そりゃボーイズラブで尻子玉抜く話ですからね。
アはア◯◯のアです(◯は自主規制)
さらざんまいです。考察です。ネタバレでっしゅ。
私は昔からラピュタが好きなんですが、それの事で語れと言われても何一つ言葉が出てきません。それは語る必要が無いからです。
そもそも一生懸命探さないと見付からないものは無いと一緒で、普通は良くない。
それでも隠すのは、社会批判とか重い物はそのままだと見てられない人が多いので隠す。それが意識しなくても特に子供の頃は知らず知らずに心に残り、大人になるにあたって影響するならそれでいい。意識しなくても伝わってるならそれでいいのです。
白けっぴと黒けっぴが合体します。あれを黒けっぴをやっつけて終わりだと、子供は黒い奴らはやっつけるものだと思って大人になる。
しかし合体する事で、やっつけるのでは無いもの(かもしれない)だと心に残り大人になるのです。
後はミステリーの様にゲームですね。面白いから隠す。宝探しゲームでもある。
ピンドラは隠しているのはわざとであり、挑戦である。そしてその普通やってはいけない物をやるのにちゃんと理由付けをしている(と私は思う)のでありなのですが、これは珍しいものなので(他にあるかな?)気にしなくてもいいでしょう。
ラピュタは良くも悪くも語る必要が無く見れるものであり、さらざんまいも語る必要があまりない物語になってます。
でもそれで普通だと思います。ただそれでも隠してある要素があるのですが、それはさっき言ったようになんとなく感じればいい社会批判だったりするので、それも別に言わなくてもいい物です。
それでもその一層下の隠された社会批判なんかを知りたい方は、漫画家の山田玲司さんを聞いてください。このあたりの事は私が言うなんかより良く出来てます。ネットで探せば出てきます。無料と有料ががありますけどね。
それでも表の見える所にも言っときたい事がちょろっとあるのと、もう一つ、二層下にイクニさんの隠された意味合いがある気がしてきたので、それを言っていきます。
それは ア の意味です。
皆が最初からとっているポーズ、あれは ア のポーズですよね? やはり今回は ア なのでしょう。イクニさんは ア に向き合ったように思えます。
良く見てください。見えませんか? ア ですよ。
途中からマブとレオの物語になってきます。何だろうと思わせる展開ですね。
マブとレオは河童でした。つまり敵だと思っていたのは元は味方だった。同じ河童だった。主人公も河童なので意味合いとして我々に言いたい事は、つまり同じ人間だった。と言う事です。
敵なんて言う生き物はいない。自分と同じ生き物だと言いたいのでしょう。
そして敵になる意味もある。敵には敵の理由がり、分かりあえるかもしれないと言いたいのではないでしょうか。
カワウソも河童でしたね。これもそうでカワウソなんて言う生き物の敵ではなく、自分の中の邪悪なものが敵だと言う事です。悪くなった河童(自分が人間なら人間)が敵に見えるだけだと言う事です。
最後白けっぴは黒けっぴと一つになり完全体になる。
やっつけない。
同じ河童だ(人間だ)やっつけて終わりじゃない、と言う事でもあり、自分の黒い部分も自分の一部として認識して折り合いをつけて生きていけ、と言う事でしょう。
黒く見える部分にも意味ある。長い生物の歴史で消えずに残ったものなので意味がある。もしかしたらそれもまだ人類にとって必要かもしれない。
欲望も悪い言葉として使われるがそれだけではない。欲望は力にもなるのです。良い意味もある。なので捨てるな。と言う事なのでしょう。
細かな事で言うと「けっぴ」ってケロッピですよね?
