号漫浪正大

輪るピングドラム ~物語を見直す

近未来? いえいえ、今です。

アニメ「サイコパス」テレビ版一期を見て思った事です。ネタバレです。

 

攻殻機動隊と比較されたりしますが、こっちは刑事ものですね。逆に言うと攻殻は刑事ものではない。

刑事ものと見ればこの終わり方も納得できます。

つまり全ての問題を解決できる訳ではない。

ただ対処療法としての警察が、今後も一つ一つを処理していくと言う終わり方でしたね。

 

物語を作るにあたり、初めに何をしたいのか? 何を元に作るのか? を決めると思います。

一つは、最後こうしたいと言う事から作る。物語最後のネタですね。映画「シックスセンス」等です。

後は単純に「恋愛物」「異世界物」「ハーレム物」等の漠然としたものから始める。

そしてこのアニメは物語の方向性やざっとした流れをネタとして持っていて、それをするために他の物を付け加えていく、と言うやり方だと思います。

つまりシビュラシステムがある世界観と、物語的には狡噛(こうがみ)と常守(つねもり)の置かれる状況と判断をやりたかったのでしょう。

それを芯として持っていて、そこに肉付けをしていくような作り方だと思います。

私はこの作り方が好きですね。と言うか基本はこうじゃないといけないと思います。

物語として面白くなる所(最後のオチや途中のネタ)から作るので、もちろん面白い所がある訳です。

それに比べて異世界ものだとかで「こうやればうけるだろう」等から始めるとつまらなくなりがちです。何をしたかったのか分からないものになる。何をしたいかが元々ないのでそうなるのです。

 

そしてこの物語は芯の周りの肉付けをするにあたり、当たり前な良くあるもので出来ています。なのでステレオタイプになっている。

狡噛の様な誰か親しい人を殺された刑事(元でも)は、とにかく部屋に写真を沢山貼りますね。それで上半身裸で体を鍛えている。そして何かを勢いよく飲みます。しかもタバコを吸う。ここはステレオタイプすぎてギャグかな? と思えてしまいましたね。あとは鉄棒があってけんすいしていれば完璧でしたけどね。

つまりこの肉付け部分が当たり前すぎてつまらなく凡庸な感じを受けました。犯人も猟奇的な事件もキャラも、とにかく不思議な位良くあるどこかで見たようなもので出来ている。だから初めの方は退屈ですね。銃が面白いくらいで、見た事あるものだけで出来た幕の内弁当でしたね。

しかし実は私はここら辺の事を批判してはいません。やりたい事や面白くなる要素があり、それに向かう為に肉付けをするのに、ありきたりなもので固めるのも間違っていないと思います。

もちろんそこにも新しい要素や、才能が感じられるもので出来ればいいのでしょうけど、人はそこまで完璧では無いですからね。時間やお金や才能には限界があります。その限られた中で面白いものを作るのが大人なので、肝心な所以外をありきたりなもので固めるのも正しいと思います。ありきたりな使い古された物は、しかし良く出来ていることが証明されてもいますからね。それでいい。それでやりたい面白い物語に向かうのなら正解です。

 

このアニメは皆にシビュラシステムが穴ばかりと批判されてる様ですね。

でもこのアニメは言い訳を至る所に置いてあります(完ぺきでは無いとしても)。しかしただの苦しい言い訳にしか聞こえないので、残念ではありますが、それでも無いよりは全然いいと思います。

シビュラシステムはなぜか犯罪者の脳を使っている。面白いですが無理があります。反社会的だったとか変わった人だった位なら分かるが、実際に事件を犯した犯罪者の脳を使う意味が無いばかりか危険ですね。もちろん全体の行動がおかしくならないようにしている何かがあるのでしょうけど、犯罪者が前の記憶を持ったままいるのだからいい訳はない。わざわざ犯罪者である必要はない。

しかしだからこそです。だからこそこのシステムは破綻しているのです(アニメ製作者が分かっているかは分かりませんが)。

始めは犯罪者の脳では無かったかもしれない。しかしシステムがこの犯罪者の脳は使えると思ってしまった。そして犯罪者の脳を使い始めたらもっとそっちよりになりますね。自分が正解だと言うのが犯罪者なので、犯罪者が正解だと思いそういう脳ばかり集め始めたのでしょう。そして気が付いたらおかしさ満点のシステムになってしまったが、閉じられた世界で全てをゆだねてしまっているので、もう変えれないと言う事です。

なのでシビュラシステムが穴ばかりなのは当然なのです。

これは少数の人に全てをゆだねるのは危険だ。しかも閉じられた世界で監視されてもいないのだからもっと危険だ。と言う事です。これを始めた時にはもう間違ったシステムだったのです。

