物語にはサイコパス的な人が良く出てきます。
なのでその事をよく理解して物語を見ないと、間違った答えを出してしまいます。
反社会性パーソナリティ障害の「サイコパス」についてです。
専門家ではありません。そして個人の感想です。なので疑って聞いてください。
wikiによると、サイコパスは病気ではないそうです。そして日本では反社会性パーソナリティ障害と呼ぶそうです。この国では反社会的でも病気では無いのですね。優しい国ですね。
そして親の育て方などによる後天的なものを「ソシオパス」と呼び、先天性なもの、つまり生まれつきが「サイコパス」なのです。
私はつねづね問題のほとんどは量の問題だと思っています。質の問題ではない。
病気もどこまでが病気で、どこまでが病気でないかはあいまいだと思っています。潔癖症もただの綺麗好きから、過度の綺麗好き、そして誰から見ても病気だとしか思えない潔癖症の人もいます(もはや手袋が無いと何一つ触れない人とか)。
それに風邪の菌が体にどの位入っているかで、病気かそうじゃないと判断されますよね。病状が出てない感染者もいれば、調べても分からない程の少数の菌しか持ってない人もいます。どこまでを病人と呼ぶかははっきりは決まってませんね。
だから、サイコパス的傾向を少し持ってる人も、多く持っている人もいますが、どこまでを「サイコパス」と呼ぶかははっきりしません。。
後天的と先天的。これも両方が係わっている時がありますね。両方とも少しずつだけど両方がある為に「サイコパス」が分かりやすく出てる人もいる筈です。
つまりはっきりしないと言う事が前提です。必ず白でも黒でもない灰色の人がいると言う事です。だからここでは誤魔化し、まとめて「サイコパス的な人」と呼びます。
私はサイコパス的な人は共感力が無い人だと思っています。それがどのように出て来るのかで種類はあるが、全ては共感力が無い所から来ていると思います。
それは他人の事を、自分の事の様に思えるか? です。
人形があったとして、それの首をハサミで切れるか? と言う事です。それはただの人形なので気になるのがおかしいとも思えるし、でもまるっきり気にしないでそれが出来る奴は危ない奴だとも思える。どっちが正解なのかは、はっきりしない。
そしてそれが他人にも当てはまる。他人だから痛くもかゆくもないのだけど、大体の人は他人でも痛く感じるものですね。それが無いのは病気では無いのか? でも少しなら違うとも思える。はっきりした正解はない。
では、異常と正常のはっきりした線引きもない物である共感力は、どの程度必要なのか? これも正解は無いですが、極端に偏った人は危険だと言う自覚は必要です。例えば潔癖症でも、人が嫌がる位汚く臭くても気にならない人でも、自覚が無いと他人と自分を不幸にしますからね。
面白いのは他人に共感しないと言う事は、今の自分では無いと言う事。つまり未来のまだ存在しない自分にも共感を得ないと言う事です。だからサイコパス的な人は、その行動が他人だけではなく、未来の自分に影響があっても気にしないのです。
他人の痛みも、未来の自分の痛みも、想像上の物でしかない。だから同じなのです。
そして珍しい事に「自分自身の感受性は強いが、他人には共感しない人」がいると言う事です。
分かりやすいのが芸術家ですね。それに作曲家などです。あの作曲する有名人やあの歌う有名人と名が出てきませんか? 感受性が強くいい曲作るが、他人に共感できず嫁などを簡単に不幸にしている人達です。
つまり騙されてはいけません。「こんなに感受性が強いのだから、心優しく自分をずっと大事にしてくれる筈だ」なんて思って結婚して、不幸になっているようにしか見えない芸能人は沢山いますよね。
しかし昔から、サイコパス的な男はもてるようですね。
有名な話で、男でもてる三大要素として「サイコパス」で「ナルシスト」で「マキャベリスト」だそうです。
つまり「他人に共感しない」で「自分が大好き」で「手段をえらばない」人です。
なぜか女の人は、こう言う人を本能的に好きになる傾向があると言います。
それは「こういう男はあちこちの女に手をだし、沢山子供を作る」ので「この遺伝子を得た自分の子供は、沢山子供を作るだろう」と本能的に思うように出来ていると言われています。つまり孫が沢山出来る遺伝子を得たいと思うのです。
