号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

緑色のハンバーグ

どうも人は年を取ってくると、小難しい事を言いたくなってくるようです。

それは監督でもそうです。

私は常々物語と言うのは、とにかく面白くなくてはいけないものだと思っています。

その事に関して書きます。

 

ネット動画で元は有料だが、一部無料でYouTubeでのせているものがあります。

その中で山田さんが話してるヤングサンデーとか、岡田斗司夫さんが言ってる動画をたまに見ています。物語の事を話している動画です。

そこで「レディプレイヤー1」の事と「ハウルの動く城」の内容の事を言ってました。これらは監督がとても深く考えていて作られているのだと、これらの動画で説明していて分かり、とても感心しました。

しかしこの二つの作品、私はあまり好きでは無いのです。深く考えられてると分かった後でもです。なぜか? つまらないからです。

物語はつまらない時点で失敗です。それが分かってないのでは無いのかと思っています。

 

みんな大好き「バックトゥザフューチャー」と「天空の城ラピュタ」が私も好きなのですが、この二つの方が正解だと思います(バックトゥザフューチャーの監督はロバートゼメキスですけどね)。

何かものを伝えたいと思い作った物語だとしても、この二つの方が正解なのです。

何かを伝えたいとします。子供や次の世代に役立つことを残したいと思ったとします。

しかしそのまま言葉で言っても聞いてくれない事が多いですね。小難しい事は聞いてくれない。

だから物語に隠し伝えようとする。この事自体は素晴らしいのですが、上手くやらないと緑色のハンバーグになります。そうなってる作品が多いですね。

 

野菜を食べない子がいるとします。本当は野菜を食べるようにするのが正解です。しかしどうしても食べない子には背に腹は代えられないので、ハンバーグの中に細かく刻んだ野菜を入れ、だまして食べさせるのです。

しかしもっと食べさせようと沢山入れる。そうしてたらいつか緑色になり、味も野菜臭くなり、子供に出してみたが食べてくれない。それで私はやれる事はしたと納得しますか? 食べないと意味がないでしょ?

つまらない物語はこれです。どんなに素晴らしい事を言おうが、つまらないと見てくれない。もしくは見ても覚えてないのです。

「レディプレイヤー1」を一年たって内容をよく覚えている人がどの位いるでしょうか? たぶんほぼいない。だからどんなにためになる事を言ったとしても、一年で誰も覚えてないのは意味が無いのです。

しかし「バックトゥザフューチャー」や「天空の城ラピュタ」はどうでしょうか? ずっと覚えているでしょう。

この作品は深いメッセージを入れないで作ったのだと思います。あるか無いではなく、深くは入れようとはしてなかったように見えます。

しかしちゃんとした人が作った物語は、ちゃんとしたメッセージが自然と入っているものです。それが子供は何も言わない大人の背中を見て育つと言われるゆえんです。

しっかり自分の価値観があり、ぶれない人が作ったものには、しっかりしたものが宿るのです。それが伝わるのです。

ただビルの様ないじめっ子や、ムスカの様な悪い奴は良くないと言う良くあるものであったとしてもです。これに共感した子供はビルやムスカの様な人にはなるまいと思い大人になる。

それをずっと覚えている事により、正義感等が宿ってくるものなのです。

子供と言う事は将来の大人に、そしてそれは世界に正義感を植え付けていくのです。

 

しかしどんなに正しい役に立つ偉そうな言葉を子供に言ったとしても、子供が「この大人は信用ならないし、面白くもない」と思っていたら伝わらない。

逆に何も言わなくても、しっかり生きている大人の背中を見て、子供はしっかりした大人になっていくものです。

つまらない深い物語は、説教を言う大人です。しかし伝わらない。残らない。誰も覚えてはくれないのです。

だからこそ物語で何か伝えようとするのならば、面白くなくてはならないのです。面白くて初めて伝わり、残り、意味がある。食べない緑色のハンバーグ作りは、どんなに栄養があったとして自己満足でしかない。

 

これはとても難しい事です。

面白くするだけでも難しいのに、それにメッセージを入れる。どんなに頑張ってもメッセージを入れれば入れるだけ、面白さがなくなっていくものです。ハンバーグは緑色になっていき、やがて野菜の塊になるのです。

私は「もののけ姫」の時宮崎さんが「これは今作らなければならなかった」みたいなコメントをしているのを見て「やばいな」と思った記憶があります。やりたい事が前面に立つとつまらなくなっていくのです。そして結果私には「もののけ姫」はつまらなかったですね。

これはバランスの問題です。ある程度の面白さを確保しながら、メッセージを入れる。食べてくれるぎりぎりを目指し、野菜を入れていくのです。

これが破綻してるように見える物語が多いですね。

人は頭がよくなってて来ると何か言いたくなるのでしょうね。でも面白くなければ本末転倒です。面白くなければ誰も聞いてはくれない。

 

これらは感覚的になりますが、例えば「これは名作だ」と心に強く覚えているのが90点台とします。

そして「まあ面白かったかな」が70点台とします。

そして「まあ見れたかな」が60点台として、だいたい数年たつと「そんなのあったなあ、どんな内容だったっけ?」がここです。そして何も残らないのがここです。

で、私は80点台を目指すべきだと思っています。

90点台はそもそも難しいので無理だとして、目指すのは数年たっても良く覚えておける80点台では無いでしょうか? まあ80点台狙っても70点台になるのが実際かも知れませんけどね。

そして物語を作っていてメッセージを入れ、これより下がったなと思われたらもう入れるべきではないですね。逆にもっと面白くしようとだけ頑張るべきです。

 

そしてアニメ「ピンドラ」は80点台を確保している様に見えるのです。だから褒めているのです。これは人により点数は違うのだけど、ネットで見ていて多くの人にとっても80点台をとれてるような評価ですね。

そして「ユリ熊」は一般的に60点台ですね。だからこれは成功してるように見えないし、私は失敗したと始めは思いました。しかし最終的には面白かったので私にはありになりました。つまり個人個人で点数が違うのは当たり前で、自分にとって点数が高ければ問題が無いのですが、それはその人個人の問題ですね。全体評価が低ければ作品として成功したとは言えません。だから「さらざんまい」でもっと分かりやすい方にかじを取ったのだと思いますし、それであっていると思います。

しかし宮崎駿さんもスピルバーグも面白い方にかじを取らないですね。この二人は面白さを目指していた昔の方が正しかったと思います。昔の自分を否定しないでもらいたいですね。人はものが分かると悩むものです。しかし昔も正しかったのですよ。

 

そもそも子供には野菜を食べれるようにするべきですね。

難しい、しかし役に立つ話は、そのまま言葉として話しても聞ける人に育てるべきです。

それをハンバーグに入れるのだから無理をしているのです。

難しい事をしているのです。

そのまま野菜を食べるより少なくしか入れられないものです。

物語もそうです。たいしてメッセージは入れられないのです。

しかし、食べてくれる物を作るべきなのです。

食べてもらえない物は、捨てられるだけなのですから。