

しかも、上手い具合に融合しているな、と感心して見てました。とにかく良いとこ取りが上手い。ここまで上手く、しかも色々な物を合わせれば、もはや真似とは誰も言わないと思います。

 

では細かな気になった所。

物語は王道でありながら、飽きる前に少しずらし、他の要素を入れる。それでスピード感を出していく。この辺の大きな作りも上手かったですね。

三話で早くも鬼龍院 皐月と戦ってましたね。四天王の一人とも早くに戦う。四天王全員と戦う時も、二人目、三人目は一話ずつかけず、早く終わります。そして一度戦った四天王とは、つまらないからもう戦わない。飽きる前に手を変える、とても分かっている作りです。上手いですね。

皐月はラスボスだと思わせておいて、仲間になる。まあ、そうなるのかな? と思いましたが、そこら辺も良くやっています。

皐月とマコにも鮮血を着させる所とか、分かってるねえ、と思わせますね。サービス精神を忘れてないと言う事です。

 

物語の悪い所も言います。

ラスボスが結構前に出てきてるので、最後の方に驚きが無いですね。それに物語はずっと、真っ直ぐ行かない少しずらした飽きさせない作りなのに、ラストだけはそのままでしたね。ラストだから素直に行きたかったのかもしれませんが、せっかくここまで来たのに驚きが足りず、少し弱かったかな? と思いました。

ラスボスの母の気持ちが分からない(洗脳されてるのかもしれないけど)。針目 縫も今一どんな性格か分からない(こいつも気持ちなんて元々ないのかもしれないけど)。分からないとは、つまり乗れないと言う事です。だから敵キャラが弱い。

勢いと熱さがインフレしていく作りです。それでも途中までは良くもたせてるな、と思いましたが、流石に最後まで行くと熱さが足りなくなりましたね。最後で一番熱くさせないといけないのに、最後の最後で品切れになり残念でした。あともう少しだったのにね。

 

あの下品な服装が気に入らないと言う意見が、ネットではよくありましたね。実は私も始めはそうでした。ただこれはギャグでもあるのだな、と思えてきたら気にならなくなりました。昔の「けっこう仮面」の様な作品のパロディなのでしょう。昔は露骨な裸がありましたが、逆に脱ぐ役は考えられてました(物にもよるけど)。この作品でも脱ぐのが流子ですね。弱い子でもなく、かわいい子でもない、さばさばした怒ると怖そうな子が脱ぐのです。今の作品の様に、ロリッぽいのや猫耳が脱ぐよりよっぽど健全じゃないでしょうか? この作品でもただウケたいだけなら、かわいい子を脱がせればいいのです。それをしないのは、媚びを売ると言うよりも、こんなのも含め昔は健全じゃなかったのか? と言うメッセージだと思います(これでも怒る人はいるでしょうけど)。

 

それとヤンキーメソッドがありますね。昔はヤンキーキャラが良くいましたね。エンディングでヤンキーは、寂しそうに一人町をぶらぶらするものです。このエンディングは「スケバン刑事」のパクリだそうですが、それ以外も入ってますね。ぶらついた子はショーウィンドーのウェディングドレスを必ず見るのです。そして夜、金網の前で向こうを見るのです。この辺を見るだけで、昔の良い所や、味のある所を分かってる人が作っているな、と思わせますね。

蟇郡(がまごおり)のキャラは大きくなったり小さくなったりしますね。「北斗の拳」ですね。と言うより原哲夫さんのキャラですかね。この大きさのいい加減さも、昔から面白いなあと思っていたので、分かってるねえ、と言いたくなりました。

母がラスボスで、父が反旗を翻し娘を助ける(と同時に利用するようにも見える)。「銀河鉄道999」ですかね? 熱いスポコン物から、熱いSFまで入れる。熱いのが共通ですね。

何より「炎の転校生」ですよね。作者が、自分の昔の漫画「炎の転校生」を見直すと言う漫画を描いてましたが「勢いはある。しかし勢いがあり過ぎて読みずらい!」と言ってました。私もその後、漫画喫茶で見なおしたら「確かに勢いがあり過ぎて読みずらい!」と納得したのを覚えています。その要素をふんだんに入れてましたね。

 

後半のエンディングの時の絵が「うる星やつら」でしたね。これはオープニングのパロディですが、うる星やつらのエンディングも知っていると言う事です。「変と変を集めて、もっと変にしましょ」と言う歌詞でしたね。この辺から作中の「訳の分からない奴らがいるから良いんんだ」と言う様なセリフにつながって行くのだと思います。それと同時に、昔は変なキャラがアニメや漫画に良く出てきました。この変なのが集まって、何とか上手く回してる世の中が良い世の中では無いのか? と言ってるように思えます。

自分から見て、変な奴らを否定するのではなく、認め合って、助け合って何とかやっていく世の中。そんな世の中の方が正常なのでは無いのかと言っているのでしょう。

物語の、そして人々のミクスチャーで良いんだ、と言う話でした。

 

2020年5月17日 追加

 

キルラキル評判」等で検索すると「真似だ」と言う意見が少なかったようですが、「パクリ」等で検索すると結構出てきましたね。

それにある漫画のパクリと言われてたそうです。

この漫画の作者の一人が「パクリではない」と言ったそうなので、今更内容を蒸し返して言う事では無いですね。なので細かな事は言いません。

個人的には、この位でパクリだと言ったら何も描けなくなるので、温かい目で見た方が世の中の為だと思っています(ある程度似ていてもね)。

ちなみに誰かがネットで言っていて面白かったのが、「ライオンキングはジャングル大帝のパクリだと言われているけど、もう一つ出てきたら[ジャングル大帝物]と言うジャンルになる」と言う事です。その程度の事だと思いませんか?

あとは見ている人が自分で気に入らなければ、見なければいいと思います。

似てる事を言いたければ、パクリと言うのではなく、「ここのネタの元はあの作品からだろう」でいいのでは無いでしょうか? なんでも限度はありますが、この程度ならね。