そしてサイコパス的な人は、成功者に多いですね。
昔から、そして今も、他人の事なんて考えないで自分の利益だけ考えた方が成功しやすいのです。「自分だけ沢山お金をもらってないで、社員に、そして恵まれない子供たちにお金を上げよう」なんて人がお金持ちになんかなれないですしね。
それに行動を起こした人だけが成功者になるのです。「これは危ない、危険だ、安全に地道に行こう」と言う人は大きく成功はしないものです。
だから成功者はサイコパス的な人が多いですね。でも勘違いしてはいけません。成功者の周りには、見えない失敗した死体が無数に転がっているのです。危険なものに挑戦した人には失敗者の方が多いし、その数は成功者の比では無いのです。
だからサイコパス的な人は成功の方法を語ったりしますが、うのみにはしない方が良い。確かに成功する人も出て来るでしょうけど、失敗する人はずっと多いのです。皆が成功するわけでは無いのです。なぜなら皆が成功した時点でその人達は普通になるからです。誰もがなれる者は、成功者ではないのです。
物語にはサイコパス的な人が良く出てきます。
大体の主役は男なので、こういう人はもてるし、行動力がありますからね。行動しない人は主役になれない、なぜなら物語が進まないからね。
そして主役は成功者でもあります。サイコパス的な人から成功者が出やすいのはあっています。
でももう一回言いますけど、物語では必ず成功しますが、実際は沢山の死体が周りに転がっている話ですよ。所詮フィクションです。それを勘違いして現実でもこういう男に付いて行く人がいます。まあ、分かっていて付いて行くのは構わないですね。それも人生です。別に幸せだけを目指すのが人生ではない。でも知らないで後で泣いてる人は、軽装備で危険な山に登った人ですよ。分かったうえで準備をして挑戦しましょうと言う事です。
物語でサイコパス的な人と言うのは「君の名は」の瀧君ですね。そしてアムロとシャアです。後は「NARUTO」のサスケ等のクールキャラはこうなりがちです。「エヴァ」の碇 ゲンドウや、昔のスポコン物の指導者もこうなりがちです。
こういうキャラが良く出て来る物語を、よく作る人がいます。たぶん原作者か監督自体がサイコパス的な人なのだと思います。
売れた物語を作る人もまた成功者です。だからサイコパス的な人が結構多い気がします。
サイコパス的な人はコミュニケーション能力が低い人が多いです。共感力が無いからです。コミュニケーション能力がない人で、なおかつその問題を理解してない人は、長くは成功が続きません。
これは全否定では無いです。良い悪い両方あるので、自分の問題を理解して取り組めばいいと思います。
しかしなぜか最近は勘違いしていて、良い所を伸ばせばいいんだと思っている人がいますね。会社等の多くはそうだが、人は違います。人は欠点の方を補う人の方が、成功者として続けていける人です。
会社は苦手なAを伸ばせば、得意なBがおろそかになります。ならBを頑張るべきです。じゃないと得意なものがなくなるからです。
しかし人の性格の方はどうでしょう? サイコパス的な人ではよく行動力はあるがコミュニケーション能力がない人がいます。その人がコミュニケーション能力を伸ばそうとしたからと言って、行動力が大きく落ちる事は無いのです。だから苦手な方を伸ばすべきです。
もしくは弱点を理解して、出来ないのなら他人に任せるかです。小さな会社でも社長なら部下に任せてしまえばいい。会社なら経理は誰かに任せたり、監督でも音楽は誰かに任せたりします。コミュニケーション能力でも同じ事です。
昔は共感できない人がいても良かった。
しかし力を得た昨今の人では危なくなってきました。
それでは世界が持たなくなってきたのです。
自分だけ良ければいい、しかも今の自分だけでいい、では世界はもう持たない。
だからサイコパス的な人が自分の欠点に気が付いてないのは危険です。
でもサイコパス的な性格は良い悪い両方あるので、悪い所がなぜダメなのか? そしてそれをどう対処するべきか? を理解する事が大事だ、と言う話です。