ロが足りない。ロを足すとカエルになり世界を救える(ピンドラ参照)。でも足り無いので救えないのです。
イクニさんはずっと多面性を言ってますね。
良い事を言ってても嘘かも知れない。逆に悪く見えても良い所もあるかも知れない。
今は悪くても昔は? 今は良くても未来は? と言っている。
愛は利己的で一方的だ、と言いながらもやはり愛を良い意味で使っている。
欲望は悪く聞こえる言葉なのに良い意味もある、捨てるな、と言う。しかし白けっぴも欲望を集めてるが、カワウソも集めてる。なので欲望は良い物だとは言ってない。良い悪い両方あるのだと言いたいのです。
物は、人は、多面性がある。カラフルなものなのです。それを白だ黒だ赤だ青だ黄色だと言ってもそれは何も見えてないのです。カラフルなものをカラフルだと認識して初めてそれが何かわかり、そこからしか何も見えてはこないのです。
例えばあるシーンでリンゴが出てくる。リンゴだと思い、そこからはじめてそれが何かを表すメタファーなのか、ただのおやつなのかと話せるのです。リンゴのシーンを赤く塗りつぶしてしまっても、そこからは何も分からない。世の中の人はこの塗りつぶす人が多すぎますね。赤や青や黄色や白や黒の紙を見せ「これは何々を表している。だからこうしないといけない。何で分からないかな?」と言っている人が多すぎる。そりゃ分からないよ。
なので「物事をよく見ろ」とイクニさんは言っているのだが、物事を見る基本「物事はカラフルである、嘘も本当もある、騙されるな勘違いするな、よく見て考えろ」の事を言っているのでしょう。
さてここまでは表層の話です。一層下は山田さんの話を聞いてください。そして二層下を話します。
が、あくまで個人の意見です。間違ってたらごめんなさい。
ラピュタ出てきますね。パロディーが出てきます。
私はそれを見てゾッとしました。なぜでしょう?
実は自分でも一瞬の感情で分からなかったのですが、山田さんの話を聞いて分かりました。それは遺書だと思ったからです。
他にもイクニさんのアニメのパロディーたったり昔の漫画のパロディーだったりゴジラ、ウルトラマンも出てきます。
そうです。私にはこれは「今までのアニメ、漫画、特撮物、実写の映画、小説、ありがとう」と聞こえたからです。
お礼じゃないですか! 遺書ではないですか! 「イクニ俺を置いていくのかー!」と思うじゃないですか!(でも私は今年初めてピンドラ見ただけですけどね。人って身勝手ですね)
あと子供向けの作品で、子供に伝えることをしっかり入れて作っているのも何か遺書に見えます。山田さんがそう思ったのもうなずけます。
ただもう一つの考えが生まれてきました。それが ア の意味です。
これももちろん色んな意味が混ざっている物です。
愛、I(私)、始まり、アナ◯。
色んな意味があるのでしょうが、一つの言葉を当てはめると、物語全体の些細な納得できないものが分かった気になります。
ア は アニメ の ア です。
だからエンディング実写なのですね。そこにアの看板とアニメのキャラクターを描くことでアニメが浮かび上がる。
だからアニメなどのパロディーなのでしょう。
愛とは違う欲望とは何か? なぜ捨てるな、なのか? なぜどっちかなんて選べないのか?
最後の刑務所からのあの嘘っぽいエンディング。
金の皿、銀の皿、何でもかなうアイテム。物語の真実味をつぶすこのアイテム。
足が治らない弟、死んだ兄、何でもかなうアイテムがあるのにそのままのでいい理由。
第一話、始まりで空から落ちてくる ア 。それが主人公の体を通って始まる物語。
始まらない 終わらない つながらない、とは何か?
全てが アニメ なのですよ。アニメの世界での話なのです。
ウルトラマン、ゴジラ、セーラームーン、ラピュタ、それらはただの作りものです。
でも社会に影響を与えては無いのか? 世界に影響を与える大人にいずれなる子供に影響を与えてはいないのか?
アニメとは何か? どうあるべきか? 作り物か? 嘘か? いらない物か? 今や一般人に対し滅びかけているアニメは滅びゆくものなのか?
それらをアニメを作ってきたイクニさんが、ここであらためて向き合ったアニメだったのではないのか?
まあ、これがあっててもどうでもいい話ですね。
だから隠してあるのでしょう。
アニメを作ってる人が分かればいいだけの話です。
ただどうか遺書ではないように。
アニメを作る人に向けた遺書ではないように。
アニメは希望でもある。
希望とは実際には何も無いものです。幻でしかない。
でも人には希望が必要なのですから。