号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

笑う世の中 を笑うのか

映画「ジョーカー」見て思った事を書きます。ネタバレです。

 

人気のある作品だそうで、考察も沢山あるようです。

なので今更考察はしないで、考察サイトなどを見て感想でも書きます。

 

普通の人もストレスを受けるとバランスをとる為に笑えてくる事があります。お葬式とかで笑えてきたりするのはこの為です。

ジョーカーはそれが酷くなる病気なのでしょう。だからストレスが出る所で笑います。

 

物語で気になったのはどこまでが妄想か? って事ですね。

一見妄想のようで、そうじゃないとしても見れてしまうものになっているので、分かりずらいですね。

あの恋人っぽい人は何なんだろうと思いましたが、やはり付き合ってた事は妄想だそうですね。画面をよく見ると分かるようになっているのだと、どっかのサイトに書いてありました。

あとは最後病院で終わるけど、あそこだけ本当で、物語自体全て妄想だったのではないのか? とも言われているようです。

そもそも最後出てくるアーサーはジョーカーですらない人じゃないのか? とも言われているようです。漫画バットマンを見ていた男が、妄想の中で自分の人生と混ぜて作った話じゃないのかと言う事らしいです。

しかし妄想を階層にしてしまうと、どこまでが本当かなんて関係ないですよね? どこでもいい事になる。

そもそも物語自体が製作者の作り物なのだから、それに一喜一憂する私たちと、妄想に一喜一憂して行動するジョーカーがどこが違うのか? に行きつきます。

自分をジョーカーだと思っているこの男と、この物語のジョーカーと自分の人生を重ねて見てしまう客が、どこまで違うものなのか? と言う事でもあります。

だからどうしても気になる所は考えるとしても(例えばこの映画だと恋人とは付き合ってたのか? とかエンジェルウォーズでどこまで本当だったのか? など)、それ以外はどこまでが本当で、どこまでが妄想だったのかは大した問題では無いですね。

 

ではこの物語で大事だと思う所です。

人が人を作ると言う事です。

良い人間も悪い人間も人が作るのです。

人を追いつめるのも人だと言う事です。

歴史上の人物の人生を伝える昔のテレビ「その時歴史は動いた」を見てて思ったのですが、何かしら達成した人にはそのきっかけになる人がいると言う事です。

逆に「マリーアントワネット」の回はその助けになる人が現れませんでした。そして処刑されてますね。もちろん後から後の人が見ればそう見えると言う事なのは分かりますが、大事なのは自分以外の自分に影響を与える人だと言う事です。自分自身で乗り越えるなんてたかが知れていると言う事です。

人が言葉をしゃべるのも箸を持つのも顔を洗うのも、もちろん誰かの教えです。もしくは誰かの真似です。人は周りの沢山の人の影響で出来ているのです。影響がなければしゃべる事も箸を持って食べる事もしません。つまりほとんど他人の影響で出来ているのです。

もちろん遺伝もありますが、遺伝だけで犯罪を犯すと思っている人はいないと思います。周りの人の影響なのです。周りの人が「何かした事」だけではなく「何かしなかった事」と言う事も含めてです。泣いた時にあやされてきた子は、他の子が泣いている時あやそうとするそうです。逆に泣くと叩かれていた子は、泣く子を見ると叩くのだそうです。真顔でです。そういうものだと思っているのです。泣いても無視されてきた子は、誰か泣いていても無視する事でしょう。

人が人を作るのです。

 

この映画のジョーカーはひどい目にあいます。しかもやっている人にとって大して必要では無い事にです。つまり回避できた事なのです。ただちょっとふざけていた、ちょっと誤魔化した、ちょっといい思いをしようとした等の事で追い込まれて行ったのです。これは今の先進国では無いのか? と言う事です。

昔の全ての人が腹いっぱい食べれる物が用意できない時代にはそれで構わなかった。全ての人が生き残れないので、弱い人が死んでいかなければならなかった。しかし今は違います。だから社会全体が上手く回っていれば回避できた事で、アーサーは追い込まれて行ったのです。

 

最後暴動が起きてますが、あれはジョーカーが起こしたよう描かれ方でしたが、そういう下地が出来上がっていたので起きたのです。

つまりジョーカーだけではなく他の人も追い込まれていたと言う事です。もちろんそれでも暴動を起こしている人が悪いのは間違いないのですが、今の日本では起きないでしょ? つまり日ごろの行いが大事だと言う事です。

そしてそこも気を付けていれば、バットマンの父も死なずに済んだのでは無いのか? と言う事です。父は悪い奴に殺されたのは事実ですが、その大本を作った、もしくは放って置いた超お金持ちでは無いのか? と言う事です。

父は特にジョーカーを殴ってますよね。あれも端的に表している。超金持ちなのだからあそこでしんみに聞いてやるか、誰か聞いてやる人でもつくってやっても良かったのに、邪険にした。その結果暴動が起き、その時のどさくさにまぎれた奴に殺されたと言う事です。自分の行動が回り回ってきたのです。

これも今のアメリカを表しています。何年か前にアメリカで貧富の差を訴える人が現れましたね。確かこの人は金持ちだったと思います。この人は貧しい人を救うと言うよりも、このまま差が広がれば、金持ちが貧しい人に金を奪われる事になるぞと警告したのですね。その通りだと思います。昔なら革命でも起きる。今なら選挙で、金持ちから金をとる法律を作ると言う人が多く通れば成り立つ事です。実際は難しいですが、極端な貧富の差はいつかそれを実現させますよ。

つまりジョーカーの中で伝えている事は、大げさだが今の現実の事を言っているのです。今後は起きるかもしれないとの警告です。それは貧乏人ではなく、金持ちに対しての警告です。

そして優位な立場に立っている人に対しての警告です。ジョーカーに殺された元同僚は金持ちでも何でもなかったが、それでも自分より弱い者を邪険にすると殺されますよと言っています。

このままだと隣の奴がジョーカーになるぞとの警告です。

ジョーカーには一つの事で悪人になる事は無かった、と言う描き方です。あるかもしれない小さな事が沢山積みあがって、偶然が重なった時に出来るのがジョーカーです。コインを投げ、何回投げても全て裏が出る事もある。しかしたった一回表が出ていれば防げた犯罪なのです。たった一回誰かが少し優しさを見せていれば、犯罪者にならなかったか、自殺していたのがジョーカーだったのでしょう。

 

人が人を作る。

良い人も悪い人もです。

今の時代は人が人を追い込むのです。追いつめていくのです。

本当にそれがどうしても必要なのでしょうか? それが無くては上手く生きてはいけないでしょうか? その為に苦しんでいる人はいないでしょうか?

そしてそれは自分自身に返っては来ないでしょうか?

皆の笑い顔は本当の笑顔でしょうか? そう言っている物語だと思います。