 

槙島(まきしま)は食料を狙いますね。あれも同じ事を言っています。何かに偏った物に全てを任せると危険だと言う事であり、しかも誰も関与してない所で勝手に作られているのも危険だと言う事です。食料自給システムとシビュラシステムをかけています。

これは何かというと社会主義ですね。社会主義国絶滅危惧種ですね。

しかし社会主義が亡んだと言うよりは、少人数が力を持つ独裁国家が亡んだだけですね。似ているが違うので間違ってはいけません。

少数による閉じられた所で決まる独裁が危険なのです。それは資本主義もそうです。お金持ちが権利と力を持っている。実は同じです。

ただ資本主義は民主主義と言うもっと大きな力が上にあるので表面上は上手くいっているのです。つまりその気になれば国民がお金持ちから財産を奪えるのが民主主義です。だからお金持ちは国民の顔色をうかがいながら表では騙して裏でいい思いをする。その事により極端な貧しい人が現れ困ると言う事が起きないだけですね。

つまりシビュラシステムも社会主義も資本主義も、そして会社も同じ問題を持っています。少数の人が閉じられた所で大きな力を発揮できる、と言う事です。

滅びかけているので社会主義のみが間違っていた、なんて大雑把な解釈だといつの間にか世界はシビュラシステムに管理されてしまいますよ。と言う話です。

 

槙島(まきしま)は妙に本から引用しますね。ネットの感想で、分かる人には馬鹿なんじゃないのか? と思われてますね。

薬も多く飲むと毒になる。きれい好きも過ぎると潔癖症になる。なんでも度合いにより多くなると問題です。何でもかんでも引用する人がいますね。頭がウィキペディアな人がいます。こういう人は劣化版のウィキペディアにしかならないですね。つまり「Aと言う事はBの中に書いてある」とだけ分かっていて、それがAの事を分かっていると言う事だと勘違いしている人の事です。

でもここも言い訳をしています。狡噛は槙島の事を「シニカルで歪んだユーモアの持ち主」と言っています。槙島はわざと言っているのだと言い訳を入れているのです。

 

槙島は天才的な犯罪者という描かれ方だと思います。

物語にはたまに天才的な犯罪者が出てきますが、天才は犯罪を起こしませんね。「容疑者Xの献身」の中でもあいつは「天才なので殺人など起こさない」と言うような所があったと思います。そうだと思います。そんな危険な事をするのは馬鹿だと言うのですね。

これも言い訳があります。槙島は言ってみれば愉快犯ですね。何か試したくなっているのです。失敗してもいいのです。そして最後死にかけて逃げてる時も嬉しそうでしたね。生きているのが感じれるのが嬉しそうでした。その分たちも悪いのですが。

 

気になった所で、細かな事を言うと、シビュラシステムは人の脳を使っている。無理ですね。効率が悪い。いくら改造してあってもです。

未来、人の足を改造して車よりも速く走れるようにしたので、皆高速道路を足で走って移動している、と描いているようなものです。滑稽です。

やはり「最終判断を人がしている」位にしとくべきだったのではないかと思いますが、それだと生きてる普通の人が管理しているのと変わらず、面白さが薄れるからしなかったのでしょう。

 

始めシビュラシステムと銃が強すぎる。警察が強すぎて面白さが薄れる。と思っていましたが、やはり狡噛は反旗を翻し危険な側に言ってしまう。常守にもなぜか謎を教えてしまいこのシステムを悩み続ける。と言うようにちゃんと面白くなるべき事が分かっている作りですね。

それらをする為のご都合主義的な展開があるのは、まあそうなのですが、それでも全体通すと合格点じゃないでしょうか? 悪い所よりも良い所が光ったアニメになってると思います。

 

常守はシビュラシステムがおかしいと思いながら、これが無いと皆が生きていけない。それにそもそも壊す事は出来ない。と分かりしょうがなくこのシステムを受け入れます。

システムは大きくなりすぎると社会に溶け込み壊せないし、それが無いと皆が生きていけなくなります。

つまりおかしくなる前に何とかしとかなくてはいけませんね。

でも気が付いたときはもうおかしくなっていて、しかもそれが無いと沢山の人が困る、と言う状況であったらそれに従って生きていくしかないですね。

ここまで酷くないですが、実は今の世界もそうです。そこにかかっている物語なのです。

シビュラシステムの問題に気が付かない国民。今の現実の問題に気が付かない現実の国民。

同じだと言っているアニメだと、気が付く人が何人いるのでしょうね?